第五百五十一話 オオカミ少年?
漆黒の闇の中、無人の草原をジレットは一人馬を駆る。
緊急信号には、結界村にいるであろう痩せた、小柄な女を殺せとあった。文字数が限られているために、情報は必要最小限しかない。そこから想像力を働かせて、指令を理解するしかないのだ。だが、厳しい訓練を受けて来たジレットは、支部長であるフリーマンの意図を完全に理解していた。
緊急信号が送られたのであれば、事は急を要する。結界村にいる痩せた小柄な女を見つけ次第命を奪い、そのまま南に逃走する……。彼の頭の中には、これからのことが明確にイメージできていた。
結界村には程なくして到着した。ここは、旅人に解放されているために、警備の兵士などは配置されておらず、誰もが自由に使うことができる。だが、兵士はいなくても、この村を管理する者はちゃんと置かれていて、不届き者が狼藉を働くことがないように目を光らせていた。
この結界村は、ギルドによって管理されていた。
リノスが結界村を旅人たちに開放した直後に、ギルドはこの村の管理をしたいと彼に要請した。それをリノスは快諾し、それ以降、この結界村はギルドの管理下に置かれたのだった。それ以降、ギルドはこの村で起こる様々な問題に対応しながら、旅人にとって使いやすい施設となるように、骨を折ってきたのだった。
ジレットは結界村に着いてまず、そこを訪ねた。村のすぐ近くに石を積み上げた二階建ての小さな小屋が見える。そこが、ギルドだった。
扉を開けると、すぐにカウンターが見える。椅子が二つあり、その奥に猫獣人の老人がこちらに視線を向けていた。
「お泊りかね? 空いているところを使うといい。ちなみに、結界の中は土足厳禁だ。後に使う人のことを考えて、キレイに使ってくれ」
「すまんが、人を探しているのだ」
「人を?」
老人は面倒くさそうな表情を浮かべながらカウンターに近づいて来て、どかりと椅子に座った。それを見て、ジレットも椅子に座る。
「この村に、細くて小柄な女性が泊まっていないだろうか」
「知らんな。ここはギルドだ。泊っている連中のすべてを把握しているわけではない」
「では、女性は泊っているのか?」
「お前さんは一体、何を聞きたいんだ?」
「昔の仲間がここに来ているらしいのだ。久しぶりにこの国に来ていると聞いた。どうせ泊るのなら、家で泊ればいいと思ったのだ」
「そうかい。では、見せてくれないか」
老人はジレットに右手を差し出す。その意図が呑み込めず、彼は首を傾げる。
「冒険者カードさ」
老人の言葉に、ジレットは苦笑いを浮かべる。冒険者カードはすなわち、ギルドの使用許可証を兼ねている。クリミア―ナ教国の親衛隊に所属する彼にはこれまで、必要とはしなかったものだ。
「カードがないと、ダメかね?」
「当り前さ。ここはギルドだ。冒険者のための施設だ」
「冒険者カードのない者は、ここで仲間を探してはダメかね?」
「探したければ探すがいい。ただし、泊っている者たちの迷惑になることは止めてもらいたい」
猫獣人の老人は、目をカッと見開いてジレットを威嚇する。彼は、苦笑いを浮かべながら、ゆっくりとその場を離れた。
外に出ると、東の空が少し赤みを差しているのが見えた。夜が明けるまでにこの仕事を終わらせねばならない。ジレットはゆっくりと周囲を見廻す。
夜明けが近いためか、徐々に結界村の全体が見えてきていた。漆黒の闇の中よりも、仕事はしやすい状況となっている。彼は急いで、対象の女性を探す。目の前には、夥しい数の結界があり、黒いものもあれば、透明で中が見えるものもある。言うまでもなく、中が窺い知れないものが、すでにそこで人が休んでいることになる。数は少ない。
とはいえ、一つ一つの結界を確認していては、夜が明けてしまう。結界の中にいる者全員を効率的に外に出すにはどうしたらよいか……。しばらく考えた彼は、懐から小さな瓶を取り出した。そして、中に入っていた液体を周辺にまき散らした。
