第六十五話 職務怠慢
草いきれがムッと立ち込める中、二人の男が立っている。二人とも額に噴き出る汗を拭おうともしない。ただ、無言で立っている。
男たちの目の前には、廃墟がある。いや、つい三日前にここに来た時には確かに町があったのだ。大きくはないが、活気のある町。腕っぷしの強そうな漁師の声があちこちから響き渡り、その魚を求める女たちの声、遊ぶ子供たちの声が聞こえていたのだ。
しかし、今、彼らの耳に聞こえるのは、風の音だけだ。生暖かい風に乗って、不快な臭いが運ばれてくる。おそらく、夥しい死体が、町の中にあるのだろう。
「どうするんだ?」
「すべて燃やせ」
短い会話を交わした数時間後、その町は灰燼に帰した。全ての作業が完了したのを見届けた直後、一人の兵士が近づいてきた。
「報告します。バーサーム名誉侯爵様、ご到着とのことでございます」
「・・・やっと来たか」
どちらともなく、言葉が口をついて出た。
「全軍撤収する!」
二人は踵を返してその場を後にした。
俺たちがクルムファル伯爵の屋敷に着いたのは、夕刻のことだった。海に沈む夕日の美しさに目を細めつつ、俺たちは屋敷の門をくぐった。屋敷に詰めている兵士に到着を知らせ、案内された広い応接室でくつろぐこと暫し、窓の外がすっかり暗くなった頃になって、二人の男が現れた。
「帝国男爵、ジョーノ・レイアルです」
「帝国騎士団北方軍副団長のオーシェです」
この二人が、これまでクルムファル領を管理していた行政と軍事の責任者だ。
「到着早々申し訳ありませんが、領地の引継ぎを始めさせていただきたい。詳しいことはこの書類にまとめてあります。ご不明な点は明日の昼までにお尋ねください」
ジョーノから渡された書類には、屋敷の見取り図、領地の地図と共に、屋敷の中に何が、どこに、どれだけあるのかの一覧表が付けられていた。俺はそれを一瞥しながら、
「ご不明な点だらけだ。まず、この領土の現状はどうなっている?財政の収支は?それらの資料が見当たらないようだが?」
「そうしたものは、元伯爵の執務室に全てありますので、ご覧ください」
「いや、まず、ジョーノ男爵とオーシェ副団長から見たこの領地の状況を説明してほしい」
「いや、基本的に我々は新しい領主さまが来るまでの屋敷の管理を任されていたもので、あいにくそうした詳しいことは把握しておりません」
「男爵の言う通りだ。我々はこの三ヶ月、前任のグラゴレイル男爵からこの館の管理を引き継いだに過ぎない。クルムファル伯爵の乱以降、この領土を管理していたのはグラゴレイル男爵だ。詳しい話が聞きたいのなら、男爵に聞きなさるといい」
抜け抜けとオーシェが答える。
「ジョーノ男爵。皇帝陛下から館の管理だけを任せられるわけはないでしょう?もし、本当に何も知らないのであれば、皇帝陛下並びに、ヴァイラス王子、宰相閣下に職務怠慢として報告しますが、それでもよろしいですか?」
ジョーノ男爵の顔が歪む。それを見たオーシェが
「この国はもはや未来がない。田畑は塩害で壊滅しており、盗賊が町を襲っているので、漁業も壊滅状態だ。先ほども、一つの町が盗賊によって壊滅させられていた。我々は今まで、この暑い中、町を灰にする作業をしてきたのだ」
「街を灰にしたですって!?」
思わずリコが立ち上がる。
「これはこれは、リコレット皇女。お久しぶりでございます。気付きませず、申し訳ございません。このたびはご成婚おめでとうございます。町には多くの死体が放置されておりました。それらを焼き払わねば、森から魔物が死体の肉を求めて出てまいります。そうならないための処置であるとご理解くださいませ」
「町を襲っている盗賊をなぜ討伐しないんだ?」
「我々300の帝国騎士軍に対して、盗賊どももおよそ100名ほどいるのだ。しかも森の奥深くに拠点を作っている。奴らを殲滅するには森に入り、魔物を駆逐しながら進まねばならない。そのような危険なことを騎士たちにさせることは出来ない」
「まずは、新しい屋敷の管理をされるバーサーム名誉侯爵のご到着、おめでとうございます。屋敷の中は自由に使っていただいて構いません。我々はこれをもって役目を終えました。明日の昼、帝都に向けて出発いたしますので、その後のことはお任せいたします。それでは」
