第四百二十七話 エルフ王、動く
「お前はどこまでクズなんだぁ!」
そう叫びながら俺は、握り締めた拳をオルトーの顔面にたたきつける。ヤツはそれを躱し切れずにまともに食らい、壁まで飛んで行った。
俺はチラリと後ろを見る。そこには、オルトーの攻撃で傷ついたエルフたちの姿があった。中には突っ伏したまま動かない者もいて、その傍らでは必死でその名を呼ぶ者もいた。
……コイツは同胞を何だと思っていやがるんだ。
俺はヤツにゆっくりと近づきながら、そんなことを考えていた。
……脳裏をかすめたのだ。断片的ではあるが、この男のこれまでが。そんな理由で、ただ嫌いだと言う理由だけでこんなことをしていやがったのか? エルフというのは同胞を大切にするんじゃなかったのか? 女性に対しては敬いの精神があるんじゃなかったのか? コイツのやっていることは、そのどれにも当てはまらない。
俺だけを攻撃してくるのならば、まだ話は分かる。だが、大切だと言っている割にエルフを殺し、傷つけている。何の罪もないのに、だ。アホという言葉以外にこの男を形容する言葉が見当たらない。
そんなヤツは、仰向けになり、鼻から夥しい血を流しながら、苦しそうに肩を上下させながら呼吸をしている。取りあえずコイツの意識を失わせて、エルフ王に突き出そう。そう考えた俺は、再び拳を握り締めてヤツの前に立つ。
そのとき、オルトーがニヤリと微笑んだ気がした。その瞬間、彼の体が緑色に光った。これは、回復魔法か?
気付いたときには、ヤツはその右腕に炎を纏っていた。俺は思わず横に飛んでその攻撃を躱す。ヤツの火魔法は俺の遥か頭上を越えて天井に当たる。魔法の威力が強かったためか、天井の一部が砕けて、バラバラと床に落ちてきた。結構な大きさの石のようなものも落ちてくる。
「……しまった!」
俺が気を取られている隙にオルトーは立ち上がり、右手に剣を握ったままシディーたちの許に向かって走っていた。まだダメージが残っているのだろうか、足元がおぼつかない。あれなら追いつける。俺は素早く立ち上がって、ヤツを追いかけた。
オルトーの殺気はシディーたちに向いている。この距離ならギリギリ追いつける距離だが、油断はならない。ヤツはおそらくミークを斬ろうとしているのだろう。だが、その傍にはシディーがいる。彼女もそれなりに剣術は嗜んでいる。今は丸腰だが、ヤツの攻撃くらいは躱せるはずだ。
シディーもそれがわかっているのだろう。スッとミークの前に進み出た。来るなら来いという意思が伝わってくる。
そのとき、彼女らの前にエルフ王が進み出た。オルトーの動きが、ゆっくりと止まる。
「……」
「……」
二人は見つめ合ったまま動かない。王は右手に剣を携えたまま涼やかな目でオルトーを眺め続けている。あまりに予想外の出来ごとだったのか、部屋がしんと静まり返っている。
コツ……コツ……コツ……。
エルフ王がゆっくりと歩き出した。その足音が不気味に響き渡る。彼は表情を一切変えないままオルトーを眺め続けている。その目には、何やら悲しみの色が見えた。
ガッ!
