第七百七話 少年のような司令官
取り敢えず、空から降りることにする。眼下には森が広がっているが、何とか俺たちが降りられる場所を選んで、着陸する。幸い、周辺には人の気配はなく、俺はここに転移結界を張ることに決めた。
そろそろ日も暮れる頃だ、一旦アガルタに帰ろうと声をかけようと振り返ると、シディーとエスカリーナは山を指さしながら、何か話し合っているところだった。
「あっちの方向よね?」
「そうですね、あちらから、かなりよい水の香りがします」
「本当によさそうね」
「ええ。間違いないと思います」
「楽しみだわ」
きっとこの二人は合わないだろうなと心密かに思っていたが、意外にも打ち解けている。まあ、二人がギスギスしていると、俺としても色々とやりにくいので、これはこれでよかったと思うことにしよう。
俺は二人に声をかけ、そこからアガルタに帰還した。
翌日、朝食を終えた俺は、シディーとエスカリーナを連れて、再びカーザ城近くに張った転移結界に移動した。転移した直後、周囲に多くの人の気配を感じた。どうやら大軍がカーザ城に向けて移動しているようだ。おそらく昨日、上空から見た一団が救援に向かっているのだろう。
「じゃあ、俺たちも行くか」
二人は無言で頷く。さすがに空を飛んでいくわけにはいかないので、イリモは帝都の屋敷に残してきた。俺たちは森の中を進んでいく。
しばらく歩くと、先ほど移動していた一団が休息していた。俺たちの風体が珍しかったためか、兵士たちがガン見してきている。仕方がないので、一人の兵士の許に近づき、話しかけてみる。
「私はアガルタから参りました、ケンシンと申す者です。こちらは、セーファンド帝国の軍勢ですか?」
「……」
兵士は俺の顔を睨んだままゆっくりと立ち上がった。右手が剣の柄を握っている。完全に怪しまれているようだ。事と次第によっては、斬られかねない状況だ。
「いや、怪しいものではありません。アガルタから知恵を貸すために参りました」
「……」
兵士の顔がさらに険しくなる。周辺にいた兵士たちも立ち上がり、俺たちの許に近づいてきた。
「ああいや、邪魔する気持ちは全くありません。もし必要ないのであれば、引き取らせていただきます」
「何をしている!」
突然、男とも女ともつかぬ声が響き渡った。見ると、兵士たちの中から小柄な兵士が一人、こちらに向かってきている。装備している鎧などから、かなり高級な司令官と思われる。
「サーマ様、コイツら、怪しいです」
さっきまで俺を睨みつけていた男が、目だけを動かして話している。そこまで俺たちの風体は怪しいのだろうか。
「あなた方は一体、何なのですか?」
「……オホン、私は、ケンシンと申します。アガルタからやって参りました」
「アガルタ? ケンシン?」
少年のような風貌をした司令官は、周囲の兵士と同じような怪訝な表情を浮かべる。
「サーマ様、自らをケンシンと名乗っております。どう考えても、まともじゃありません」
男は剣の柄に手をかけながら、グッと腰を落としている。すでにかなりの殺気を向けられている。それはシディーとエスカリーナも十分に承知していて、彼女らは俺と少し距離を取っている。
「まあ、待て。待つのだ。アガルタからと言われましたね? そしてケンシンと。どちらの流派でしょうか?」
……流派? まさか、緋村〇心と間違えているのか、俺を? 飛天御剣流と答えればよいのだろうか。イヤイヤ待て。この世界にるろうにの世界はないはずだ。それに、俺のホーリーソードは逆刃刀ではない。飛天御剣流を名乗るには、無理がある。
俺が黙っていると、サーマと呼ばれた少年のような司令官は、ずいっと体を俺たちに近づけてきた。そして、よく通る声で、まるで噛んで含めるようにして口を開いた。
「私の知る限り、あまたある剣の流派の中で、最高の剣士は、剣聖・ガンボールであると承知しております。そのガンボールより上である剣の神、剣神を名乗るあなたは、一体何者なのでしょうか。アガルタからと言われましたが、アガルタ王国には新しく、剣聖・ガンボールを凌駕した、剣神を認めたということでしょうか。返答を承りたい」
……そこ? いや、そんな大それたものじゃないんだが。あくまで、ナンチャッテ上杉謙信なのだけれど。何で話がそこまで飛躍するのだろうか。
「いえ……そういうことではなく、ただ単に、私の名前が、ケンシンということでして……。もし、ややこしいのであれば、別の名前にしましょうか?」
俺の言葉に、少年のような司令官は、何とも言えぬ表情を浮かべながら俺を眺めた。やがて、気を取り直した司令官は、スッと背を伸ばして、小さく会釈をした。
「これは失礼しました。先に承れば、アガルタから参られたと聞きましたが、一体、何用でしょうか」
「はい、アガルタ王様から知恵を貸すようにと言われまして……。もし、必要ない、ご迷惑と言われるなら、このまま帰りますので……」
「どうやってこの陣までたどり着いた?」
司令官の隣に控えている男が口を開く。相変わらず彼は、剣の柄に手をかけていて、俺に殺気を放っている。その周辺にいた兵士たちも、何ともイヤな殺気を放ってきている。
「この山の麓にはレリール部隊が陣を敷き、ここへは誰も通さぬよう万全の警備を敷いているはずだ。貴様たちは、どうやってレリール部隊の監視をすり抜けた?」
「それは……山中を抜けてきましたので……」
「ほう。このコマ山を越えたというのか。この山の尾根には、マルバーンの生息地となっている。彼らに襲われることなく、山を越えてきたというのか?」
「マルバーン?」
「銀の鱗を持つドラゴンだ」
「あー。あの白い中型のドラゴンか? そうそう。ここに来る間、随分吠えられたよ。彼らは、かなり優れた探知能力を持っているようですね。俺も隠密行動には少々自信があるのですが、正確に俺の位置を捉えていたようで……いや、あれには驚きました」
目の前の兵士の顔が、少し驚いた表情に変わった。少し、俺の話を信じてくれたみたいだ。そんな雰囲気を察したのか、少年のような司令官がさらに口を開いた。
「リューベ、下がらないか。大変失礼いたしました。確かに、アガルタから我が国に対して、知恵を貸すと書かれた書状が届いていることは、私も承知しています」
「サーマ様、それは誠でございますか?」
「ああ、誠だ。陛下が私の目の前で書状をご覧になっておいでだった。ただ、届けられたものは国書ではなく、単なるメモ書きのようにも見えた。しかもそれは、人知れず城の門番の所に落ちていたと言われる。果たしてそれが本当にアガルタ王からの書状であるのかの信ぴょう性がなかったのだが……。実際、こうしてアガルタから人が参られたのだ。あの書状は本物であったと考えてよさそうだ」
サーマは再び俺たちに視線を向けると、右手を差し出しながら口を開いた。
「私は、セーファンド帝国軍の参謀をしております、カルエ・ルオ・サーマと申します。どうぞ、お見知りおきを」
「あっ、ああ。そうですか。私は、アガルタ王の傍近くに仕えます、ケンシンと申します。ええと、こちらは、私の相方の一人である、シッ……デイトです。もう一人が……エス……タリアです」
俺の紹介を受けて、二人は戸惑いながら頭を下げる。俺は、力強く差し出された右手を握った。
「ところでケンシン殿、あなたは、アガルタ王様からの書状を携えておいででしょうか。もし、お持ちならば、見せていただきたいのですが」
俺からの書状? 何だそれ!? 何だか随分チェックの多い国だなぁ……。