第七百十一話 論破
総司令官は口元に笑みを浮かべながら、俺に近づいてきた。かなり強い殺気を発している。コトと次第によっては、俺を斬ろうと考えている。
この男の考えていることは、手に取るようにわかる。俺を殺しても、戦闘に巻き込まれて、アガルタからの使者が死んでしまったとでも言えばいいと思っているのだ。それに、俺からいい案が出たとしても、最終的には自分の手柄としようと考えているのだ。そんな男にまともな指揮が執れるわけはない。確実に多くの兵士の命が失われることになるのは明白だ。
別に、俺やアガルタにとって、この帝国がどうなろうと知ったことではない話だ。確かに、軍馬の供給先が無くなってしまうのは残念なことだが、それは別の取引先を探せばいいだけだ。
とはいえ、俺はこのホルムという男が何となく気に入っていた。何とかして助けてやりたいと思わせる男なのだ。仕方がないので、この厄介ごとを引き受けることにした。
「知恵もなにもない方は黙っていただきたいですな。それよりも、早くこの場を離れた方がよいのではありませんかな? これから、敵軍二万がここに殺到する。怪我せぬうちに、はやく帰られたほうがよい」
「いや、別に私は難しいと言ったまでで、知恵がないとは言っていませんよ」
「ほう、ならば承ろうではないか」
「ホルムさん、ちょっと教えてもらっていいかな?」
「ウヒャイ」
俺に話しかけられることを全く想定していなかったのか、返答がおかしなことになっている。そんな彼を微笑ましいなと思いつつ、俺は言葉を続ける。
「カーザ城は、水が豊富なようですね」
「はい、いい水が出ます」
「その水の手は止められますか?」
「と……止める、とは?」
「ですから、水が流れないようにできますか?」
「一体、何を言い出すのだ?」
総司令官が話しかけてくるが、俺は右手で彼の言葉を制する。予想通り、かなり怒っている。
「カーザ城の水は、山に沸いている泉から直接水路を使って引いています。しかもそれは、常に流れている状態ですので、止めるとなると、水路をせき止める他ありません……」
「ちなみに、その泉は、カーザ城から近いのですか?」
「いいえ。城から四キロ程上ったところにあります」
「四キロ!? となると、山から水を引くのに、かなりご苦労されたのでしょうね」
「いや、まあ……」
「謙遜しなくてもいい。それをやった人たち全員が偉いですよ。生半可な工事ではなかったでしょう。いいえ、わかります。俺にはわかりますから」
「はっ……はあ……」
ホルムが照れている。顔を赤くして、頭を掻いている。褒められるのに慣れていないな?
「なるほど。で、あれば好都合です。私の作戦は、カーザ城の水の手を止めていただきたいのです」
「な……そんなことをすれば、我々は籠城できなくなります!」
「まあ、そうでしょうね。あなたがそう言うのであれば、まさしくそうなるのでしょう」
「いい加減にしないか!」
総司令官が大音声を上げる。彼はツカツカと俺のすぐ近くまでやって来て、体を寄せてきた。かなりの至近距離だ。何とも気持ちが悪い。
「さっきから何を言っているのだ! 我々は忙しいのだ! 邪魔をするならば帰ってもらいたい!」
「ええ、帰れと言われれば帰りますが、私の作戦は聞かなくてもいいのですか? 一応、帝国軍に一名の死者も出さない作戦なのですけれどもね」
「必要ない」
「ああ、そうですか」
「貴殿のことは、アガルタ王に直接、私から報告させていただく」
「直接? あなたが?」
「ああ。セーファンド帝国軍総司令官として、直接アガルタ王に抗議の書簡を送らせていただく。当然、ヒーデータ帝国皇帝にもだ」
「今、承りましょうか」
「何ィ?」
しまった。今の俺はケンシンだった。この会話の流れは不自然だ。やっちまったなと思っていると、絶妙のタイミングで、ホルムが口を挟む。
「お待ちください!」
「何だホルム。お前は黙っていろ」
「私は、ケンシン殿の作戦を聞いてみたく存じます」
「今の話を聞いてわからんのか! この男は全くの素人だ! そんな男の話を真に受けるバカがどこにいるのだ!」