ジレットはブツブツと小さな声で詠唱をする。すると、彼の手から小さな火の玉が周囲に向けて飛び出した。その直後、結界村のあちこちから火の手が上がった。
「火事だ! 火事だぞ! 火事だ! 逃げろ! 逃げるんだ!」
ジレットはそう叫びながら、結界村を走り回る。中が窺い知れない、黒い結界を拳で叩きながら声を上げる。火が消えてしまうまでが勝負だ。彼は迫真の演技で、人々に危機を訴える。次々と結界から人々が顔を出し、ぞろぞろと外に出てくる。ジレットは腰に差した細い剣に手を添えながら、人々を注意深く観察する。
フッと足元に視線を向ける。すると、結界の中から金色の長い髪が見えた。細い肩……。女性であることは間違いない。ジレットは剣を抜き、その首に向けて剣を振り下ろそうとした。
その瞬間、ジレットの記憶は途切れた。
◆ ◆ ◆
セルロイトは、結界から頭だけを出して周囲を窺っていた。
火事だと叫ぶ男の声で目が覚めた。船旅の疲れが出たのか、結界の中で横になるとすぐに眠ってしまったようだ。この中は暑からず寒からずの、ちょうどいい温度になっている。どんな仕掛けがしてあるのか、セルロイトには皆目わからなかったが、ともあれ、居心地はとても良い空間だった。なにより、中に入ると、結界が黒く変色して、外から中が窺い知れなくなるのは、実に好都合だった。お陰で彼女は、人の目を気にすることなく休むことができたのだった。
深い眠りから突然起こされたため、まだ思考が追い付かないが、火事が起こったのだという。場合によっては逃げねばならない。セルロイトは気だるさを感じながらも、周囲に視線を向ける。焼け焦げた匂いが鼻を衝くが、炎は見えない。彼女はゆっくりと結界から出て、周囲を窺う。
冒険者風の男が、ドヤドヤとあちこちに集まっている。どうやら、ボヤ騒ぎで、特に大きな火事ではなかったようだ。
「朝っぱらから、何て人騒がせな」
ブツブツと文句を言いながら、冒険者風の男たちが引き上げていく。それを横目で見ながら、セルロイトはふと空に視線を向けた。東の空が真っ赤に染まっている。
「雨になるかもしれないわね……」
誰に言うともなく呟いた彼女は、再び結界の中に戻った。まだしばらくは休めそうだ。そう考えながら体を横たえ、目を閉じる。そのまま彼女はまどろみの中におちていった。
◆ ◆ ◆
「まったく、とんだオオカミ少年だな。てゆうか、少年というよりオッサンだけれどな。まあ、心が少年ということで、オオカミ少年としておこうか」
ジレットの耳に、男の声が聞こえる。声の雰囲気から若い男であることがわかる。だが、それ以上のことはわからないでいた。
体が動かない。目の前には石畳が見えるのみだ。一体、ここがどこなのかもわからない。ジレットは混乱しそうな頭を必死で落ち着けながら、努めて冷静に現状を分析しようとした。だが、彼の豊富な経験をもってしても、今、自身が置かれている状況を理解することができなかった。
確かに、剣で女性の首を刎ねたはずだった。だが、気が付けば転がされていた。感覚的に、先ほどの結界村での出来事から、そう時間はたっていないことくらいのことはわかる。一瞬のうちに攻撃され、引き倒されたのか。であれば、地面は土のはずだ。結界村は草原の真ん中にあったのだ。今、目の前に見えるのは石畳だ。己が立てた仮説の説明がつかない。
必死で落ち着けようとする気持ちとは裏腹に、頭の中はどんどん混乱していく。せめて、首だけでも動かすことができれば、もう少し、情報が得られれば……。そんなことを考えながら必死に目を左右に動かす。だが、見えるのは石畳のみだ。
突然、体に悪寒が走る。無意識のうちに体が震える。これは一体何だ……。そんなことを考える彼の背後で、一人の男がジレットを睨みつけていた。
その男は、アガルタ王、リノスだった。




