第四百七話 招かれざる客?
そこは、エルフ王の住む城の謁見の間とは思えないほどの、簡素な部屋だった。
目の前には大きなカーテンが敷かれている。ただ、それだけの部屋だった。王の肖像画が飾っているわけでもなければ、豪華な鎧兜が備えられているわけでもない。山の中をくり抜いて作られているのだろうが、その壁は白く磨き抜かれている。だが、部屋自体は冷たい雰囲気を持っている。俺がこれまで見てきた謁見の間は、その国の威信を示そうとする姿勢がよく見てとれるものばかりで、どこも豪華で煌びやかなものだった。だが、ここはむしろ、冷たさを先に感じる。
目の前のカーテンの前に、一人の女性と思われるエルフが立っている。彼女は俺たちを睨みつけたまま、微動だにしない。その視線からは俺たちを歓迎している雰囲気は微塵も感じられず、むしろ、侮蔑の感情が向けられている。それはこの部屋に集まっているエルフたちからも十分すぎるほどに感じられる。
「そこでお止まり下さい」
静かな、しかし、感情を一切感じさせない声が響き渡る。部屋の中央辺りで、女性が立っている場所からかなり離れている。こんなところで立たせてどうするつもりだと思っていると、オルトーが俺たちを追い抜いて、スタスタと歩いていく。戸惑いながら彼の後姿を見つめていると、彼は女性のちょうど逆の位置で立ち止まり、こちらに振り向いた。
「膝をお付きください」
女性がさらに冷たく言い放つ。その口調が気に障るが、俺は粛々と膝を付こうとする。
「無用じゃ」
後ろから声がする。ミーク姫だ。
「そなたは、妾を救った恩人じゃ。畏まる必要はない」
「王の御前です」
ミークの声を、女性が言下に否定する。だが、彼女は黙っていない。
「この男とて、アガルタの王じゃ。そなた、無礼であるぞよ」
女性の雰囲気が変わった。明らかに怒っている。
「レイラ、もうそのくらいにしておけ」
オルトーが呆れたような表情で女性を窘める。彼女は表情を変えないまま、スッと俺たちから視線を逸らせた。彼はフッと息を吐くような素振りを見せ、スッとカーテンに向かって一礼をする。
スルスルとカーテンが上がる。そこには、白い衣装に身を包んだ男が立っていた。どうやらこれがエルフ王らしい。
「……」
誰も、何も言葉を発しない。ただ、静寂が部屋の中を支配する。
「ええと……この度は」
沈黙に耐えられずに俺が口火を切る。だが、その瞬間、目の前の二人をはじめ、その部屋にいたエルフ全員の視線が俺に向けられた。
「……!?」
予想外の反応だったために、俺も固まってしまう。再び沈黙が俺たちを包む。
「う……オホン、先に、名乗られよ」
オルトーが戸惑いのまま促してきた。
「ええと……。初めてお目にかかります、アガルタ国の国王をしております、バーサーム・ダーケ・リノスと申します。これに控えておりますのは、妻のコンシディーと申します。以後、お見知りおきをお願い申します。この度は、ミーク姫をお助けしまして、こちらにお連れしました」
「……」
再び沈黙が訪れる。……何だか、やりにくい。
そのとき、エルフ王が玉座につき、スッとオルトーのいる方向に体を傾けた。
「我が王……エルフ王・ホンノワイチは、大儀であると言っておられます」
「ありがとうございます」
……伝言ゲームかいっ! 喋った方が早いだろうに。ホンノワイチ……何だか、優しそうな名前だな。そんなことを思いながらも、取りあえず礼を言っておくことにする。
そのとき、ミーク姫がスッと俺の隣をすり抜けて、スタスタと王の許に向かって歩いていく。ためらいなどはまったく見られない。淡々と父の許に向かって歩いていく。そして、玉座の前に来ると立ち止まり、そこで彼女はしばらく立ち尽くした。
「……どうやら、会話を交わしているようですね」
シディーが俺の後ろで小さな声で呟いている。王と姫はじっと見つめ合っていて、よく見れば、王がかすかに頷いているようだ。
