第七百三十二話 襲った理由
ドラゴンはなぜ、俺を襲おうとしたのかを語り始めた。それを龍王が同時通訳していく。要約すると、こういうことだった。
マルバーンは通常、山の頂上で暮らしている。彼らは基本的には何でも食べることができ、獣から山菜、果ては木の皮なども食べるのだという。
その中でも最も重要なのは、意外にも魚類なのだそうだ。
今回の戦いで、俺が川の上流をせき止めてしまった。その上、カーザ城周辺の川を干上がらせてしまったために、マルバーンの縄張りでは、魚が一匹も手に入らない状況となってしまった。
彼らは俺を初めて見たとき……見た、と言っても、そのときはイリモの背中に乗り、姿が見えないようにしていたので、正しくは感じたというべきか。そのときから、その存在は気に入らなかったらしい。曰く、勝つ気がまるでしなかったのだと言う。
マルバーンは、この周辺では食物連鎖の頂点に君臨する存在だ。彼らに勝つ者など存在しないはずだった。唯一あるとすれば、それは人族で、彼らが一致団結して数十万単位で攻撃を仕掛けてくるのであれば、あるいは、と考える程度だった。その人族をしても、一族すべての力を結集すれば勝てると彼らは確信していた。そんな彼らの前に俺が通りかかったのだ。気にならないわけはない。
一族すべてを滅ぼす力を持つ者が現れたことによって、マルバーンたちは混乱した。だが彼らは、そのために無暗に攻撃を仕掛けて来るようなことはせず、俺の動向を気配探知と自らの能力をもって監視することにした。そうした意味で、彼らはそれなりの知性を備えていた。
俺に喋りかけているのは、マルバーンの族長だった。彼は己よりも圧倒的に力が劣る者を使役する能力を備えていた。彼は一族の中で最も優れたその力を使い、森の中に住む獣を使役して、俺の動向を監視していたらしい。
彼らは俺が川をせき止めてしまったことにより、魚を摂ることができなくなった。族長曰く、マルバーンは一週間魚を食べなければ、その力は半分以下に落ちるのだと言う。すぐに死ぬことはないが、力の落ちたドラゴンは、単体でいると山の獣たちの格好の餌食となってしまう。ある意味で俺の行動は、彼らの命を縮めることになってしまっていた。
ここに至って、マルバーンたちは二者択一の選択を迫られた。ひとつは、下流に向かい魚を得るか、上流に向かい、せき止められている壁の向こう側に行って魚を摂るか、という選択肢だった。
だが、どちらの方向にも人族がいた。それも、数万単位の規模でだ。さらに彼らは武装していた。一族の力を結集すれば何の問題もなく勝利することはできるが、族長は人族のしつこさを知っていた。もし、彼らを殲滅すれば、人族は何十年にもわたってマルバーンを攻撃し続けることになる。それは、彼らにとって厄介な出来事だった。
しかし、事は急を要していた。そんなとき、再び俺が現れた。族長は決断した。俺を倒し、カーザ城とその裏山に駐留する者たちを倒して、そのまま上流に向かい、魚を得ようと。
「それで攻撃を仕掛けてきたのか……。それは、すまなかったな……」
俺は族長に対して腰を折って詫びた。彼は必要な魚が得られたので、その件は水に流すと言ってくれた。
マルバーンたちが、川に入って潜っては浮き上がりを繰り返しているのは、魚を食べているのだった。
よく見ると、彼らはかなり手際よく魚を食べているのか、頭を水の中に入れると、すぐに顔を上げ、ブルブルと頭を振って水を切った後、羽をばたつかせて上空に舞い上がっていた。そして、すぐ後に控えていたドラゴンが川の中に入り、同じような仕草をして空に舞い上がるのを繰り返していた。
気が付くと上空にマルバーンの群れが出来上がっていた。あと少しで、彼らの魚の補給も完了するようだ。
「しかし、すまなかったな。突然襲われたから仲間の何匹かは倒してしまったけれど、群れは大丈夫なのか?」