「ケンシン殿、続きをお話しください」
「ああ、いいですかねホルムさん。じゃあ、地図で説明した方がわかりやすいですかね」
そう言って俺は、総司令官の席の後ろに掲げられている地図の許に向かう。総司令官たちも呆れた顔で付いて来た。
「恐らくノーノ軍は、エルスモ軍が到着してから総攻撃に移るつもりでしょう。そのときを見計らって、カーザ城の城兵は、一旦引き上げてください」
「何を言い出すのだ! カーザ城をむざむざ敵の手に渡せというのか! ふざけるな!」
「それと同時に、城の裏山に着陣している部隊も、そのまま山を登って下さい。そして、総司令官が率いる部隊も、この川下……。この川の支流と合流している地点まで撤退してください。しかる後、山を登った部隊は、カーザ城に水を引いている水路を止めてください。できるだけ、泉の近くがいいですね」
「と……いうことは?」
「水のないあの城で、二万五千もの兵士が幾日生きられるだろうか」
ホルムの眼が見開かれる。幕僚たちから声にならない声が漏れている。だが、総司令官は、その沈黙を破るように声を張り上げた。
「バカな! やはり素人だ! 水路を断ったとて、この目の前に流れているジエ川から水を得られるではないか! 何を言うかと思えばバカバカしい! もういいだろう!」
「ジエ川というのですね、この川は。この川の水もせき止めてしまいます」
「は? 何ィ?」
「懸念していたのは、この川をせき止めたとき、帝国に水が供給されなくなるのではということでした。ですが、地図を見るに、ここに支流が流れ込んできていますよね。ということは、このカーザ城周辺の川の流れを止めても、問題は起きない。そう判断しました」
「そ……そんな大それたこと、できるわけが……」
「ああ、それは俺がやりますので、安心してください。一応、土魔法も使えますので。うん? なに?」
エスカリーナが俺の後ろに立って、小さな声で話しかけてきた。彼女は、山を崩して川を埋めてしまうというのだ。要は、水の力で土砂崩れを起こして川をせき止めるという、かなり乱暴な計画だった。
「……きっと、その方が色んな意味で上手くいく気がします」
シディーも小さな声で呟いている。まあ、それは後で考えることにしよう。
「しかし、だ。川の流れをせき止めたところで、上がってくる水位はどうするのだ! たちまち水が溢れて、元の川に戻るのがオチではないか!」
「そうならないように、高い壁を作ります。これだけ標高の高い山です。かなりの水量をため込めるでしょう。まあ、錬成をちゃんとしないと崩れちゃいますから、その点は集中してやらないといけないので、ちょっと頑張らなきゃ、ですけれど」
「そのような戯言、信じられぬ。妄想でモノを言うな!」
「よっと」
俺は掌を地面に向る。すると、石だらけの地面から土が盛り上がり、俺の背丈ほどの円柱が出来上がった。それに錬成をかけて、硬度を持たせる。
「このくらいのことは、できるのですよ」
全員があんくりと口を開けている。この石だらけの地面から土を掘り起こすには相当の魔力が必要だ。さすがに彼らも、それは理解できているらしい。
「なるほど、名案ですね!」
ホルムが手を叩きながら頷いている。
「ケンシン殿ならば、堅牢な壁を拵えてくれるでしょう。完全に水の手を断ってしまえば、二万もの将兵は三日もあれば音を上げるでしょう」
「……待て! そうなった場合、我らに死に物狂いの攻撃を仕掛けてくることは必定だ。そうなった場合……」
「そうなった場合は、もう一方の部隊が敵の背後を突けばよいのです」
「ううっ……」
「可能性として高いのは、総司令官の部隊への攻撃です。敵がその動きをしたら、間髪おかずに攻撃することが大切です。その連絡と連携は密にしてください」
「それでは、私はすぐに城に帰りまして、皆を引き揚げさせる手はずを整えます」
「ああ、そうしてください。皆さんも、よろしいですね?」
俺の言葉に、幕僚たちはオドオドとしながら、ゆっくりと頭を下げた。




