第七百三十五話 セーファンド帝国からの使者
それからしばらくして、アガルタに一通の書簡が届いた。それはセーファンド帝国からのものだった。
セーファンドの使者、カランと名乗った男は、美々しい衣装に身を包みながら、金の鳳凰をあしらった黒塗りの箱から、さも大事そうに書簡を取り出し、それをクノゲンに渡してその場を去った。当初は、アガルタの都を警備する警備隊長がそれを受取ろうとしたのだが、カランは、自らが持つ書簡を皇帝陛下の親書であるとして、それなりの身分の者が受け取るべきであると主張して譲らなかった。結局彼は、アガルタの者に迎賓館まで案内させてクノゲンを呼び出し、書簡を手渡したのだった。
「……ずいぶんと仰々しい書簡だが、書かれている内容は大したことないな」
執務室で書簡を読んだリノスは、つまらなさそうにそれを机の上に置いた。書簡は厳重な封蝋が施されていて、その中には高価な紙を三重に巻いて、書簡が保管されてあった。
「何と書いてあるのですか?」
クノゲンが苦笑いを浮かべながら口を開く。リノスは親指と人差し指で目を抑えながら、さも面倒臭そうに口を開いた。
「カーザ城救援の礼に使者を遣わす……それだけだ」
「ははぁ。それはまた随分とご丁寧なことで」
「ああ。たったそれだけのことで、別にこんなに大きな字で書かなくてもいいのにな。目がおかしくなるよ」
彼はそう言って書簡をクノゲンに渡す。
「プッ……。これはまた、大きな字で……。どうやら、セーファンド帝国の中でもそれなりの身分の方がお越しになるようですな」
「うん? どういうことだ?」
「これだけ厳重に封蝋され、しかも書簡を納める箱の高価さ……。さらには、一介の兵士に渡さず、アガルタの中でもそれなりの者に渡すことを求めたところから考えますと、さすがに皇帝自ら……とはいかないまでも、王族の誰かがやって来るのでしょうな。これを渡すとき、使者の顔は明らかに不満げでした。おそらく、私ではなくマトカル様に渡したかったのでしょうな」
「はあ? なんじゃそら? 何とも無礼な話だが、ある意味では一周廻って面白いな」
「まあまあ……。まずは、リコ様に聞いてみた方がよいかと考えますが……」
「そうだな。じゃあ、リコを呼んでくれ」
リノスは頬杖をつきながら、さもめんどくさそうな表情を浮かべ、大きなため息を吐いた。
しばらくするとリコがやって来た。彼女は書簡を一目見ると、眉間に皺を刻んだ。
「これは……セーファンド帝国の皇太子、デアル様、もしくはその弟君のハイザー様がおいでになるかもしれませんわ」
「デアル? ハイザー? 誰だい?」
「デアル様はセーファンド帝国の皇太子で、軍事のトップですわ。弟君のハイザー様は、確か、カーザ城の総司令官を務めていたお方……。可能性としては、ハイザー様自らアガルタにお越しになる確率が高そうですわね」
「ハイザー? 知らないな。カーザ城の司令官はホルムじゃなかったのか?」
「実際はそうかもしれませんが、表向きは王族の誰かが城主であるとされていることが多いのですわ。そうした危険を伴う場所で経験を積んでいるように見せて、内外に優秀であると認めさせるために……」
「はぁぁ……面倒くさいことをするんだな」
「それが王族というものですわ」
「ふぅ~ん。で、あれば書簡に堂々と書けばいいじゃないか。ハイザー様がおいでになります、と」
「それを書けない事情があるのですわ」
「事情?」
「私も詳しくはわかりませんけれども、こうした書き方は珍しくはないのですわ。そもそも、王族の誰のなにがしが行く、と書いてしまえば、暗殺の機会を与えてしまう可能性があるのですわ。それに、その国の主に内々の相談事などがある場合に、こうした書き方をしてくる場合がありますわ。セーファンドとしては、先のカーザ城救援のお礼を述べるのを口実に、アガルタに何か願い事を言って来る可能性が否定できませんわ」
