第四百六十話 おしおき決定
一方、ワーロフ帝国の本陣では、司令官のチャンとワーカが、腕を組みながら天を仰いでいた。彼らは微動だにすることなく、ただただ、天を仰ぎ続けていた。
「で、どうするのだ、ワーカ」
苛立ちを隠そうともせず、チャンが口を開く。その声を聞いて、ワーカがゆっくりと姿勢を正す。
「どうもこうもありませんやね。取るべき手段は一つでさぁ。あのドルガという要塞は、食料を断って日干しにするほかはありませんや。ですが、敵は海を背にしています。海から食料を運び込まれれば、いずれ我々が枯渇してしまいまさぁ」
「そんなことはわかっている。何度も軍議で提案したではないか。それをあの女狐が全て否定したのではないか」
「う~ん」
「結局、あの女は我々が邪魔なのだ。我々を排除したいのだろう。スーノのときのように」
「……」
ワーカはゆっくりと目を閉じた。それはちょうど一年前。彼らの戦友であった指揮官の一人が自ら命を絶ったのだ。それは今でも、二人の心の中に深い傷として残っていた。
スーノ司令官は、正義感の強い男だった。ちょうど一年前、シーワ副総司令官が、幕僚の一人を更迭しようとした。理由は彼女の意向に沿う働きができていないというものだった。その幕僚を教育したのが、他ならぬスーノ司令官だった。彼は、シーワに対して、その考え方は間違っていると諭した。だが、それを機に彼は、シーワ副総司令官とゲシカナ将軍から重箱の隅を楊枝でほじくるような指摘を受け続けることになったのだった。
チャンとワーカは、必死で同僚を庇ってみたが、二人の指摘は留まるところを知らず、結局、スーノ司令官は疲弊し、最後に自ら命を絶ったのだった。
「俺たちも、スーノと同じ運命をたどるのかもな」
「そういうわけには、いきませんやね……」
そのとき、伝令の兵士が現れ、彼らの前で膝をついた。
「ハッ、申し上げます。総司令官殿がお呼びです」
「来たか……」
誰に言うともなく呟いたのは、チャン司令官だ。彼はすぐに伺うと返事をして、大儀そうに巨体をゆすりながら立ち上がった。
「逃げられるところまで、逃げねばならんな」
「……まあ、軍人には褒められない行為ですがね」
「嫌味を言うな、ワーカ」
そんな会話を交わしながら、二人はその場を離れた。
◆ ◆ ◆
「で、作戦は?」
ゲシカナ将軍の隣には、予想した通り、シーワ副総司令官が座っていた。それだけでなく、ギギ司令官とトーイッツ司令官もその場に同席していたのだった。他の若い幕僚たちがその場にいないことが、彼らにとって唯一の救いと言えた。
二人は俯いたまま何も答えない。答えても無駄であることはわかっているし、この場はただ、無言でいることが一番の策なのだ。
「シーワが聞いているのだ、何故、答えないのだ」
ゲシカナ将軍の声が聞こえるが、二人は何もしゃべらない。
「そうやって黙るのはやめないか。我が軍は活発に意見を交わしながら作戦を立案していくことをよしとしているのだ。お前たちはいつも黙ったまま何も言おうとはしない。それが、我が軍の司令官たるものの態度か」
将軍はゆっくりと息をつくが、二人は目を合わそうともせず、俯いている。そんな二人を見ながら彼は、再び口を開く。
「作戦を立案するうえで、何か悩みがあればなぜ我らに聞きに来ないのだ」
ワーカの方がピクリと動いた。それを見たゲシカナ将軍とシーワ副総司令官は顔を見合わせる。
「どうせ、作戦など立案できていないのでしょ? ならば、私から指示を出しましょう。二人で、アガルタの陣に行ってください」
「……!?」
予想していない指示だったために、二人はキョトンとした表情を浮かべながらシーワの顔を見た。その様子を無表情で彼女は眺めている。
「先日の攻撃で、被害を受けていないのはアガルタだけです。他の援軍を送っていただいた国々は皆、被害を受けています。アガルタだけがのうのうと静観するというのは、許されません。あなた方は何としてもアガルタを動かし、攻撃に参加させてください」
「攻撃に参加、とは、いつ攻撃を行うので?」
ワーカ司令官の声に、シーワ副総司令官はフッと鼻を鳴らした。
「いつ、どこを攻撃するのかは、あなた方が決めてください。その上で、アガルタにその案を持って行ってください」
