第四百六十五話 それぞれの思惑
ヒヤマの砦が陥落したという報を受けたドルガでは、兵士たちが激しく動揺していた。海に展開していた巨大船団がこちらに向かって移動を開始していたのだ。これで海を封鎖されてしまえば、バーリアル本国に戻ることはできなくなる。兵士たちが動揺するのは、当然のことと言えた。
「引き上げじゃ! 今すぐ本国に向けて引き上げるのじゃ!」
オロオロと動き回りながら声を上げているのは、バーリアル王国軍の総司令官であるエルサックだった。彼は、国王であるロウサックの実弟であったが、これまで何の功績も上げることができず、どちらかと言えば、王族の中でも冷遇されていたのだった。その彼が、ドルガの攻撃と防衛の司令官に任じられているのは、彼に大きな功績を上げるチャンスを与えたいという王の思いがある一方、たとえ戦死したとしても問題にならないという点が一致していたからだった。
そんな彼に対して、シャリオは冷たい視線を投げかけていた。その一方で、兄のロイスはニヤニヤと下卑た笑みを彼に向け続けていた。
「まあ、落ち着け。王弟殿」
まるで子供を宥めるかのように、彼は声をかける。だが、エルサックの動揺はおさまらなかった。
「これが落ち着いていられるか! 我らはこのドルガで孤立することになるのだぞ! そうなれば、我らは死ぬしかないではないか!」
「そうにはならん。安心しろ」
「な……何だと? あの船を見ろ! 大砲を積んでおるそうだぞ! あれで狙われでもしたら……」
「結界を張ればよい」
「結界……」
「このドルガを覆うくらいの結界は張ることができる。安心しろ」
「攻撃は……それで防ぐとして、問題は食糧だ。食糧が尽きる前に……ぐっ」
気が付けば、エルサックの頭上にロイスの手が添えられていた。彼は目を見開きながらロイスの顔を眺める。
「お前が狼狽えてどうするのだ。落ち着いているのだ。お前には、まだまだやってもらわねばならないことがある」
ロイスの言葉を聞きながら、エルサックは視線を宙に泳がせていた。
「中の兄さま……」
「ここはそろそろ、潮時だ」
「……」
「シャリオ、我々はヒヤマに向かうぞ」
「ヒヤマへ?」
「そうだ。アガルタ王・リノスはそこにいる」
「どういうことだ?」
「アガルタ軍のあの動きを見ただろう。あんなことを考えつくのは、普通の人間では有り得ん。おそらく、相当のスキルを持った者が指揮しているはずだ。ということは……」
「アガルタ王がいる、そういうことか」
シャリオの言葉に、ロイスはニヤリと笑みを漏らす。
「どんな手段を使ったのかは知らぬが、まあ、向こうも龍王クラスのスキルを持っている。自分のスキルを秘匿しているのだろう。となれば、向こうが出てこないのならば、こちらから出向けばよい」
「そうだな……。だが、兄様、このドルガはどうするのだ?」
「知らん。籠城するもよし、包囲を食い破って国に帰るもよし、好きにすればいい」
そんなことを言いながらロイスは、何かを考える素振りをしている。そして、再びニヤリと下卑た笑みを浮かべると、ゆっくりと頷きながら口を開いた。
「よいことを考えた。せっかくだ。派手に行こうじゃないか。そうすれば、我々も人目に触れずにアガルタの陣に向かうことができるだろう」
ロイスの笑顔に、シャリオは一抹の不安を覚えながら、ただじっと、兄の様子を眺め続けた。
◆ ◆ ◆
ちょうど同じ頃、ワーロフ帝国の本陣でも、幕僚たちが集まって作戦会議が行われていた。表向きは作戦会議ではあったが、その議論の大半は、チャンとワーカの両司令官の怠慢を糾弾することに費やされていた。
「で、どうするのです?」
相変わらず不機嫌そうな表情を隠そうともせずに発言しているのは、副総司令官のシーワだ。彼女は無表情で俯いているチャンとワーカの二人に一瞥をくれたかと思うと、再び幕僚たちに視線を向ける。