俺の言葉に、族長は首を振る。どうやら、俺や龍王に攻撃を仕掛けたのは、一族の中でも血の気の荒い者たちばかりで、族長自身は皆に、指示があるまで動くなという命令を出していたのだそうだ。命令を無視した挙句、討たれてしまうような者は、敵の戦力を正確に見積もることができない未熟者であり、それはその者が悪いのだと言って、彼はゆっくりと首を振った。龍王は、討たれた者たちは一族の鼻つまみ者たちで、ちょうど厄介払いができて、よかったのだと言っていたが、果たして本当だろうか。
俺は取り敢えずお詫びの意味も兼ねて、何かできることがあったら言ってくれと族長に言うと、彼は、水の流れを元に戻して欲しいと言ってきた。どういうことかと聞いて見ると、ここ最近、下流の川の水質が著しく低下していて、かなり不味くなっているのだという。
詳しく話を聞いてみると、下流の水は上流から流れてくる水と、カーザ城の裏山から流れている水のお蔭で、水質を保っていたのだそうで、その二つの流れが遮られたために、飲み水の質が悪くなってしまい、マルバーンたちは元より、山に住む魔物たちはひどく迷惑しているのだと言う。俺はすぐに復旧にかかると言って頷いた。族長は何も言わず、ゆっくりと頭を下げた。
「ただ川の流れをせき止めただけなのに、こんなことになるんだな。今回は勉強になったよ」
そう言って頷く俺に、エスカリーナが口を開いた。
「水の流れは理由がある。変えるのは、あまりよくない。でも、裏山の水は、早くした方がいい。汚れている」
あ、そうだ。カーザ城に来たのは、裏山の泉の水を手に入れる目的もあったなと、今になって思いだす。シディーに視線を向けると、コクコクと頷いている。
「じゃあ、裏山の泉に行ってみるか。まずは状況を確認しなきゃいけないな。帝都の屋敷に戻って、すぐ準備をしようか」
俺の言葉に、二人はゆっくりと頷く。
「ウワッハッハッハッハ。はーっはっはっは!」
突然笑い声が起こる。龍王だ。ヤツは腕を組みながら、まるで勝ち誇ったように大声で笑っている。
「どうだ、我の手腕は」
「え? 何のことだ?」
「見事に、そなたとマルバーンたちの間を取り持ったであろう?」
「……どこが?」
「今、ここで仲を取り持ったではないか!」
龍王は怒りの表情を浮かべている。俺はゆっくりと息を吐き出しながら、噛んで含めるようにして口を開いた。
「あのなぁ。もしかして、マルバーンの通訳をしたことで仲を取り持ったと思っているかもしれないけれど、それだったらとんでもない思い違いだぞ? 通訳してくれたことには感謝するけれど、お世辞にも上手いとは言えないものだったぞ? 何度聞き返した? それに、この際だから言っておくが、通訳するのにお前の感想はいらん。それに、折に触れて高笑いを挟むのもやめろ。話がわかりづらいんだ」
「貴様……よくもそのようなことをのうのうと……」
「ゴフゥ……ゴフゥ……」
突然、族長が龍王に向かって何かを言っている。てっきり、宥めてくれているものだと思っていたが、龍王の顔がどんどん紅潮してきている。
「何だと貴様! 邪悪な気配はこの者ではなく我だと言うのか! この無礼者! 許さん!」
龍王はスッと踵を返すと、スタスタと川に向かって歩き出した。そして、しばらくすると他留まり、天を仰いだ。その瞬間、龍王がまばゆい光に包まれた。
見とそこには、三メートルほどのドラゴンが立っていた。その姿を見た上空のマルバーンたちが一目散に逃げだした。族長は、顎を地面に付けて蹲っている。
「ゴアァァァァ~」
龍王がゆっくりとこちらに歩いてきながら大きな口を開けた。ブレスを放つつもりなのか?
「……おい龍王、大人しくしろ。大人しくするんだったら、アリリアの張っている結界のこと、考えてやるわけでもない」
「……」
龍王は無言のまま、すぐに人の姿に戻った。