第四百七十八話 罠……?
……一体、何がどうなったら、こんなことになるんだ?
俺は今、左手の指でこめかみを抑えながら、頭の痛みを取ろうとしている。だが、その痛みは増すばかりで、収まる気配は全くない。
目の前には、ワーロフ帝国軍のチャンとワーカの司令官が片膝をついて畏まっている。その後ろには、捕虜となっているバーリアル王国軍の将校たちが同じようにして控えている。全員の眼が、真剣そのものだ。あまりの雰囲気に俺は、圧倒されてしまっていた。
隣に控えるマトカルも、クノゲン、ルファナ夫婦も絶句したままだ。ヴィエイユは……いない。そう言えばついさっき、帰国すると言ってこの部屋を出て行ったのだった。
……せっかく、無事にコトが済むと思っていたのに、どうしてここまできて、こんな展開になるかね?
俺は思わず天を仰ぐ。一体、どうすればいいのだ?
◆ ◆ ◆
これまではとても順調な日々だった。ドルガを退去して、森の中で一夜を過ごした俺たちは、早速アガルタに向けて撤退しようと準備を進めていた。そのとき、ワーロフ帝国軍の本陣から使者がやって来て、ドルガに戻ってくれと懇願されたのだ。出て行けと言ったり、戻れと言ったりと、一体どっちなんだと言いたかったが、使者の男が頭を地面に擦り付けるようにして懇願したことから、仕方なくドルガに戻ることにしたのだ。
しばらくすると、シーワを伴ったゲシカナ将軍が現れてドルガ奪還の礼を述べ、シーワの無礼な振舞いを詫びた。その上、俺とヴィエイユを帝都に招待して、皇帝直々に礼を述べ、歓待したいという案まで出してきた。あまりの見事な掌返しに、さすがに開いた口がふさがらなかった。
後で聞くと、ヴィエイユが俺の知らないところで、やんわりと脅しをかけたらしい。
言うまでもなく、ヤツが率いる教団は、世界最大の信徒数を誇る。ということは、彼女の一言で、信徒たちを暗殺者に仕立てることも可能なのだ。24時間365日暗殺者に怯えねばならない生活というのは……まず、耐えられる者などいないだろう。ヤツはシーワにそれとなく、自分はそのくらいのことが出来ちゃうのよと仄めかしたそうだ。
そしてさらに、信者を使ってワーロフ帝国、とりわけ、ゲシカナとシーワのネガティブキャンペーンを張ることもできると伝えたのだそうだ。全世界に、自分たちのある事、ない事、ない事、ない事を吹聴されてはたまらない。その上、ワーロフ帝国の威信自体も地に落ちるのだ。どんなバカでも震え上がるというものだ。
そうしたこともあって、ゲシカナ将軍とシーワは、取るものも取りあえず俺たちの許にやって来た。皇帝直々の……というのは、この短期間にさすがに皇帝に直接許可を取るのは難しく、ハッタリであることは明白だったが、そのくらいのことが自分にもできるのだという、ゲシカナとシーワの必死の背伸びであるように見えた。
俺はその必要はないと言ってみたものの、二人は帝都から宰相である、サンマルコ・ローゼンハイムが到着するまで、ドルガに留まって欲しいと言って聞かなかった。聞けば二週間もかかるのだという。彼らには俺やヴィエイユが余程暇に見えたらしい。
礼は、ヒーデータ帝国の陛下に言ってくれと、彼らの要請を突っぱねた。そして、一刻も早く帰国したいのだと主張したのだ。
そんな中、兵士たちに休息をとヴィエイユが間に入る形で、当初の予定通り五日間はこのドルガに滞在することになった。その後もゲシカナとシーワは色々と提案してきたが、結局、二人の意見は全く容れられず、ヴィエイユの要求通りにコトが進むことになった。そのときは、別に俺たちアガルタ軍が先に撤兵しても、何の問題もないだろうにと思っていたが、その真意を今になって知ることになった。
