第四百二十五話 戦闘
俺はオルトーを眺めながら、ゆっくりと壇上から降りていく。彼は鬼の形相を浮かべながら睨みつけてくる。凶相……。まるで何かに取りつかれているかのような表情だ。心の底から俺を憎んでいるのか。だとしたら、これまで俺たちに応対してきたあの誠実さは、一体何なのだろうか。これほどの憎しみを抱えながら、屈託のない笑顔を見せることのできる、この男は、ある意味で最も恐ろしい化け物なのかもしれない。
オルトーの周囲には剣を携えたエルフたちが集まっている。その数およそ20人。それぞれがかなりの腕を持っていると見た。全員を相手にするのは骨だなと思いながら彼らを眺めていると、そのうちの一人が突然剣を抜き、俺に斬りかかってきた。
「……!」
紙一重のところで斬撃を躱す。その瞬間、俺の手刀が彼の首筋に落ちていた。若いエルフは驚いた表情のまま、ゆっくりと床に突っ伏した。
それが合図であったかのように、エルフたちが剣を抜いた。彼らの後ろには王妃が手を振りながら、何かを追い払うような動きを見せている。どうやら俺を早く殺せと言っているようだ。
俺はそれを見ながらゆっくりと壁際に移動する。これで背後から襲われる危険性はなくなる。「囲まれる前に退路を確保しろ」というのはエリルから習ったことだが、それと同時に、「囲まれそうになったら、壁を背にして戦え」とも教えてもらっていたのだ。まさか、あのときの特訓の成果が、こんなところで試されるとは思ってもみなかった。
ふと視線を上げると、ミークとシディーがエルフ王の傍に移動していた。どうやら彼が二人を守ってくれているようだ。その彼も、周囲の者に何やら命令をだしているようだが、その内容まではわからない。ただ、彼の傍でシディーはじっと俺を見つめている。拳をギュッと握り締めて、それを小刻みに上下させている。「悪党どもを懲らしめちゃってください」と言っているのが手に取るようにわかる。
俺は片目でその様子を眺めながら、もう片方の目でエルフたちの動きを観察する。彼らは俺の周囲を固めながら少しずつ距離を縮めてきていた。
……さすがに、できるな。
彼らの動きを見ながら、俺は心の中で唸る。配置が完璧だったからだ。これは、少しでも体勢を崩されれば死角に入られる。結界で守られているとはいえ、彼らのことだ。その対策は練っていることだろう。油断はならない。
「……!」
無言のまま二人のエルフが俺に斬りかかってくる。二人とも剣を上段に構えて、一刀両断にしようとするかのような体勢だ。
「ハッ!」
彼らの剣が振り下ろされた瞬間、俺の手は彼らの剣の柄を握っていた。タイミングをずらしていたとはいえ、同じ上段からの斬撃だ。対応することはそう、難しくない。
彼らは必死で俺の腕を振りほどこうと剣を引いている。無駄だ。俺はこの手を離す気はない。
「……!!」
そのとき、二人のエルフの間から、とんでもない速さで小柄なエルフが突進してきた。剣を水平に構えている。
ガアン!