「うっ、うっ、ううう……」
まるで堪えていたものを爆発させるかのように、ミークが泣き崩れる。その様子を王は無表情で見つめている。だが、オルトーは目に手を当てて涙を拭うようなしぐさを見せている。一方で、レイラと呼ばれた女性は、相変わらず不機嫌そうな表情を隠そうともせず、その場に立ち尽くしている。
そのとき、王が涙を拭っているオルトーに視線を向けた。その瞬間、彼は王に向き直り、直立不動の姿勢を取った。そして約10秒。彼はミーク姫に体を向け、再び直立不動の姿勢を取った。すると、グスグスと泣いていた彼女も、オルトーに視線を向けて、二人は見つめ合う。
しばらくすると、ミークがクルリと踵を返して、スタスタと俺たちの許に戻ってきた。彼女は俺たちの目の前までくると、さも疲れたと言ったような表情を浮かべながら大きなため息をついた。
「大儀であった。ゆっくり休めと父上は言っておいでじゃ。これまでのこと、本当に、本当に感謝するぞよ」
「そ……それはよかった。それにしても、えらく疲れているように見えるけれど、大丈夫か?」
「久しぶりに父上と話したによって、な」
「ハッハッハ、アガルタ王は、我らエルフのことをよくご存じないのですな」
オルトーが笑みを浮かべながら話しかけてくる。彼は機嫌の良さそうな雰囲気を醸し出しながら、さらに言葉を続ける。
「我らエルフは基本的に言葉を交わしません。ちょっとした視線、体の動きや雰囲気で対話をすることが可能なのです。そのために、エルフの中でも言葉を操ることができる者も少なくなりました。私などは、言葉で伝えた方がよいと思うのですが、どうも皆、それはイヤらしい。困ったものです。ハッハッハ」
「そうですか。さすがはエルフですね。言葉を交わさずに会話ができるとは……。オルトーさんが言葉を操れてよかった。そうでなければ、我々はどうすることもできませんでした」
俺の言葉に彼は大きく頷く。聞けば、エルフの寿命は長く、平均して500年は生きるのだという。とりわけ、王族の寿命は長く1000年に渡って生き続けることもあるのだそうだ。
「おそらく、ロスサの水が関係しているのでしょうね」
オルトーの説明を聞きながら、シディーが呟く。その声に彼はピクンと体を震わせた。どうやら、図星のようだ。ちょうどいい機会だ、そのこともお願いしてみよう。
「そのロスサの水ですが、狐神たるおひいさまは、昔の通り、エルフ族とロスサの水を取引したいと申しております。何卒、よろしくご検討の程、お願いいたします」
俺の言葉を受けて、オルトーはエルフ王に視線を向ける。再び沈黙が訪れ、やがて、彼の視線が俺に向けられた。
「王は考えておくと仰せです」
「そうですか。是非、よろしくお願いいたします」
「承知した。せっかくはるばるこのエルフの里まで来られたのだ。ゆっくりとしていかれるがよい」
「いいえ、我々はこれでお暇致します。あまり長居をしましては、ご迷惑でしょうから……」
俺の言葉にレイラが小さく頷いたのを俺は見逃さなかった。何故、俺たちを毛嫌いするのか……。まあ、嫌いなのは仕方がない。放っておくことにしよう。
「それはならぬ。そなたたちは妾の恩人じゃ。礼をせねばなるまい。礼をするぞよ」
「いいえ、そんな、勿体ない」
「いいや、それでは妾の気が済まぬ。よいであろう?」
ミークがオルトーに視線を向ける。彼はちょっと戸惑った表情を浮かべたが、やがてにっこりと笑って、大きく頷いた。だが、その瞬間、彼の体がピクリと動いたかと思うと、驚いた表情を浮かべて、後ろに鎮座しているエルフ王に視線を向けた。
「……」
何度目かの沈黙が訪れる。一体どうしたことかと思っていると、彼は再び俺たちのいる方向に向き直り、戸惑いの表情を浮かべながら口を開いた。
「……王が、待てと言っておいでです」
「え?」
「あなた方に聞きたいことがあると、仰せです」
俺の背中に、冷たいものが流れた……。