第七百二十五話 師匠に礼を言う
この頭のネジが飛んでいる総司令官殿は、眠ってもらうことにした。今、彼は俺が張った結界の中で熟睡している。
彼が眠ってしまったので、セーファンド帝国軍の指揮は息子のサーマが執ることになった。と、いうより、なぜか彼が自然に総司令官のように振舞っている。
サーマの動きは迅速だった。裏山に布陣している部隊に使者を送り、同時に、皇帝に対して書簡を認めて、それを使者に持たせた。そして、兵士たちには休息をとるように命じ、一方で、カーザ城の動きから目を離してはいけないという命令を下すことも忘れなかった。
ホルムは意気揚々としてカーザ城に向かった。
彼は、捕虜の中から自分に帯同する者を選び、自身の部下たち数名と共に出発していった。同行する者は捕虜たちから立候補を募る形で決めていたのには感心した。立候補するということは、ホルムと一緒に説得する意志が強いことを現す。きっと、この交渉は成功するだろうと俺は確信していた。
ホルムが帰って来るまでには間がある。さてどうしようか。一旦帝都の屋敷に帰ろうと考えながら、一旦その場を辞す。周囲に誰もいなくなったのを見計らって、シディーが両手で俺の手を握ってきた。
「お見事です、リノス様。あの男の言う通り、兵士の首を斬って城の外に並べる……なんてことをした日には、全世界を巻き込む大戦争になっていました」
「ええ!? そんなに?」
「はい。あの男が兵士の首を斬れと言ったとき、確信に近い予感がしました。世界中で戦いが起こり、アガルタも、私たちも巻き込まれていました」
「おいおいおい……」
「今のところ、リノス様は全世界を掬った救世主です。さすがです。素晴らしいです」
シディーの今のところという言葉が気になる。まだこれから先、世界大戦を引き起こすフラグが立っているというのだろうか。俺はちょっと知恵を貸す程度で、あまり深く考えないでこの事案に首を突っ込んでしまった。やはり、厄介ごとを引き受けてしまう体質は、まだまだ健在のようだ。
とはいえ、俺にとっても、この戦いが長引くのはよろしくない。早く決着をつけて、普段の生活に戻りたい。そんなことを考えながら、これから先の展開を考える。
敵が降伏したら、城の外に出して水を与える。ある程度休息させたら、城の前に大きな穴を掘ってもらう。それには、セーファンド軍の者たちも参加させる。およそ四万人が全力で掘れば、短時間でかなり深い穴が掘れるはずだ。つるはしやスコップがなくて苦労するだろうが、そんなものは俺が土魔法でいくらでも錬成すればいい。
うまくすれば、陽が落ちるまでには、かなりの穴が掘れていることだろう。そうなれば今夜は宴会だ。セーファンド、ノーノ・エルスモ軍、両軍皆で酒でも飲むのだ。まあ、司令官たちは色々と考えることもあるだろうから、別の場所に移動させておけばいい。皆で酒でも飲めば、自ずと打ち解けるというものだ。そして朝になれば、ノーノ・エルスモ両軍は撤退してもらう。俺が作った壁が問題だろうが、宴会の間に壁に階段を作っておいて、頂上まで上がれるようにしておけばいい。あとは、山の尾根伝いに国まで帰ってもらえれば、めでたくこの戦いは終了する。
「……まあ、そううまくはいかないだろうけどね」
そんなことを呟きながら、笑みを浮かべる。
「あ、あなたたち!」
突然女性の声が響き渡る。ジュリアだ。彼女は腕組みをしながら俺たちを睨んでいる。
「何をしているのよ」
「何をって……休息しろと命令がありましたので、どこかで休もうかと考えていたところです」
「ああ、そうなの。じゃあ、いいところがあるわ。こちらへどうぞ」
彼女はそう言うとスタスタと歩き出した。俺は思わずシディーとエスカリーナに視線を向ける。
「別にいいんじゃないでしょうか」
「……どちらでもいい」