何か、堅いものがぶつかり合うような音が響いた。エルフの剣が俺の体を貫こうとした瞬間、俺は片足でその剣を跳ね上げたのだ。
「ガッ!」
跳ね上げた剣の切っ先が、俺から向かって右手のエルフの顔面を貫いていた。彼は剣を手放したかと思うと、血を噴き出しながら仰向けに倒れていく。俺は素早く剣を奪い取り、剣の柄で小柄なエルフのこめかみを思いっきり打った。
「……!」
声を上げる間もなく、目をカッと開きながらゆっくりと倒れていく。その様子を、信じられないといった表情で眺めているもう一人のエルフ。その男に、俺は剣を握ったまま正拳突きを食らわせる。彼は鼻血を流しながら、たたらを踏んで後退していった。
◆ ◆ ◆
……エルフ族が滅亡する。
リノスの戦闘を見ていたエルフ王、ホンノワイチは心の中で恐怖を感じていた。目の前で繰り広げられている戦いは、一人の人族の男がエルフを圧倒している。いかに人数を揃えて戦いを挑んだとしても、彼を倒すことはできないだろう。このままでは彼一人に、エルフ族は敗れることになるだろう。王として、それは絶対に避けねばならないことであった。
『オルトー、止めるのだ! 今すぐ戦闘を止めるのだ!』
『殺すのです! 汚い人族の男を、殺すのです!』
自身の命令を打ち消しているのは、王妃であるワートキーだった。彼女はまるで、熱に浮かされたように殺せと命じ続けている。その様子を見ながら彼は、心の中で怒りに打ち震えていた。
……一体、何が不満なのだ。
すでに次期王は彼女の産んだ子に決定しているのだ。ミーク自身もそれは納得し、エルフの里を出て静かに暮らすことを宣言している。にもかかわらずジャニスを憎悪し、あろうことか、何の罪もない同胞を殺してまで、人族を陥れようとする彼女の考えが、彼には理解できなかった。
……あの者は気が触れている。
そう確信した彼は、周囲の者に命じて彼女を部屋に連れ戻すように指示を出す。だが、ほとんどの者が命令に反応しない。わずか数名の女性のエルフが、オロオロと戸惑っているだけだ。その他のエルフは皆、戦闘を眺めている。しかも、人族が倒されることを心から願っている。
……全ては、我の誤り。
彼は心の中でそう呟くと、傍らに控えている娘に視線を向ける。
『ジャニス』
『はい、父上様』
『ここを動いてはならぬぞ』
『どこへ行かれるのですか?』
『すぐに戻る』
そう言って彼は、傍らに置いてあった自らの剣を手に取った。そして、歩き出そうとしたその瞬間、人族の男が、自身に向かって剣を投げつけている光景が目に入った。
◆ ◆ ◆
……エルフたちの動きが、何やらおかしい。襲ってきた三人のエルフを倒した直後、俺を囲んでいた者たちが一斉に剣を鞘に納め、腰に差している小刀に手をかけた。接近戦を挑んでくるのだろうか。少々厄介ではあるが、俺には結界がある。スピードに自信があるのかもしれないが、あれでは俺の結界は破れない。一体、何をするつもりだろうか……。
そんなことを考えていたとき、僅かな殺気を感じた。この部屋に渦巻いている強い殺気の中に感じる僅かな殺気……。うっかりすれば見落としてしまうほどの微弱な殺気だ。全身でエルフたちの気配を感じるように、神経を研ぎ澄ませていたからこそ感じ取ることができた。
それは、天井だった。天井の一部から感じる僅かな殺気……。イヤな予感がする。その瞬間、俺を囲んでいたエルフたちが一斉に小刀を抜き、俺に向かって投げつけてきた。
四方八方から飛んでくるナイフのような小刀。俺は剣を構えてそれをはじき落そうとするが、やはり天井のそれが気になる。
「りゃっ!」
俺は飛んでくるナイフを躱しながら剣を持ち換え、それを天井に投げつける。
「ぐあっ!」
小さな叫び声とともに天井から何かが落ちてきて、ドサリと音を立てる。そこには細い管のようなものを握り締めた、小柄なエルフが倒れていた。一体、何なのだろう、コイツは?
そのとき、頭上に殺気を感じた。見ると、数人の小柄なエルフが、天井から剣を構え、俺に向かって落下してきているのが見えた。
「ちいっ!」
ゴロゴロと床を転がりながら攻撃を躱し、素早く立ち上がる。
「かかったな」
背後から声が聞こえる。振り向こうとしたそのとき、俺の体が太い腕で抱き留められる。
「オ……オルトー……」
背後にいたのはオルトーだった。彼は不気味な笑みを浮かべながら、満足そうに俺を眺めている。
「モウ、オマエハ、ニゲラレナイ」
これまで聞いたことのないような声で、彼はそんな言葉を呟く。
バリリリリリーーーン!!
その直後、何かが砕ける音がする。これって、まさか、結界が砕けた音、か……!?