「せっかく占領した砦を、受け取りもせずに帰陣するとは……。今現在、あの砦はアガルタ軍が維持しているのでしょう? わずか一千の兵であの砦を維持しているのです。五百の敵兵を抱えたままで維持しているのです。今このとき、ドルガから軍勢が打って出て、同時に砦の敵兵が反乱を起こしたらどうなります? アガルタ軍は全滅する可能性とてあるのですよ? チャンさんもワーカさんも、どうしてそこまで考えが及ばないのでしょうね?」
シーワの話に、誰も追従する者はいない。そんな中、チャンは心の中で嘯いていた。
……敵は無血開城をしているのだ。敵兵が反乱を起こす確率など、限りなくゼロに近いではないか。それに、ドルガから兵が打って出る? バカな。蟻のはい出る隙間すらなく包囲されている中で、どうやって打って出るのだ。それこそ、ヤツらは犬死だ。そんなこともわからんのか、この女は。
「この二人に任せたのが、間違いだったな」
誰に言うともなく呟いたのは、ゲシカナ将軍だった。その声にチャンは爆発しそうな感情を覚えたが、必死でそれを押し殺した。
「ああした、他国の軍勢を操るためには、相応の指揮能力と外交能力が必要だったのだ。我が軍を見渡せば、それができるのは、私とシーワを除けば、ギギくらいのものだろう」
「私が行きましょう」
大きなため息をつきながら、シーワが口を開く。その言葉にゲシカナ将軍は大きく首を振る。
「いや、イカン。それでは、何かコトが起こったときに、常に私やお前が対応せねばならなくなる。そうならないために、チャンとワーカの二人にやらせたのではないか」
「でも、この二人では無理でしょう?」
「うむ……」
「今回は、私がやりましょう」
シーワはそう言うと、ヤレヤレという表情を浮かべながら立ち上がる。
「ギギ、トーイッツさん、二人は私の副官として付いてきてください」
「はぁい、承知しましたぁ」
「わっ、わっ、わかり、ました」
二人の返事を聞いたシーワは、俯いたまま微動だにしないチャンとワーカに視線を向ける。
「チャンさん、ワーカさんも、付いてきてください」
意外な言葉だった。予想だにしなかった言葉に、二人の司令官は思わず顔を上げる。その様子を無表情で眺めながら、シーワは言葉を続ける。
「あなた方に、一万の軍勢を与えます。ヒヤマの砦の接収が終わった後、あなた方はドルガ突撃の指揮を執ってもらいます」
「な……」
「元々、あなた方には、ドルガ攻略の作戦立案をお願いしていましたよね? あれからどのくらい経ちました? もう、十分作戦は練られていることでしょう。兵一万を預けます。考えていたその作戦を遂行してください」
「待て、一万とは……。一万の兵士を犬死させるつもりか!」
「犬死させないだけの作戦を立ててください? もう、十分に立っているはずですよね?」
「貴様……」
「チャン、ワーカ」
ゲシカナ将軍が口を開く。そこにいた全員の視線が彼に集まる。
「この戦いが始まってから、お前たちは何もしていない。帝国軍人であるならば、手柄の一つでも立てねば何とするのだ。……何だその目は。このままではお前たちは、何もしなかった司令官として汚名を被ることになるのだぞ? そうならないように、汚名を雪ぐ機会を与えてくれたシーワに感謝するのだ」
……俺たちに、死ねというのか。何十年も仕えてきた部下に対していう言葉か。俺は、こんな人のために、命を捧げてきたのか。
チャンは泣きたかった。思わず顔を背けると、そこには、ワーカの顔があった。いつもは飄々とした表情を浮かべている彼だが、このときばかりは、眉毛をピクピクと動かしながら、必死で怒りを抑えようとしているように見える。
……こうなったら、華々しく、死ぬしかないか。
若い頃から目をかけ、面倒を見てきたワーカを道連れにするのは悪いとは思うものの、チャンの腹は、諦めにも似た感情に満たされていった……。
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