第四百二十九話 おかえり!
結局、俺たちは一睡もすることなく朝を迎えた。
別にベッドが硬かったからだとか、枕が替わったからだとか、そういった理由で眠れなかったのではない。何だかんだとしていたら、朝日が差し込んできたというだけなのだ。時間を見ていなかったので気が付かなかったが、かなり深夜まで俺たちは活動していたようだ。
「……許す」
突然そんな声が聞こえた。驚いて声の方向を向くと、エルフ王が俺たちに視線を向けていた。彼は少し考えた様子を見せていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「ここに、転移結界を、許す」
ミークの話によると、ここは王のプライベートルームであり、ごくわずかな近しい者しか入ることが許されない。そんな場所に転移結界を張れと彼は言っている。いつでも、会いに来て構わないという意思表示なのだそうだ。
いや、そうは言っても、あなたには政務があるでしょう。来たところで会えないという可能性は極めて高くないかという気もしなくはないが、そこは敢えて突っ込まないことにしよう。
そんな俺の心の中を知ってか知らずか、エルフ王はゆっくりと頷いている。どうやら、俺にかけられていた結界は完全に解除されているようだ。
「リノス様、お暇しましょうか」
シディーが小さな声で促してくる。彼女は俺の前に進み出ると、ペコリとお辞儀をした。
「大変にお騒がせいたしました」
「いや、感謝するのは我らの方だ。……娘を、頼む」
「……承知しました」
気が付くと、ミークが俺たちの傍に来ていた。彼女は再び父親に視線を向けると、しばらくの間、その姿勢のままで居続けた。その目には涙が溜まっている。
しばらくすると彼女はコクリと頷き、両手でゴシゴシと目をこする。そして、次の瞬間にはいつものミークの顔に戻っていた。
「さあ、戻ろうぞ」
俺は注意深く魔力を集中させて、転移結界を張った。結界が発動する瞬間、エルフ王がスッと頭を下げたような気がした。
「……おおう」
思わず嘆息が漏れてしまった。目の前には、いつもと変わらぬ帝都の屋敷の庭が広がっていたからだ。見慣れた景色だが、何故か懐かしい感じがする。まるで数年ぶりのような感覚を覚える。
……ひょっとして、何年も経っていたりして? 浦島〇郎の話もあるしな。
そんなことを考えながら、俺はゆっくりと母屋の勝手口の扉を開けた。
……とても静かだった。まるで、誰も居ないかのような静けさだった。俺はまさかと思いながら、ダイニングの扉を開けた。そこには、黙々と朝食を食べるリコや子供たちの姿があった。
「あっ! おとうさん! おかえりなさい!」
俺を見つけたのはエリルだった。彼女は椅子から飛び降りると、脱兎のごとく俺に向かってきた。その彼女の後をアリリアやイデアたちが続いている。
「おとうさん!」
エリルとアリリアが、ほぼ同時に俺の胸に飛び込んでくる。この二人をまとめて抱っこするのは久しぶりだ。こんなに重たかったっけと思いながらも、全力で抱きついている二人の娘を抱っこする。
「おねーちゃん、僕も! 僕も!」
足元で息子のイデアが両手を差し出している。俺は二人の娘を下ろして、彼を抱っこする。
「おかえり、おとーさん」
「ただいま。とうたんがいない間、ちゃんとママの言うことを聞いていたかい?」
俺の言葉に彼はコクリと頷く。何と可愛い息子だろうか。思わず彼の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「……おかえりなさい」
子供たちの後ろからリコが笑顔で迎えてくれる。ああ、何と癒される笑顔なのだろう。
「ただいま、リコ。心配をかけたね。メイたちの姿が見えないけれど……」
「もう出かけてしまいましたわ。とても心配していましたから、知らせてやりませんと……」
「ああ、そうだな。ちょっと研究室に顔を出してくるよ」
「朝食は?」
「いや、まだなんだ。実はお腹がすいていてね」