「ええ~さらに面倒臭いじゃないか~」
「とはいえ、使者を追い返すわけにはいきませんわ」
「……う~ん。じゃあ、リコも一緒にいてくれよな?」
「承知しましたわ。もしかすると、願い事については、私にあるかもしれませんし……」
「取り敢えず、話を聞いてからだな。何事もそれからだ。それにしてもこの書簡はわかりにくいな。一体テキがいつ来るのか、さえも書いていないじゃないか。せめてそれくらい書きなさいよ」
リノスは首を左右に振りながら、ゆっくりと天を仰いだ。
◆◆ ◆
セーファンド帝国の正使がアガルタに到着したのは、それから三日後のことだった。やって来たのは、リコが予想したとおり、カーザ城の総司令官であるハイザーだった。彼は勲章でいっぱいになった軍服を着込んでやって来ていた。その報告を聞いたリノスは、苦笑いを浮かべた。
「……予想した通りのポンコツ野郎の臭いがするな。面倒くさいな」
彼の隣にはリコが控えていて、その言葉に無言で小さく頭を下げた。
「……まずもってアガルタ王様におかれましては、ご機嫌も麗しく、何よりとお慶びを申し上げ奉ります。私は、セーファンド帝国皇帝ニコラドの末弟に当たります、セーファンド・レム・ハイザーと申します。以後お見知りおきの程を乞い願い上げ奉ります!」
リノスに謁見したハイザーは、開口一番紋切り型の挨拶を述べた。彼の後ろには二人の男が控えていて、さらにその後ろには、五人の男たちが少し離れたところに控えていた。片膝をつき、頭を垂れている。これまで多くの使者を謁見してきたが、大抵は皆、固まっていることが多く、あまり見られない様子だった。しいて言えば、ヴィエイユに会うときに似ていた。彼女の場合、クリミアーナ教国内では神と同様として扱われているため、臣下の者は傍に侍るのは無礼ということで、彼女の従者は少し離れたところに片膝をつき、頭を垂れて控えていることが常だった。
そんなことを思い出しながら、リノスはハイザーと対峙した。
「この度は貴国よりケンシン殿をお遣わし下さり、感謝の念に堪えません。お陰様を持ちまして我が国は、ノーノ・エルスモ両軍の侵攻を食い止め、駆逐いたしました。これも偏に、アガルタ王様のご助力の賜物と、厚く御礼申し上げます」
ハイザーはそこまで言うと、さも言いにくそうな表情を浮かべながら口を開く。
「我が軍は勝利しましたが、誠に遺憾ながら、貴国から派遣いただいたケンシン殿とその従者の方々はお亡くなりになりました。本日はそのお詫びに参上した次第です」
「え? 亡くなったのですか?」
リノスは思わず頓狂な声を上げる。その声に、ハイザーはゆっくりと頷く。
「はい。アガルタ王様のそのご様子では、その報告は伝わっていなかったようですね。実は、カーザ城周辺ではグレイ・サハラが発生しまして、ケンシン殿以下、従者の方がはそこで命を落とされたのでございます。ケンシン殿はアガルタから遣わされた大事なお客人……。その方が我が国で亡くなられたのです。そのため我々は取り急ぎ参上した次第なのでございます。あ、これは私としたことが……グレイ・サハラをご存じではありませんでしたね。これは、私の失態でございます。そもそも、グレイ・サハラとは……」
ハイザーは長々とグレイ・サハラのことについて語り出した。その歴史から、その現象が起こると、どれほどの災害が起こるのか……そうしたことを弁舌さわやかにまくし立てていった。
ややあって彼は、コホンと咳払いをして、少し声を落として口を開いた。
「そこで、アガルタ王様に一つ、お願いの儀がございます」
……そうら来た。リノスは心の中で呟いた。