第四百九話 夜伽
俺たちの戸惑いをよそに、エルフ王はクルリと踵を返してスタスタと歩き出し、そして、そのまま奥に下がってしまった。彼の後ろをオルトーが焦った表情を浮かべながら付いていく。
その様子を、レイラは無表情のままで見送っていたが、やがてゆっくりとした歩みで俺たちの許に近づいて来た。
「ご案内します」
そう言って彼女は歩き出す。ミークも何のためらいもなく、彼女の後ろを付いていく。
「おい、ちょっと待て。さっきの話は」
「……」
俺の声でレイラは歩みを止めて俺たちに振り返ったが、その表情には明らかに侮蔑の色が出ていた。そして、無言のまま再び歩き出した。その様子からは、イヤなら付いて来るな、そのまま帰れという雰囲気がよく見てとれた。
だが、そんなイヤな雰囲気であるにもかかわらず、ミークはレイラの後ろに付いて、スタスタと歩いていく。
「行きましょう、リノス様」
シディーが毅然として歩き出す。その表情が俺にはあまりにも予想外の様子だった。思わず俺はシディーの手を握る。彼女はゆっくりと頷いて、二人の後を追おうと促してくる。
「絶対に守る。シディーのことは、俺が何としても守るから、安心しろ」
「リノス様……。ご安心ください。大丈夫です。リノス様が考えていらっしゃることは起こらないと思います」
「大丈夫って……」
「直感です」
「シディー……」
「それに、私はリノス様以外の男性に肌を見せることは絶対に、イヤです。この体を見られるのは、絶対に、イヤだ」
俺たちは固く手を握りながら、ただ無言で二人の後を追いかけた。
案内されたのは、ごく普通の部屋だった。ちょっと広めの印象だが、ベッドとテーブル、そしてクローゼットのような家具が供えられた部屋だ。ちょっとお高めのホテルの一部屋を想像してもらえるとわかるだろうか。
「あとで、お迎えに参ります」
「おい、ちょっ」
俺の言葉を聞き終わらないうちに、レイラは部屋から出ていってしまった。俺は彼女を追いかけようとしたが、シディーが俺の手を握ってそれを止めた。
「シディー……」
「ここに居ましょう、リノス様」
「ほんに、そなたたちは仲が良いのう」
「バカ野郎。そんなことを言っている場合か。さっきのアレは何なんだ」
「アレ、とは何じゃ?」
「お前、聞いていなかったのか? 夜伽をしろと言っていたぞ」
「父上がお望みなのじゃ、仕方がないであろう」
「ハア? 意味が分からんぞ?」
「この国で王の命令は絶対じゃ。父上がそう望まれたのであれば、誰も反対することができぬ」
ミークは事も無げにそんなことを言ってくる。俺は怒りを通り越して、呆れるほかはなかった。
「あれは確実に興味を持っている眼だった……」
シディーが誰に言うともなく呟く。いや、もしそれが本当だったら、彼女の操が危機に晒されていることになる。絶対に、何とかしなければならない状況だが、どうして彼女は落ち着いていられるのだろうか。
そのとき、ノックもなく部屋の扉が開かれた。見ると、背の高い、男だか女だかわからない中世的な風貌をしたエルフが立っている。そのエルフは、スッと俺たちを指さしたかと思うと、その姿勢のまま固まってしまった。
「体を清めよと言っておるぞよ」
「え?」
ミークの言葉に思わず俺たちは振り返る。彼女はコクコクと頷いている。一体何がどうなっているのか。俺は、再び扉に視線を向けるが、そこにはエルフの姿はなかった。
「……扉を閉めていかんかい」
小さな声で呟きながら、俺は扉を閉める。一体何なのだ、この城は。行儀作法というものを教えていないのだろうか。
俺は少し納得いかない感情を押し殺しながら、シディーの許に戻る。
「ほれ、あの水で体を清めるのじゃ」
見ると、ミークの後ろには洗面台のようなものが設えられていて、そこには満々と水が湛えられていた。