「では、用意しますわ」
「すまないな」
ふと見ると、シディーの許にはピアトリスが寄ってきていて、彼女に抱きついている。そんな娘を愛おしそうに抱きしめているシディーの表情は、穏やかそのものだ。
リコの朝食に舌鼓を打った俺は、アガルタに転移して、メイやマトカルたちに無事に戻ったことを報告する。色々と仕事が溜まっているので、それを片付けたかったが、何となく今日は仕事をする気が起こらず、早々に屋敷に引き上げることにした。
屋敷に帰ると、ミークの姿がなかった。すでに、おひいさまの許に転移したのだそうだ。彼女はしばらくはそこで過ごすそうで、折に触れて我が家にやってくるつもりのようだ。
「……ご主人」
突然、ゴンが話しかけてくる。人化した姿ではなく、白狐の姿だった。それを見つけたアリリアがいたずらをしようと近づいて来るが、彼女はビクンと体を震わせたかと思うと、一目散に外に出ていってしまった。俺の後ろには、真剣な表情をしたリコがいたのだ。
「おひいさまからの伝言でありますー。心から、感謝する、とのことでありますー」
彼はゆっくりと俺たちに向かって頭を下げた。その姿から、おひいさまから丁重に謝意を伝えるよう命じられていることがよく見て取れた。どうやら、俺がアガルタに出かけている間に、エルフ王からおひいさまたちとの取引を再開する旨の連絡があったらしい。
「……さて、これからエルフたちはどうするんだろうな」
俺はリコと向かい合わせになってダイニングのテーブルに腰かける。彼女はチラリと庭の方向に視線を向ける。外からはソレイユの優しい歌声が聞こえてきている。子供たちと共に、一緒に歌を歌っているようだ。
「今すぐにはいかないかもしれませんが……。これからゆっくり、国を開いていくのだと思いますわ」
「そうなってくれれば、いいんだけれどな」
「きっと、大丈夫ですわ」
「へえ、イヤに言い切るね」
「女のカンというやつですわ」
そう言ってリコはクスリと笑う。
「ところでリコ、大丈夫か?」
「何が、ですの?」
「昨日は寝てないんじゃないか?」
メイから聞いた話では、リコは昨夜は一睡もせず、ダイニングのテーブルに座ったまま俺の帰りを待っていたらしい。きっと疲れているに違いないのだ。
「いいえ。少し寝ましたわ」
「せっかくだ、ちょっとお昼寝をしないか。俺も昨日は全然寝ていないんだ」
「……お昼寝など、子供みたいですわ」
「たまにはいいだろう」
俺は席を立って離れに向かう。リコも俺の後ろに付いて来る。
「あ、先にお風呂いただきました」
二階に上がると、タオルでゴシゴシと頭を拭くシディーに出会った。彼女は見るからに眠そうな表情をしている。どうやら、限界まで頭脳を使ったらしい。俺はゆっくり休むように彼女に伝えると、あとはよろしくお願いしますと言って、部屋に行ってしまった。
「……はあ~。やっぱり自宅のベッドが一番落ち着くな」
ゴロンと横になった俺の傍で、リコがベッドに腰かけながら、俺を眺めている。
「今回は、本当にシディーに助けられたよ。魔法が使えなくなったんだ。俺の魔力を封じ込めるんだから、やっぱりエルフは凄いな。それ以上にすごかったのがシディーでさ。ものすごい推理を見せたんだぞ。やっぱり連れて行ってよかったよ。シディーがいなければ、間違いなく俺は帰って来ることができなかった。……リコ?」
見ると、リコがベッドに腰かけた姿勢のまま、コックリコックリと居眠りを始めていた。俺はゆっくりと起き上がって、彼女の肩をそっと抱く。全く目覚めようとはしないリコ。俺は彼女をベッドに寝かせて、腕枕をする。まるでそれを待っていたかのようにしがみついてきた彼女の寝顔を見ながら、俺はゆっくりと目を閉じるのだった……。
第十四章、完結です。ちょっと冗長になってしまった感が強く、反省しています(汗)。次章はもう少しコンパクトにまとめていきたいと思います。次週は肩の凝らない間話を数話挟みまして、新章に突入したいと思います!




