第四百五十八話 え? 何だって?
リノスが陣取る山の頂上からは、その戦いの様子がよく見て取れた。突然、歓声が上がったかと思うと、一軍がドルガに向かって突撃を始めた。それに釣られるように、周囲にいた軍も突撃を開始したのだ。
だが、その他の軍勢は動く気配を見せず、どうやらこれは、一部の軍勢が抜け駆けしようとして突撃を始めたのだなと解釈した。しかし、時間が経つにつれ、ドルガを囲んでいた軍勢が次々に突撃を開始し始めた。さすがにこれは、リノス自身も驚きを隠しきれなかった。
「なんじゃこりゃ? 総攻撃をかけるとは聞いていたが、こんな段階的に行うのか? てっきりいっせーのーで、で行うと思っていたんだが……」
彼はその様子を上空から確認しようと、イリモのところに向かう。そのとき、兵士の一人が、彼の許に足早に駆け寄ってきた。
「申し上げます。ワーロフ帝国軍司令官、ギギと名乗るお方がお見えです」
「ワーロフの司令官? 何だ?」
リノスはマトカルと顔を見合わせる。彼女は彼に視線を向けたままゆっくりと頷く。
「いいや、マト。お前は出なくていい。隠れていろ」
「な? そんなわけには……」
「大丈夫だ。ほらよ」
彼はマトカルに向かって、何かを呟きながら手をかざす。
「これでマトの姿は俺以外の人間には見えなくなった。一応、声は聞こえるから、黙っていてくれな」
リノスは、傍らに控えている兵士に、マトカルの姿が見えないことを確認すると、いそいそと布を顔に巻き始めた。そして、準備が整うと、指をクイクイと動かして、ギギを連れてくるよう指示を出した。
程なくして現れたギギは、鎧を装備した男性を伴って現れた。同じ指揮官である、トーイッツだ。二人はキョロキョロと周囲を見廻していたが、やがて不思議そうな表情を浮かべながら、ギギが口を開いた。
「恐れ入りますぅ。マトカル様は、どちらでしょうかぁ?」
「ああ、マトカルなら、席を外しているんだ。御用の趣を承ろうか?」
「あのぉ……失礼ですが……あなたは?」
「俺? 俺は、アガルタ王リノス……の友人かつ右腕と言われているとかいないとか……。まあ、その、なんですよ。その何がどうというわけではありませんけれども……そう、あれなのですよあれ。そんな感じです」
「恐れ入ります、お名前をお聞かせいただいても、よろしいでしょうか? 先日、マトカル様のお隣においでになられていたのは承知しているのですが……すみません」
トーイッツが遠慮しながら質問してきた。リノスが視線を向けると、オドオドとした様子で、視線を地面に向けてしまった。そんな彼をチラリと見たギギは、キッとした視線をリノスに向けた。
「それじゃぁ、お前さんたちは、俺の名を、知らねぇのかい? ……知らざぁ、言って聞かせやしょう! 俺の名前わぁ……ええと……スノリ。スノリたぁ、俺のことだぁ」
「……階級を伺っても?」
「階級ぅ?」
戸惑うリノス。だが、その背後からマトカルの小さな声が聞こえてきた。
『……大佐』
「大佐だ」
「なるほど、スノリ大佐……で、よろしいでしょうか?」
「しまった。大佐であれば、シ〇アを名乗ればよかった。ああ、いい。気にするな。こっちの話だ。赤い彗星を名乗ってもいいが、仕事が三倍できると思われるというのもな。うん、スノリ。スノリでいい」
一人で納得するリノスを、まるで汚いものを見るかのように、ギギは嫌悪感を露わにしている。その表情のまま、彼女は言葉を続ける。
「恐れ入りますがぁ。ちなみにィ、マトカル様の階級を伺っても?」
「うん? マトカルの階級?」
『ワーロフ帝国派遣軍総司令官とでもしておいてくれ』
「ワーロフ帝国軍、総司令官とでもしておいて」
『いや、違う』
「いや違う! うん?」
キョトンとした表情を浮かべるギギとトーイッツ。その表情を見て、リノスも首をかしげる。
「あのぉ……マトカル様のぉ階級は……。総司令官、ということで、よろしかったでしょうかぁ?」
「それでいいみたい」
