第四百二十六話 オルトー目線
「クッ!」
一瞬、オルトーの腕の力が弱まった。その隙に俺は素早く体を地に伏せ、転がりながらその場を離れる。
「ハアッ!」
起き上がった瞬間にオルトーからファイヤーボールが飛んでくる。それをすんでの所で躱す。背後では悲鳴のようなものが聞こえたが、心配している余裕は俺にはない。
……やはり、結界が破られている。
たった今の攻撃は、かなりの熱さを感じたのだ。これは即ち、俺の結界が機能していないことになる。だが、ふと見ると、オルトーの左手が真っ黒に焦げたような色に変わっている。すぐ足元を見ると、ボール大の、水晶のような球体が転がっていた。
「結界さえ破ってしまえば、貴様はただの人族。私の左手を犠牲にする価値は十分にある!」
ヤツは不敵な笑みを浮かべながら、残った右腕に炎を纏わせ始めた。おいおい、俺の後ろには大勢のエルフがいるというのに、火魔法をぶっ放す気か? お前はマジでクズ……って、俺の後ろには誰も居ない!!
「フッ!」
一瞬、後ろを見ている間に、ヤツの右腕から炎が迸った。まるでドラゴンが襲ってくるように、長い火柱が向かって来る。俺は傍にあった剣を手に取り、炎に対峙する。
「リノス様ぁ!」
女性の金切り声が響き渡る。これはシディーの声だ。
◆ ◆ ◆
……殺った!
オルトーは自身の勝利を確信していた。どんな策を講じても破れなかったあの男の結界を破り、そして、その命を奪うことができた。彼の心の中は満足感でいっぱいだった。
許せなかった。数ある種族の中でも最も優れた種族であるエルフが、人族などと言う下等な生き物に敗北するなど、あってはならないことだった。
このリノスという男は、最初から気に入らないどころか、憎悪の対象だった。まず、麓の転移結界に張られたあの結界。中に収められていたラトギスの杖を取り出そうにも、どうやってもその結界を解除することができなかった。エルフの知識と頭脳を駆使してもビクともしない結界……。こんなことが起こるなど、信じられることではなかった。
そんな恐ろしい者を、王は里に案内せよと命令した。理解ができなかった。薄汚い人族を里に入れるなど……。いかにジャニス姫を伴っているとはいえ、人族を里に入れるなど、許されることではなかった。
そこにいくと、王妃であるワートキー様は、よくわかっておいでだ。密かに人を遣わして、人族たちを消せと命令されたのだ。エルフの里を汚す者は、何人たりとも許してはならない。
だが、実際に会ってみるとこの人族は、予想を超えたスキルを持っていた。いかに鑑定しようとも、そのスキルは「結界LV2」と表示されるだけで、それ以上の情報はまったく得られなかった。エルフ族の中でも特に優れた鑑定スキルを持つ者をして、それだけの情報しか得られないのだ。通常であれば、対象者の過去までも覗き見ることのできる者であっても、だ。
……早急な対策が必要だった。このままでは、エルフの里が蹂躙される可能性がある。数百年前のヘイズの来襲の二の舞を演じるのだけは、何としても避けたかった。
そこでオルトーは、一族の中で最もスキルの高い結界師を集め、その者たちにあの男の能力を封じ込めるよう命じた。集められた結界師は14名。彼らは何重にもわたって男の能力を封じる結界を張ったが、いくら結界を張ろうとも彼の魔力は感じ取られた。それは、能力を封じ込められていないことを表す。
……焦りを隠すことができなかった。このままでは不味い。そのとき、心の中に、どす黒い策が思い浮かんだ。
……この男に、濡れ衣を着せて、エルフ全体の力で葬ればよい、と。
同時にオルトーは、一人の同胞を犠牲にすることを思いついていた。それは、レイラだった。
彼女は王妃様に仕える女官であり、堅実な仕事ぶりで主人からの信頼も厚い。だが、その一方で、人によって対応の仕方を変える性格だった。自分が好んだ者には心を開くが、そうでない者には徹底して冷たく当たった。オルトーに関しては後者の対応で、上司である彼が話しかけているにもかかわらず、聞こえていないような素振りをすることさえあったのだ。