ジョーノはそれだけを言ってスタスタと部屋を後にする。その後ろを追って、オーシェが部屋を後にする。
「不明点は明日の昼までに聞けといったのは、そのためだったのか」
「リノス殿、これでは我々は置き去りにされるのではないか!」
一番年長のビウスが怒りの声を上げる。
「それにしても、何という報告でしょう。あの二人はまともに領国を管理していないのですわ!」
リコもプンプンと怒っている。
「まあ、今から何を言っても始まらん。取りあえずメシにしよう。リコ、フェリス、無限収納から料理を出すから、適当に盛り付けてくれ」
リコとフェリスがちゃっちゃと料理を盛り付ける。リコのお付きであったクエナも一緒に手伝っている。あっという間に、応接室のテーブルにバイキング形式のビュッフェが出来上がった。
「さあ、みんな道中お疲れ様でした。腹いっぱい食ってくれ」
正直、ここまでくる道中は、全く問題なかった。俺たちの姿が見えないように結界を張っていたのも大きかっただろう。一泊二日の楽しいキャンプだったのだ。
「これだけの資料しかないのか。ヒデェな」
「完全に職務怠慢でありますなー」
食事が終わってしばし。後片付けはクエナに任せ、野郎どもは早速、自分たちの寝床の準備に入った。ついでに体をふいておけと、お湯を大量に桶に入れておいてやった。その間、俺とゴンとリコ、そしてフェリスは執務室に移動し、残された資料に目を通していた。金庫もあったが、中身は空だった。広い屋敷だが、必要最小限のものしか置いていないようだ。
唯一と言っていい役立つ資料は、この領地に住む人々の戸籍謄本だった。名前、年齢などはもちろん、住所や職業といった詳しい情報まで書き込まれている。それが職業別に分けられているのだ。これをクルムファル伯爵は自力で作ったようで、彼の優秀さが分かる仕事ぶりである。
その他は、この屋敷の管理していたものだろうか。伯爵宛の報告書などがあったが、全く役に立たなかった。その理由は、ほぼ、デタラメな報告書だったからだ。
クルムファルの荒廃については何一つ触れられておらず、耳あたりのいい情報だけがピックアップされている。その他は、伯爵やリコに関する噂話などが列挙されているだけで、見ていて不快になる物だった。どうやらクルムファル伯爵夫婦は、リコの教育には熱心だったが、部下の教育は苦手だったようだ。察するところ彼ら夫婦は、思い込んだら一直線タイプだったのだろう。
一応、俺のマップを使って、この領土を調べてみる。この領土は、この館の西側に大きな森があり、それを避けるように、海沿いにいくつかの町や村が点在する。先ほどの二人が灰にした町は、この館から5キロほど離れた町だろう。人の反応が全くなかった。おそらくその街から逃れた人々は、帝都近くに点在している町や村に避難したのだろう。言うなれば、この館は完全に孤立した状態になっているのだ。
そして、森の中の一点に多くの人の反応がある。おそらくこれが盗賊のアジトだろう。それにしても魔物が多くいる森のまん真ん中にアジトを築くのだ。この盗賊は侮れないのかもしれない。
「この盗賊、意外に強いのかもしれないなー。頭目は知恵が回りそうだな」
「盗賊どもの油断したところを襲いに行くのは難しそうでありますなー」
「まあ、その作戦はないでもないが・・・とにかく今日はもう遅い、帰って寝よう」
俺は、この執務室に転移結界を張る。屋敷の野郎どもに戸締りをして寝るように言い、何かあれば転移結界を使って報告に来るように言っておく。イリモとハーピーたちはこの屋敷に留めおく。馬小屋はきちんとワラも敷いてあり、居心地は良さそうだ。クエナも俺たちの屋敷に帰ることとし、俺たちは転移結界に乗って、ヒーデータ帝国の屋敷に帰った。
二日ぶりの風呂を堪能する。メイにクルムファル領のことを話すと、土の上の塩を溶かす薬品を開発してみると言ってくれた。ゴンとペーリスが育てている作物の成長を助ける肥料も開発しており、これらはクルムファル領でも役に立ちそうだ。
クエナはリコと一緒に寝てもらい、俺は久しぶりにメイとの二人っきりの時間を楽しんだ。やっぱりメイのキレイな、大きな胸は、とてもとてもいいものだった。




