第七百十話 余裕?
「……で、何かよい策は思いつかれたかな?」
カーザ城の見学を終えた俺たちは、すぐにセーファンド軍の本陣に戻った。その間約一時間程度だったが、本陣に動きらしい動きは見られず、辛うじて、先ほどまでは見られなかった幕僚数名の顔が見えていたことくらいだ。
その中に一人、ボロボロの状態になっている男の姿があった。
彼は総司令官から一番遠い席に座っていた。何か不満があるのだろう。ぶ然とした表情を浮かべ、右足をせわしなく動かしていた。
総司令官はそんな彼には構わず、幕僚たちを俺に引き合わせようとしていた。
「ケンシン殿、紹介しよう。セーファンド帝国軍……ツ」
俺は総司令官の言葉を右手を挙げて遮った。彼は一瞬、呆気にとられた表情を浮かべたが、すぐに苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。
「あちらの方は?」
「……」
「あちらの方は?」
俺は右手を挙げたまま、ボロボロの鎧を纏う男に視線を向け、口を開いていた。言ってみれば、総司令官を完全に無視した状態なのだが、直感的に彼の話を聞いたほうがよいと判断したのだ。
「……無礼であろう?」
「そんなことをしている時間はないと思いますが。……あちらの方は?」
総司令官は小さく舌打ちをした。俺は彼から視線を逸らしていたが、その音が聞こえてきた。よほど腹に据えかねているのだろう。
ただ、俺からすれば、この総司令官の動きは理解に苦しむ。あと半日程度で敵が到着するのだ。迎撃するにせよ、撤退するにせよ、準備を万端にしておかねばならない。ここには少なくとも二万の軍勢が居座っているのだ。で、あれば、その準備を完了するには数時間はかかる。きっとマトカルやラファイエンス、クノゲンなら、俺がいない間に陣立てを考えて、いつでも動ける準備を整えているはずだ。
残念ながら、俺の眼前では兵士たちが軍装を解いて、休憩している。今すぐ招集をかけたとして、完全に態勢が整うまで少なく見積もっても一時間はかかるだろう。そこから移動して陣立てを整えるのに数時間。その間に兵士たちに食事も摂らせねばならない。そう考えると、何もかもが遅すぎるのだ。
そんなことを考えていたそのとき、貧乏ゆすりをしていた男が立ち上がり、小走りにこちらに向かってきた。そして彼は俺の前に片膝をつき、一礼した。
「私は、カーザ城守備隊長、ホルムと申します」
「ホルムさんですか。私は、アガルタから参りました、ケンシンと申します」
「アガルタからですと!? 何と……援軍、感謝申します!」
「いや、援軍ではないのですよ。あくまで知恵をお貸しするだけなのです」
「左様ですか……。いや、アガルタのお方が味方に立っていただくだけでもありがたいことです。感謝申します!」
嘘、偽りのない真っすぐな目だった。頭の切り替えも早い。人のよさそうな雰囲気を持っているので、きっと、部下から慕われているのだろう。そうでなければ、いかに堅牢な城を擁しているとはいえ、五千の軍勢を一千の軍勢で釘づけにして、守り通しているのだ。軍人としての資質、指揮能力に関して言えば、総司令官よりこの男の方が優れているのは明白だ。
「先ほど、サーマさんの案内でカーザ城を見学させてもらいました。見事な城ですね」
「はい。お陰様で何とか、これまで持ちこたえることができました」
「ただ、エルスモ軍二万がここに迫っていると聞きました。数の上では敵が有利になりますよね? 何か、お考えはありますか」
「はい。こちらに」
彼は俺を促して、総司令官が座る席の後ろに立てかけられている木の板がある場所に向かう。俺の後ろから総司令官や他の幕僚たちも歩いてくる。そこには、カーザ城周辺の地図が掲げられていた。