オルトーはその黒い欲望を心に秘める一方で、それが絶対に悟られないようにすることも忘れなかった。人族の男たちに対しては努めて丁寧に振舞い、過剰なまでの接待を行った。そのお陰もあって彼らの信頼を得ることができた。そう考えた彼は、すぐさま計画を実行に移した。
仕事の合間を縫って城の外に出てツララを探し、手ごろな大きさの物を見つけると素早く切り取って戻った。そして、レイラを呼びだして、彼女の脇腹をツララで突き刺したのだった。
……我ながら見事だった。彼女は叫び声を上げることなく絶命し、屍を城の床に晒した。彼は素早くその場を離れ、仕事に戻った。
程なくしてレイラの死体が発見され、思惑通り、城の中は大混乱に陥った。オルトーはすぐさま王妃の許に参じ、この原因は人族が城に入ったことによるものだと報告したのだった。
全てが計算通りだった。完璧に事が運んでいた。あとは、王に人族たちの討伐を命じてもらうだけだった。だが、思わぬところで邪魔が入った。
まさか、子供の風貌をしたドワーフに、全てを見破られるとは思ってもみなかった。それどころか、犯人が自分であることを暴露され、あまつさえ、その事実を実に巧みに自分の口から話すように仕向けられていたのだ。
オルトーの頭の中には、完ぺきに事を運んでいたことが頓挫してしまったことの怒りと、ドワーフごときに見破られてしまった怒り、そして、エルフのこれまでの歴史を否定した人族の男に対する憎悪……。そうした負の感情がごちゃまぜになるという状態に陥った。
……もうこれは、この者たちを殺すしかない。
そう考えて、えりすぐりの部下たちを男に差し向けたが、男は見事な動きで攻撃を躱していく。さらにあろうことか、天井に放ってあった刺客さえも排除されてしまった。
ここに至っては、なりふり構っていられなかった。やりたくはなかったが、奥の手を使わざるを得なかった。
オルトーは男の動きを注視しながら、機会を窺う。それはすぐにやって来た。素早く男の背後を取り、自由を奪った直後、懐から魔吸石を取り出して、男にぶつけたのだった。
大きな賭けだった。エルフの体の半分は魔力でできている。魔力と肉体が結び付いているために、肉体の一部は魔力が具現化したものなのだ。魔吸石を素手で掴むという行為は、大量の魔力を吸い取られてしまい、エルフにとっては自殺行為にも近いものだ。自分自身も左手を失うはめになったが、男の結界は砕けた。十分に価値のあることだった。
オルトーは渾身の力を振り絞って、男に火魔法を放った。部屋にいた同胞たちは避難している。この位置ならば王に当たる心配もない。今度こそうまくいった。
「はあっ!」
男は黒焦げになるはずだった。だが男は、剣を上段に構えたかと思うと、それを素早く振り下ろした。その瞬間、男に向かっていた火魔法が彼の前で真っ二つに割れていく。一体、何が起こっている……? そんなことを考えた瞬間、その顔面に衝撃が走った。
「ぐはっ!」
膝がカクンと落ちて、ガタガタと震えだす。必死で目を見開いてみると、そこには、あの、人族の男が立っていた。
「きさ……ガッ!」
言葉を発しようとした瞬間、再び顔面に衝撃を受けた。グチャッという何かが砕けた音が聞こえる。気が付けば思わず尻もちをついていた。
「グッ……グゥゥゥゥ」
必死で右手に持っていた剣を床に突き立てながら、起き上がろうとする。男は拳を水平に構えた状態で睨みつけている。そうか、あの拳で殴られたのか。人族の分際で、私の顔を殴るとは……。いや、人族に触れられてしまった。何と汚らわしいことか……。
……切り刻んでくれる。
剣を構えようとしたそのとき、目の前の男が口を開いた。
「この、大馬鹿野郎がぁ!!」
そのドスの効いた声で、オルトーの体はすくみ上り、彼は動くことができなくなった……。