「それこそがロスサの水じゃ」
「え?」
俺は思わず水を見つめる。これがおひいさまがエルフとの関係改善を望む理由の一つである、ロスサの水なのか……。だが、俺には普通の水にしか見えない。
「それで体を洗えば、大抵の汚れは取れるはずじゃ」
「あのなぁ」
ロスサの水を見つけられた嬉しさはないとは言えないが、それよりも、このミークの淡々とした振る舞いが少し癪に障る。
「ミーク、お前よくそんな淡々として居られるな」
「うん?」
「うん? じゃねぇよ。さっき見ただろう? お前の父親が夜伽をせよと言ってきたんだぞ?」
「父上の眼鏡にかなったのじゃ。誇るがよい」
「お前、一体どういう神経をしているんだ? 夫の目の前で、その女房を夜伽させろなんて言うか、普通!?。どんな悪代官ぶりだよ!」
「アクダイカン? 何じゃそれは?」
「悪いヤツだということだ!」
「一体何を怒って……。ああ、そうか、わかったぞよ。うはははは」
「おい、何がおかしいんだ!」
ミークは腹を抱えて笑っていたが、やがて涙を拭きながら、俺に視線を移す。
「父上が二人に向けて色々と話しかけておったのだが、わからんかったようじゃの。まあ、それはそうじゃろうな。妾も父上のお言葉をわかるのに必死じゃったからの」
「どういうことだ?」
「父上はこう言っておいでじゃった。よくぞ来た。まずは別室で休まれるとよい。その後、ゆるりともてなそう……と」
「おい待て。夜伽をせよという言葉と全く話が繋がらないじゃないか」
「話を最後まで聞くのじゃ。そなたたちが父上に反応しておらんかったから、何度かお尋ねになられておった。それで、どうもこの二人にはわからぬようだと言われて、声を出してみようと仰せられたのじゃ」
「で、夜伽の話になるのか?」
「ちょっと待ってください」
シディーが声を上げる。彼女は俺の隣にやって来て、ギュッと手を握った。
「夜伽せよという言葉の前に王は、よい、と言っておいででした。あれはどういう意味なのですか?」
「ふぅん? ああ、あれはレイラが、このような下賤な者にお言葉など勿体のうございます、とか何とか言っておったのじゃ。父上はそれに対して、よい、と言ったのじゃ」
それを聞いてシディーは俺から手を離し、右手の人差し指を顎の下に付けて、考えるポーズを取った。
「もしかして、レイラさんというお方は……リノス様のことが、嫌いですか?」
「言うまでもないことじゃ。嫌いに決まっておろう」
「男性が、嫌い?」
「そうじゃな」
「それに対して、エルフ王様は、リノス様のことがお嫌いではない?」
「そうじゃ」
「おい、シディー。一体どういうことだ?」
「ええと……。もしかすると、もしかするとですよ? 言いにくいのですが……」
「何だ、シディー。もったいぶらずに教えてくれ」
「あの……もしかすると、エルフ王の寝室に呼ばれたのは……。夜伽を命じられたのはもしかすると、リノス様では……」
「はあ? 俺?」
あまりに荒唐無稽な話なために、俺は絶句する。そして、視線をゆっくりとミークの方向に向ける。
「何じゃ? 何を驚いたような顔をしておるのじゃ?」
「いや、エルフ王の夜伽って……」
「そなたじゃ」
「はあぁぁぁぁ??」
「やっぱり」
シディーがさも残念そうな表情で頷いている。ちょっと待て、何で俺がエルフ王の夜伽をしなきゃいけないんだ!
「エルフ王からは確かに、興味を持っている雰囲気を感じていました。そういうことでしたか……」
そう言うとシディーは俺の手を両手でギュッと握る。おい、何だ? 何で何も言わないんだ? 何か言ってくれよ……。
てゆうか、それはイヤだ。絶対にイヤだ。俺はそっちの趣味は全くない。新しい世界の扉をノックするのだけは、絶対にイヤだ……!




