第五十七話 弱虫皇帝の覚醒
「リコレットの処断だが・・・」
皇女の退室を見届けたヒート陛下が力なく呟く。
「やはり、毒杯をいただくか、さもなくば粛々と自決いただくのがよろしいかと」
「姉上にはお気の毒ですが、さすがに処刑というのは皇族としてはいただけません。やはりグレモント宰相の言う通り、毒杯か自決が妥当かと思います」
ヒート陛下は小刻みに手を動かしながら目を閉じてじっと考えている。
「余は・・・余は・・・リコレットの命を奪いたくはない」
「そうはいきませんでしょう、兄上。姉上は兄上に謀反を起こしたのです。反逆者を誅せずにこのままおけば、帝国として示しがつきません」
「父上は兄弟手を取って帝国を導けと仰った。父上の崩御から時を経ずして兄弟の間で血を流しては、父上に申し訳がない。そもそも反逆を起こしたのはリコレット本人ではあるまい?」
「そうは参りません、陛下。リコレット様の家臣、しかも家庭教師という立場の家が反逆を企てたのです。その責は免れません」
「そうです。姉上の考え方は、帝国の体制そのものを否定するものです。そのような御方をこのままおけば、後々の禍根となります」
「確かにそれも一理あるがしかしリコレットをここで処断するとリコレットを慕う者どもが反乱をおこしはしないかそうなれば帝国に内乱が起こるそうなれば帝国の力は半減するしかしリコレットをこのまま捨ておくわけにもいかぬさりとて父上の遺言を無視しては余の・・・」
また陛下が一人でブツブツと言い始めた。
「・・・しばらく考える。皆、下がれ」
「まことに恐れ多きことでございますが、何卒お早めにご決断を願います」
宰相閣下が恭しく一礼をして部屋を後にする。それに続いてヴァイラス殿下も部屋を出ていこうとする。俺もその後ろに従う。
「待て!結界師は余の傍を離れることは許さん!余の傍に居よ!」
まじかよー。こんなに精神が不安定な人と一緒にいるのはちょっと勘弁願いたい。困った俺は、宰相閣下とヴァイラス殿下に目で助けを求める。
「畏まりました陛下。しかし、その結界師殿は宮城結界師ではございません。従ってその者を陛下のご命令とはいえ、無為に拘束することはできません。従いまして・・・」
「わかっている!早く決断を下せ、そう言いたいのであろう!」
「左様でございます。何卒」
そう言って二人とも部屋を後にしてしまった。逃げやがったな・・・。
ヒート陛下は目を閉じて上を向いたまま微動だにしない。陛下の呼吸音だけが聞こえてくる。
「余を、情けない男だと思ったであろうな」
不意に陛下が力なく言葉を発する。
「いえ、そうは思いません。むしろ、とてもお優しいお方とお見受けしました」
「言うな。そなたがいなければと怯え、余に謀反を起こした者を処断できぬ臆病者であるよ」
「確かにそうかもしれません。しかし、その臆病さは人の上に立つ人間には必要な能力だと思います。色々な人から話を聞き、色んな事柄に考えを巡らせる。それは、陛下の才能だと思います」
「フン、わかったようなことを言いおるわ」
「ご無礼は承知の上で、申し上げております。陛下は誰よりもお優しい。それは陛下の周りの方々がそのようにお育てし、陛下自身にもその才能がおありになったのでしょう。大変に素晴らしいことと思います。私は陛下はそのままでよろしいかと思います。ただ、一つ身に付けるとすれば、誠に僭越ながら、陛下には「強さ」を身に付けられるとさらによろしいかと思います」
「強さ?余にさらに武術に励めというか?」
「いえ、そうではございません。陛下はお優しいゆえに様々な事柄に思いを寄せることができます。一方で、様々な不安に苛まれることになります。そのためになかなか決断が下せず、後手後手に回ることもあろうかと思います。そうではなく、その不安に負けぬ心を身に付けられるとよろしいかと思います」
「余が、不安に苛まれているように見えるか?」
「はい。とてもお優しそうに見えますが、一方で頼り気がなく、いつもオドオドしておられるように見えます」
「結界師が・・・言ってくれるな」
「ご無礼は承知の上で申し上げております。人は強く心の中で「強くなろう」「負けてはならない」と思えば、強くなれるものです。僭越ながら私はもともと奴隷でございました。誰にも助けてもらえず、不安に苛まれておりました。幸い良い家に引き取られましたが、そこでも、いつ放り出されるのか不安でございました。私は毎日、心の中で「強くなろう」「不安に負けちゃいけない」と何度も呟いておりました。そうすると自然に、不安に苛まれなくなりました。これは私の師匠が申しておったことでございます。」
「強くなる、と心でつぶやく、か。そんな話は初めて聞いたぞ?」
「ええ、おそらく誰も教えてくれないと思います。私も、師匠以外からこの話を聞いたことがございません」
ふむ、そうか、とヒート陛下はまた、何やら呟き始めた。よく耳を澄まして聞いてみると、
「負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ、負けてはならぬ・・・」
と呪文のように繰り返し始めた。マジで大丈夫か、この人・・・。
約1時間ほどしただろうか。再び宰相閣下とヴァイラス殿下がやってきた。まだ陛下はブツブツと呪文を繰り返している。そんな陛下を見て二人は顔を見合わせながら、陛下の顔色を窺うように
「陛下、ご決断はなされましたでしょうか?」
「兄上、毒杯も、自決用の短剣もすでに準備が出来ております」
その言葉を聞いたヒート陛下の目がゆっくりと開かれる。陛下は俺たち三人をじっと見据え、ふうと息を吐くと落ち着いた声で、
「我が弟ヴァイラス、宰相グレモント、そして結界師殿、余は決めたぞ。これより、余の命を伝える」
俺たちは固唾を飲む。
「リコレットの命は奪わぬ。余はそう決めた」
「陛下!」
「兄上!」
二人が驚きの声を上げる。
「陛下!お気は確かでございますか!帝国に謀反を起こした者がその責を負わず、命をつなぐとは聞いたことがございません!」
「そうであっても、リコレットの命を奪うことは、ならぬ」
「兄上!そんなことをお認めになると今後、家臣は謀反を起こしたが、その当主はそれを知らなかったために無罪放免、ということがいくつも起こることになります。それでは将来の禍根は残るばかりです。やはり一罰百戒という言葉もございます。ここは・・・」
「ならぬ」
「グレモント宰相!兄上は何も分かっておられぬ!ここは我らで姉上に、毒杯か自決かを決めていただこう!」
「ははっ、そのように」
二人が部屋を出ていこうとする。
「そなたたち、待て」
落ち着き払った陛下の声がする。二人は立ち止まり、驚きの顔を陛下に顔を向けた。
「これは朕の命であるぞ」
「「・・・ははっ!」」
これまでとは全く異なる雰囲気を纏ったヒート陛下に圧倒される形で、二人は思わず頭を下げた。
後に「仁帝」と呼ばれ、長きヒーデータ帝国の歴史上で最も優れた治世を行った名君として名高い、第15代皇帝、ヒーデータ・シュア・ヒート、覚醒の瞬間であった。