「敵は二万ですが、幸いにもここは山間の地です。数の上では劣っておりますが、我らには地の利があります。一刻も早く、総司令官殿の率いられる軍勢を、この城の前に移動させるのです。さすれば、城の守りは盤石となります」
彼の作戦は、俺の思惑と一致する。それができれば、川が堀の役目を果たして、防御力は格段に上がる。川を渡って来たら敵を叩く……。長期戦にはなるかもしれないが、カーザ城救援という役目は十分に果たすことができるだろう。だが、その彼の意見に、幕僚の一人が口を挟んだ。
「ホルム! 貴様は総司令官殿に前線に出よと言うのか!」
いや、それがお前の仕事やん、と思うが、黙っておくことにする。一方のホルムは、その幕僚に対して、一歩も引かぬ姿勢を見せた。
「それがお嫌ならば、現在、裏山に布陣しておいでのラウネスク様率いる一万の軍勢が、リネン山に布陣しているノーノ軍を叩けばよろしいのです。数の上においては、我が軍が勝っております。リネン山を抑えることができれば、たとえエルスモ軍二万が到着したとて、容易に我が国には入って来られません」
至極まっとうな意見だ。思わず大きく頷いてしまった。というより、先発隊一万は何をしていたのだろうか。むしろ、すぐに対岸の山を抑えていれば、こんなに慌てることもなかったのではないかと思ってしまう。そのとき、総司令官が口を開いた。
「そんなことは百も承知だ」
「……」
わかってんのなら、早くやりゃいいじゃないか。心の中でそう呟いていると、彼は驚きの一言を放った。
「そんなことをすれば、我が軍に犠牲が出るではないか」
「「はあっ!?」」
……思わずホルムとハモってしまった。彼は、お前、何言ってんの? と言わんばかりの表情を浮かべている。きっと俺も、同じような表情を浮かべているのだろう。
「総司令官殿は、自軍の将兵を消耗するのが、惜しい。そう言われるのですか?」
ホルムの顔が紅潮している。明らかに怒りを覚えている。そんな彼に、総司令官はフンと鼻を鳴らして、冷たい眼差しを彼に向けながら口を開く。
「我が軍の損失を最小限に押さえよ。それが、陛下のご命令である」
「バカな! 敵はもうそこまで迫っているのですぞ! そんな悠長なことを言っておっては、勝てる戦いも負けてしまいます! 総司令官殿は援軍に来られたのでしょう? カーザ城を救援に来られたのでしょう? 自軍の損失を考えていては戦いになりません! この二万の軍勢は、一体何のための軍勢なのですか!」
「ホルム! 黙らないか! 言葉が過ぎるぞ!」
幕僚の一人が、唾を飛ばしながら大声を上げる。そんな二人を、総司令官は右手を挙げて宥めた。
「ホルム、貴様の気持ちもよくわかる。だが、陛下のご命令は絶対である。そのために我らは、アガルタからの使者……いや、軍使を受け入れたのだ」
「……」
ホルムがものすごい目で俺を睨んでいる。いや、俺を睨まれても困るんだが……。
「それでは、ケンシン殿の策を承ろうか」
総司令官が涼しい顔で俺に話しかけてくる。この男は、何でこんなに余裕をかましていられるのだろうか。何か、起死回生の案でもあるのなら話は別だが、どうもそんなものはなさそうだ。今、まさにカーザ城の危機が迫っているというのに、それを察知する能力がないのは、明らかに致命的だ。
「いやぁ……難しいですねぇ……」
「フッ」
総司令官が明らかに俺を侮蔑している表情に変わった。彼は再びフン、と鼻を鳴らすと、側に控えているホルムに視線を向けた。
「ホルム、カーザ城に戻るのだ」
「……」
「お前は殺到するエルスモ二万の軍勢を引き付けるだけ引き付けるのだ。敵が攻め疲れたそのとき、我らは総攻撃をかける」
「なっ!? ふざけ……」
「冗談としては面白いが、この状況では、笑うに笑えない作戦ですね」
俺の言葉に、総司令官が再び視線を向けてきた。その眼には、憎しみの色が見て取れた。