「ちょっと待て。おかしくはないか? 我々が作戦を立案して、アガルタがそれに同意したとして、お前が反対すれば、意味がなくなるではないか」
「そうならないように、ちゃんとした作戦を立ててください」
「いや、それはおかしいですやね。我々は構いませんが、もし、チャン司令官殿の懸念が現実になれば、我が国はアガルタの信頼を失いまさぁ。アガルタの信頼を失うことは、ヒーデータの信頼を失うことになりますぜ?」
「ヒーデータと我が国は縁戚ですよ?」
「いいや、そうとも言い切れんだろう。アガルタを甘く見積もるな。あの国はヒーデータだけでなく、ニザ、ラマロン、フラディメ、ミーダイとつながりがある。それに、タナ王国を支配下に置いている。クリミアーナも……」
「わかっていますよ? そのくらい? ですから、そうならないように、あなた方がちゃんとした作戦を立てれば、問題ないのです」
「あのなぁ」
「まあ、待て」
険悪な空気に割って入ったのは、ゲシカナ将軍だった。彼は皆を見廻しながら、ゆっくりと口を開く。
「チャンの言うことも一理ある。この二人が立てる作戦だ。必ずしも軍議に耐えうるものを上げてこられるとは限るまい。では、ギギ。お前がこの二人の作戦立案に加われ」
「はぁい、わかりましたぁ」
仕方がない、という表情を浮かべながら返事をするギギ。そんな彼女を前に、チャンとワーカの二人は、死んだ魚のような目をしながら、ゆっくりと息を吐き出すのだった。
◆ ◆ ◆
アガルタ軍の陣に、ワーロフ帝国軍から使者が到着したのはそれから数時間後のことだった。
「どうされたのだ、一体」
口を開いたのは、マトカルだった。彼女は目の前に並ぶ三人を無表情で眺めている。
「ええと……本日伺いましたのは……」
口ごもっているのは、チャン司令官だ。彼は巨体を揺らせ額の汗を拭っている。その彼の後ろでは、ギギが冷たい目で様子を眺めている。
「本日は、お願いがあって参りました」
意を決したように口を開いたのは、ワーカ司令官だった。彼はマトカルとその横に座るリノスに交互に視線を向けながら、落ち着いた声で言葉を続けた。
「明後日の早朝、ドルガに向けて再度、総攻撃を行うこととなりました。つきましては、アガルタ軍には、その先陣をお願いいたしたく参った次第です」
「ほう、俺たちに先陣を、か?」
声を上げたのはリノスだ。顔を布で覆っているために声が若干くぐもってしまっていて、聞き取りにくいが、彼の眼を見ると、どうやらその布の下では、笑みを浮かべているように見える。
「はい。アガルタ軍の勇猛さは近隣諸国に知れ渡っております。その精強なるアガルタ軍が先陣を切ってドルガに突撃すれば、自ずと士気は上がり、他の軍勢も我先に突撃を敢行することかと存じます」
「それはお安い御用だが、前回の作戦と変わらない気がするが、何か改善された点はあるのかな?」
「ドルガの外堀は、前回の突撃でかなり水位が下がっております。今回は堀を超えることは難しくないと考えています」
「堀を越えて、城壁を越えて、どこまで進むのだい?」
「一気に、ドルガを占領します」
「前回とそう変わっていない気がするが?」
「ご懸念もありましょうが、どうか、我らの、ドルガ奪還に、ご協力、いただきたく、お願い、申し上げます」
ワーカが何とも言えぬ表情で頭を下げる。その様子を見ながらリノスは、呆れたように声を上げる。
「前回、君が言っていた作戦と変わらない気がするけれど、それでいいのかな?」
彼の視線の先には、ギギの姿があった。彼女は一瞬、リノスと目を合わせたが、すぐに視線を逸らせた。
「申し訳ありませんがぁ。黙っていていただけますかぁ?」
「何?」
「我々はぁ、マトカル様にお願いしているのですぅ。一介の司令官であるあなたにぃ、お願いしているわけではありませぇん」
ギギはそう言って、まるで睨みつけるようにマトカルを見た。
「私は反対だが……。リノス様の判断を仰ぎたい」
「えっ? リノス様?」
「ああ、言っちゃったよ」
リノスの声と共に、ギギがまるで崩れ落ちるように、その場に倒れこんだ。
「俺の存在は秘匿しろと言っていただろうに。お、し、お、き、決定だな」
そう言いながらカラカラと笑うリノス。その光景を、チャンとワーカは驚愕の表情で眺めるのだった……。