「承知……しましたぁ。それでは、総司令官様にィ直接お伝えしたいので、待たせていただきますぅ」
「いや、それには及ばない」
「どういう意味ですかぁ?」
「君たちの声はちゃんと聞こえているはずだ」
「言葉の意味がよくわかりませぇん」
「その……何だ。色々あって、今はここに出られないのだ。あなたなら、わかるでしょ? わかりますよね? ね? ね?」
「よくわかりませんがぁ……」
「そこは察していただきたい。察していただきたいのです」
ギギとトーイッツは顔を見合わせていたが、やがて、仕方がないという表情を浮かべて、再びリノスに視線を向けた。
「それではぁ。我々はぁ、本陣よりの使者でありますぅ。私の言葉わぁ、すなわちィ、ワーロフ帝国軍総司令官、ゲシカナ将軍のお言葉とお心得くださぁい。貴国に要請いたしますぅ。今、ただ今をもってぇ、全軍でぇ、ドルガをぉ、攻撃くださぁい。以上ですぅ」
「え? 何? もう一度」
「ですから、全軍でドルガを攻撃いただきたいのです」
トーイッツが毅然とした態度で、ギギの言葉を繰り返す。その言葉を聞いて、リノスは固まる。
「ドルガの、どこを?」
「とにかく、攻撃していただきたいのです」
「だから、どこを? 城門なのかしら? 城壁なのかしら?」
「どこでも結構です」
「そりゃまた乱暴な」
「とにかくぅ!」
苛立ちを隠し切れない様子で、ギギは両手を握り締めながら、口を開く。
「アガルタ軍はぁ! すぐに山を降りてぇ、ドルガをぉ、攻撃していただきたいのですぅ。堀を渡りィ、城壁を越ぇ、ドルガの街にィ突撃していただきたいのですぅ!」
「まあ、落ち着きなさいよ。要は、ドルガには堀と城壁がありますね? それらを越えて、街の中に突入しろと。なるほど。で、突入したら、何をすればいいのです?」
「そのときはぁ、改めて指示を出しますぅ! まずはぁ、ご出陣くださぁい!」
「だから落ち着きなさいって。ええと、話を整理しますよ? 我々は……」
「いい加減にしてくださぁい! 何度言えばわかるんですかぁ! 突撃するんですぅ!」
「うるせぇよ」
リノスが口を開いた瞬間、ギギとトーイッツの膝がカクンと折れ、二人はゆっくりと倒れた。
「リ……リノス様……」
「大丈夫だマト。眠らせているだけだ。おい、伝令! 伝令!」
「しかし……」
「心配するな。俺に任せておけ。ちゃんと考えがあるんだ」
「あの……どなたとお話で?」
気が付くと、伝令の兵士が怪訝な表情で見つめている。リノスはオホンと咳払いをして、傍らで意識を失っているギギとトーイッツに視線を向ける。
「ああいや、ええと……。そうだそうだ。ワーロフ帝国から来た使者が、お疲れなのかしらね? 気を失ってしまったのだよ。そのために、使者が伝えようとした内容がよくわからない。すまないが、何人かで力を合わせて、この二人を帝国の本陣に連れて行ってもらえないだろうか。そして、この二人が俺たちに伝えようとしていたことは何か……。聞いてきてはもらえないだろうか?」
「ハッ……。ご命令とあれば、喜んで」
「そうか、頼むよ。助かる」
伝令の兵士は一旦その場を離れ、すぐに数名の兵士を伴って戻ってきた。そして、ギギとトーイッツを担架に乗せ、その場から運び出そうとする。
「ああ、山の下は総攻撃が始まって、軍勢が入り乱れているからな。気をつけろ。ゆっくりと、安全なルートを通って行け」
リノスのその声に兵士たちは恭しく一礼し、二人を運んでいった。
「リノス様……そんなことをして……」
「いや、いいんだマト」
「しかし……」
「今、俺たちが動くわけにはいかないんだ。今、動けば俺たちは犬死だ。それがわからないマトじゃないだろう?」
「……」
「総攻撃に加わっている国々には悪いが……。この戦いは勝たねばならない。そのためには、もう少し時間がいる」
顔に巻いている布のためにその表情は伺い知ることはできないが、リノスのその体中から発せられるただならぬ気配は、マトカルの心臓を高鳴らせるものだった……。




