第七百八話 総司令官
「ええと、何でしょうか、それは?」
俺の問いかけに、サーマはまたも不思議そうな表情を浮かべる。彼は少し困ったような顔をしながら、口を開く。
「通常は、王の勅命を受けて派遣される者であれば、王からの書状を携えているものですが……」
「危急のことでしたので……」
俺の後ろからエスカリーナが口を開く。サーマは口元に笑みを浮かべながら、彼女の方向に視線を向けた。
「すぐに出発せよとの命令でしたので、取るものも取り敢えず参りました」
今更ながらだが、エスカリーナの声が美しい。何だか、心が洗われるようだ。それは、サーマも感じているようで、彼の顔からは笑顔が消え、真面目な表情に変わっていた。
「確かに……。今は平時ではありませんね。大変失礼しました」
そう言って彼は、スッと腰を折って一礼した。
「それでは、総司令官殿の許に案内しましょう」
そう言って彼は、歩き始めた。
◆◆◆
程なくして陣幕が見えた。ここが本陣なのだろう。サーマは淡々とその中に入っていく。中は意外にも複雑な作りをしていて、グルグルと何周も廻らねばならなかった。別にいいのだが、こんな作りにしてしまっては、急を告げる使者などが来た場合、タイムロスが発生するんじゃないかと思ってしまうが、まあ、ここは何も言わないことにする。
「アガルタからお使者が到着しました」
突然、だだっ広い広場のようなところに出た。そこには、三人の男が山形になって座っていた。おそらく、一番奥にいるのが総司令官なのだろう。
サーマはスタスタと奥に座っている男の前まで歩いて行くと、片膝をついて控えた。
「アガルタの使者?」
男は怪訝な表情を浮かべている。パッと見、冷たい印象を受ける男だ。何となく面差しがサーマに似ている。もしかして、父親か?
「はい。アガルタから知恵を出すという書簡が参りました。その、知恵が到着致しました」
「と、なれば、あのふざけた書簡は、アガルタのものであったか……」
「父上……」
父上と言った。やっぱり親父だったんだな。ということは、この少年のような司令官も将来はあんな風になるのかと思っていると、総司令官が立ち上がって、大股で俺たちの許にやって来た。
「そなた、名は?」
「ケンシンと申します」
「ケンシン? ふざけた名前だな」
ふざけているのか? いや、俺としては真面目につけたんだけれどな。伝わらないのが実に残念だ。
ふと気づくと、総司令官が、後ろに控えているシデイーとエスカリーナを舐めるように眺めている。
「あ、こちらはシッデイト、こちらは、エスタリアです」
俺の紹介を受けて、二人ともゆっくりと頭を下げる。
「この者たちは……女か?」
「左様です」
「なぜ、顔を見せぬ。お主もだ」
「いや、それは……事情がありまして」
「事情? 一体何の事情があるのかは知らんが、いやしくも私はこの軍の総司令官だ。顔を隠したまま挨拶をするというのは、無礼だ。それとも、アガルタでは、そのような無礼がまかり通るような国なのか?」
「まあ、細かいことにはこだわらない国ではありますね」
「フン、奴隷上がりの男が主を務めている国だ。礼儀も何も知らぬのであろうな」
「まあ、国王はそうですが、その妻はヒーデータ帝国先帝の娘にして、現皇帝の妹です。それはそれは美しく、気品に溢れ、各儀礼に精通しています。彼女がいる限り、あまり行儀の悪いことはしないと思うのですけれどね。……うん? 何?」
後ろからシディーが、俺の裾を引っ張っている。リコのことだけじゃなく、自分のことも言えってか?
そのとき、エスカリーナが口を開く。
「帰りましょう」
「……」
「こんな無礼な男を助ける義理はありません」
「貴様、今、何と言った?」
総司令官の眉間に青筋が浮かんでいる。一体何を言い出すんだよ……。
「卑しくもアガルタ王様の命令をいただいて参っている私たちに、そのような無礼な振る舞い、許すことはできません。我々に暴言を吐くのは、アガルタに暴言を吐くのと同じ。それはすなわち、セーファンド帝国の言葉と受け取ります。すぐに立ち返りまして、アガルタ王様ならびに、ヒーデータ帝国の皇帝陛下に報告せねばなりません。おそらく、アガルタ、ヒーデータは言うに及ばず、ニザ、ラマロン、フラディメ、サンダンジ……それに、クリミアーナ教国らもセーファンド帝国の敵に廻ることでしょう」
「……待たれよ」
総司令官の顔が歪んでいる。痛い所を突かれてしまったという感情が見て取れる。司令官はできるだけ感情を表に出してはならないというのは、マトカルの言葉だが、彼女がいないのは彼にとって幸運だったと言える。彼女がいたならば、立つ瀬がない程に説教されていたことだろう。
「いや、言葉が過ぎた。先ほどの言葉は、取り消しをさせていただく」
苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべながら、総司令官は椅子に腰を下ろした。それを待っていたかのように、側に控えていた男が立ち上がり、兵士たちに手ぶりで指示を与える。すると、すぐさま兵士たちが椅子を持って現れ、俺たちに掛けるように促す。
「いや、ようこそおいで下さいました。私は、セーファンド帝国軍の参謀を務めます、ルワンドと申します。総司令官殿が疑われるのは無理もないのです。我々は、アガルタからの援軍や使者が到着するのに、少なくともあと二週間以上はかかると見積もっていたのです。それが、これほど早く到着するとは……」
「そんなに時間がかかっては、戦いが終わってしまうだろう」
少し声を落としていってみたところ、意外にも効果があったようで、ルワンドと名乗った男は、明らかに怯んだ姿を見せ、苦笑いを浮かべながら、所在なく座っていた椅子に腰かけた。
「で、ケンシン殿と申されたかな?」
突然、総司令官が口を開く。右手で顎髭を撫でながら、まるで俺を値踏みするかのような視線を向けてきている。
「アガルタ王は知恵を貸すと言われたが、具体的にどのような知恵を我らに貸していただけるのか?」
「まあ、それは現場を見てからになりますね」
「左様か。ご不明な点があれば、何なりとお尋ねになるがよい。まあ、言えぬこともあるが、知りうる限りのことはお伝えしよう。どのような知恵が出てくるのか、楽しみだ」
「父上……」
サーマが見かねて口を挟む。総司令官はチラリと彼に視線を向けたが、すぐに俺に視線を戻した。
「では、一つ、不明なことがありますので、教えていただけるとありがたいのですが……」
「ほう、何なりと」
「あなたのお名前を教えていただけませんか?」
「……」
総司令官の眉間に皺が寄った。そのとき、総司令官の後ろに張られた幕が跳ね上げられて、一人の兵士が全力疾走でこちらに向けて走り寄ってきた。
「申し上げます!」
「何だ」
「エルスモの軍勢が、動き始めました!」
「何ィ?」
総司令官は立ち上がって、肩で息をしながらその場に突っ伏すようにして控えている兵士に向けて口を開く。
「エルスモ軍の位置は?」
「おそらく、あと半日程度でこちらに到着するものと思われます」
「半日!?」
「軍勢の規模と移動速度の遅さから、おそらく、ノーノの王都であるリエンに入るものと思っておりましたが、リエンを前にして突然、軍勢の速度を速めました。今、エルスモ二万がこのカーザ城に向けて殺到しております」
「不味いな。ということは、カーザ城を囲んでいるノーノの者たちがさらに攻撃を仕掛けてくる……か」
総司令官は、何かを考える素振りをしていたが、すぐに俺に視線を向け直した。
「そこもとであれば、何となさる?」
……いきなり俺に聞くんかい。