一瞬のことだった。鈍い音がしたかと思うと、気が付けば、エルフ王の剣がオルトーの体を切り裂いていた。剣を抜いてから斬るまでの速さが尋常ではない。その剣は彼の右肩を切り裂いて、心臓にまで達したのだろう。一瞬の間をおいて、彼の体から血が噴き出した。
「……!」
「……!」
部屋中が声にならないような声で満たされている。どうやらエルフにとって血は本当に忌むべきもののようだ。血しぶきが体に付かぬよう、皆逃げまどっている。
……ドサッ。
小さな音を立ててオルトーの体が、まるで空気の抜けた人形のように崩れ落ちた。彼はカッと目を見開いたまま絶命していた。
「静まれ、皆の者」
剣についた血を拭おうともせずに、エルフ王はそれを鞘に仕舞いながら口を開く。
「このオルトーは王の命令に背きし者。逆賊である。それを我が成敗したのだ」
彼はオルトーの遺体を一瞥すると、部屋の壁際で恐れおののいているエルフたちに向き直る。
「我は、間違っていた。ただただ、我が一族を守りたかっただけなのだが……。時を経るに従って、我らは醜い種族に堕落してしまったようじゃ……。オルトーも、元は忠誠心溢れる家来であったものを……。このような……」
エルフ王は一瞬、悔しそうな表情を浮かべたが、やがてスッと顔を上げ、王妃に視線を向け、彼女に向かってゆっくりと歩き出した。
「妃よ。オルトーを罰した今、我はそなたも罰せねばならぬ」
「……! ……! ……!」
王の言葉に納得がいかないのだろう。彼女は右手を自身の胸に当て、目をカッと見開きながら何かを訴えている。そして、俺を指さしながらさらに何かを訴えている。察するに、こんな出来事が起こったのは、全ては俺たちがこの城に来たからだ、私はそれを排除しようとしたのだ……といったことを言っているのだろう。とても見苦しい光景ではあるが、何となく、彼女の取り乱した様子は、哀れみさえ感じられる。
「……」
エルフ王は彼女の傍まで来ると、じっと彼女を見つめ続けている。だが、彼女は足を踏み鳴らしながら、必死で何かを訴えている。
「……もうよい。それ以上、言うな」
エルフ王の悲しそうな声が響き渡った。俺の位置からは彼の背中しか見えないが、おそらくその心中は苦悶に満ちているのだろう。その顔が左右に揺れている。
「我は、そなたの命を奪いたくはないのだ。……わかるな?」
王妃の表情は固まったままだ。そんな彼女を、エルフ王はしばらく眺め続けていたが、やがてクルリと踵を返し、スッと右手を挙げてなにやら指示を出し始めた。部屋にいたエルフたちが戸惑いながらも動き出す。
「ひっ! キッ! アッ!」
何とも言えない奇声が聞こえたかと思うと、王妃が若いエルフたちに両腕を取られて引き立てられていた。彼女はプライドを傷つけられて怒っているのか、恐怖を感じているのか、よくわからない、何とも言えない表情を浮かべながら部屋を後にしていった。その様子をエルフ王は全く見ようともしなかった。
「リノス様……」
シディーがミークを伴って俺の傍にやって来た。そして、俺に抱きつき、その小さな顔を擦りつけてきた。彼女は身長が低いために、その顔が俺のみぞおちの位置にくる。そこを圧迫されると少し苦しいのだが、今回は我慢することにしよう。
「相変わらず、仲が良いのう」
ミークが意地悪そうな笑顔で冷やかしてくる。俺は彼女にウインクを返すが、その意味は分かってもらえなかったらしい。不思議そうな表情を浮かべている。
「先ほど、父上がそなたに張っている結界を解除するよう命令しておいでじゃった。魔法は使えるかえ?」
おおう! そんな命令が出ていたとは! 俺は体の魔力を集中させて、ライトの魔法を出してみる。すると、かなり大きなライトがボンという音と共に出現した。
「よかったのう」
「よかったです、リノス様」
シディーとミークが笑顔になっている。俺も笑顔で彼女たちに頷く。
「すまぬが、一つ、助けてやってたも」
ミークが何やら指さしている。その方向に視線を移すと、オルトーの攻撃で傷を負ったエルフたちが治癒されている光景が目に入った。
かなりひどい火傷を負っているのだろう。数名のエルフたちが何度も回復魔法をかけているが、なかなか治癒されていない。特にあの左腕は壊死してしまっているんじゃないだろうか。そこだけが、全く回復しているように見えない。
俺はエルフたちの側に行き、LV5の回復魔法をかけてやる。すると、黒い部分がスッとなくなり、白い肌が蘇った。エルフたちは驚きの表情で俺を眺めている。……そんな、悪魔を見るような目で見ないでくださいよ。
ここに居続けるのもどうかと思った俺は、フッと笑顔を見せてその場を離れ、シディーたちの許に戻る。ふと見ると、完全にこと切れたオルトーの亡骸が転がっていた。俺はそれに向けて鑑定スキルを発動させる。
……断片的にしか情報は拾えなかったが、彼がレイラを殺している犯人であることはわかった。驚いたのは、シディーが推理したことがほぼ当たっていたことだ。これなら驚きもするだろうし、突然激高したことにも納得がいく。
そのとき、俺の傍にエルフ王が近づいて来た。彼は悲しそうな目で俺を眺めていたが、やがて、片膝を突いたかと思うと、その頭を深々と下げた……。