二人とも拒否する理由はないようだ。まあ、休息する場所を案内してくれるのだろう。誰か、知らない人たちがたくさんいると緊張しちゃってイヤだな、などと考えながら彼女の後を付いて行くと、そこは人影のない、石だらけの河原だった。
「さあ、やるわよ」
「やるわよ、って、何を?」
「決まっているじゃない。魔法の練習よ」
「はあ?」
「言ったじゃない。火魔法を教えてあげるって」
……今ですか? 休憩するんじゃなかったのですか? 俺は思わずシディーたちに視線を向ける。ローブで顔が隠れて見えないが、どうやら二人とも戸惑っているようだ。
俺の戸惑いをよそに、彼女は真剣な表情で語りだした。
「魔法って言うのは、正しく使わないと命を縮めてしまうのよ。あなたはセンスがあるから我流で何とかなっているかもしれないけれど、それを長く続けてしまうと、ヘタをすると死んでしまうかもしれないのよ。だから、正しい魔法の使い方を伝えておこうと思ったのよ」
……そんなことを考えてくれていたんだ。ウザイと思ってしまった俺を恥じる。そうか、魔法というのは、正しく使わないと命を縮めてしまうのか。そんなことはファルコ師匠は教えてくれなかったな。これまでかなり魔法を使ってきたし、今も魔力を使い続けている。MPがほぼ、無制限に使えるので何も考えずにこれまで来たけれど、もしかすると、かなり寿命を消費してしまったのかもしれない。子供たちもまだまだ小さいし、ここで死ぬわけにはいかない。ここは、彼女の話を聞いておくことにしようか。
「いいかしら? まず、魔法を使うのには、呼吸が大切なのよ」
「呼吸、ですか」
「そう、あなた、魔法を使うときには、どんな呼吸をしている?」
「何も意識したことはないですね」
「やっぱり……。いい? 魔法は呼吸が命なの。特に火メイジは大切なの。じゃあ、私が呼吸の見本を見せるわね?」
そう言うと彼女はスーッと息を吸い込むと、息を小刻みに吐き出し始めた。それを何度も繰り返していく。
「こうやって呼吸すると、お腹が動くでしょ? こうやってお腹を動かしながら詠唱するの。そうすれば、体中に魔力が行きわたって、魔法が発動しやすくなるのよ」
そんなこと言いながら彼女は、掌を差し出して空に向ける。
「火を司る神よ。我が手にその聖なる炎を現し給え」
詠唱が終わると、彼女の掌からボウという音が聞こえ、そこから大きな火が起こった。まるで彼女の手が燃えているみたいで、何だか格好がいい。
「あなたはセンスがよさそうだから、すぐにこのくらいはできるんじゃないかしら。やってご覧なさい」
「あの……その呼吸をもう一度見せてもらってもいいでしょうか」
「いいわよ。鼻からゆっくり吸うの。吐くときは小刻みに吐き出すのがコツよ。これを繰り返していると、体中が温まって来るのよ」
……温まるか? もしかしてそれは、イメージさせやすくするためのものじゃないか?
「あの……俺の師匠から習ったのは、体の中に流れる血を意識しろと教えられました。血は熱を帯びている。それが魔力だ、と。その熱を火や水に変えるイメージをするのだと教えられたのですけれど、もしかしてその呼吸は、熱をイメージしやすくするためのものですかね?」
「そんなことはないわ!」
俺の言葉を言下に否定される。ジュリアの顔が怖い……。
「血をイメージする? バカなことを言わないで。確かに、血液は温かいけれど、それを炎に変える? そんなことができるわけ……」
突然、彼女の右手の掌に炎が立ちのぼった。
「え? ウソ……無詠唱で……」
ジュリアは目を丸くして驚いている。やはり、ファルコ師匠の教えは正しかったのだ! やっぱりすごいや師匠は! 師匠、ありがとうございます!
俺は心の中で、丁寧に師匠に礼を言った。ジュリアは炎を消すと、顔をあらぬ方向に向けながら、小さな声で呟いた。
「かっ、変わった、やりかたね。まっ、まあ、こっ、こういう方法も、いっ、いいかもしれないわね……」
……思いっきり動揺してるやんけ。