ちょうど五日後、ヴィエイユは先に撤兵すると言って部屋を出て行った。ゲシカナとシーワが間もなくドルガを受け取りに来るというのに、どうして今になって逃げるようにして撤退するのだという俺の嫌味に対して、彼女は、自分がいたら、二人の不快を増長させるだけだと言って笑った。これ以上、ワーロフ側を刺激しても何の意味もないと言って、ゲシカナとシーワと顔を合わせるのを拒んだのだった。
だが、それは彼女の策略だった。
衝撃の報告がもたらされたのは、それからしばらくしてからのことだった。何と、ヒヤマの兵士たちが反旗を翻したというのだ。
当初の予定では、ゲシカナとシーワが率いるワーロフ帝国軍がヒヤマを接収し、捕虜たちをしかるべき場所に移す手はずになっていた。だが、帝国軍がヒヤマに到着すると、城門が閉じられ、彼らを一歩たりとも中に入れようとはしなかった。それどころか、弓矢を放って抵抗してくる有様で、さすがにこれには帝国軍は大いに戸惑ったのだった。
砦の中には当然、帝国軍もいる。その帝国軍ですらも、ゲシカナ将軍たちに弓矢を向ける有様だった。
彼らはヒヤマの接収をあきらめて、ドルガに馬首を向けた。俺にその報告が入ってきたのは、ちょうどそんなときだった。
チャンとワーカ、そして、バーリアル王国軍の指揮官たちが揃って俺たちの前に現れて、畏まった。一体何事かと思っていると、チャンが衝撃の一言を放つ。
「ヒヤマの城門を閉じさせました。同時に、このドルガの城門も閉じさせました。ワーロフ帝国軍の接収を拒否したく思います」
「え? どういうことだ?」
「誠に恐れ入りやすが、アガルタ王様に、たってのお願いがございやす」
「何だい?」
「あっしらを……このドルガとヒヤマとともに、アガルタ王様の旗下に加えていただけやせんか?」
「何?」
「ここワーロフにおりましては、あっしもチャン司令官も、首を斬られるのを待つだけでさぁ。それに……ここにいるバーリアル王国軍の諸将も、ロクな扱いは受けねぇと考えやす。そのために……」
「ちょっと待て。お前たちが俺の旗下に入る? おかしくはないか? あくまで俺たちはワーロフの援軍に来たのだ」
「仰ることはごもっともでやす。しかしながら……」
「恐れながら、我らバーリアル王国軍は、ワーロフ帝国に降伏したわけではありません。アガルタ軍に降伏したのです。あなた方の戦略の見事さ、そして、節度ある軍人としての振る舞い……それらに敬意を表して我らは、あなた方に降ったのです」
「そんなことを言われてもだな……。お前ら、ヴィエイユに何か吹き込まれたな?」
「……」
俺の一言に、全員が顔を見合わせている。面倒くさいので鑑定スキルを発動させる。
……見事の一言に尽きた。彼女はワーロフ帝国の司令官の一人であるトーイッツから、ヒヤマとドルガを接収した後の戦略を喋らせていたのだ。それによると、チャンとワーカの二人については、軍令違反の罪を着せて更迭し、さらには命を奪おうと考えていたのだ。そして、捕虜たちについては、バーリアル王国との交渉の人質とする予定だった。だが、おそらく王国は交渉に応じないだろう。そうなった場合は、捕虜たちをヒヤマとドルガを修復させるための要員として活用しようと考えていたのだ。言ってみれば強制労働で、彼らが死ぬまでコキ使う気でいたのだ。
そして、ドルガとヒヤマの修復がなった暁には、あわよくばバーリアル王国に攻め込もうという算段だった。無茶苦茶と言えば無茶苦茶だが、そんな無茶を平気でやろうとしていたこの国の軍幹部たちのアホぶりが、何とも恐ろしかった。
……それにしてもヴィエイユ。お前、俺を困らせて一体何を考えているんだ? お前の狙いは、一体何だ??