第四百五話 エルフの里
「……うおお、何じゃこりゃ?」
俺は思わず声を漏らしていた。目の前に広がる景色が、想像を超えていたからだ。
そこには見事な街並みがあった。標高の高い山にあるとは思われぬほどの整った街並み……。家々は石を積み上げて作られているが、その屋根がとてもカラフルで、無節操に色づけされているように見えても、実はち密な計算をされて配色されているという感じもする。
俺は後ろを振り返り、ミークに視線を向ける。彼女にとっての故郷だ。さぞ、懐かしかろうと思っていたが、意外に彼女の反応は薄い。
「あれ? どうした? 懐かしくないのか?」
「妾の記憶にはない」
「どういうことだ?」
「リノス様、おそらくミークさんはエルフ王の姫です。ほとんどお城から出ることはなかったのではありませんか?」
「マジで?」
俺は思わず振り返る。その視線の先には、小高い山に建てられた巨大な城があった。
「まずは、お城に向かいましょうか……って、あれ……」
シディーが俺の腕を引っ張る。何事かと思って視線を向けると、そこには、先程のエルフの女性を始めとする数人が、俺たちの傍で立ち尽くしていた。
「お迎えに参上しました」
エルフの女性は小さな声で呟く。俺はその声を聞きながら鑑定スキルを発動していた。だが、彼女たちを鑑定することはできなかった。俺の気配探知に引っかからずに、すぐ傍まで距離を詰められていることを考えれば、ここではほぼ、魔法を使うのはできないのかもしれない。そんなことを考えていると、俺の背中に冷たい汗が流れる。
「……大丈夫です、リノス様」
シディーがニコリと微笑みながら、俺に語りかけてくる。何となくだが、彼女の表情は大丈夫だろうと確信させるものがあった。俺はエルフたちに向き直り、胸に手を当ててスッと腰を折った。
「ご挨拶が遅れました。私、アガルタ国で国王を務めます、バーサーム・ダーケ・リノスと申します。この度は手紙でも申しました通り、エルフ王の姫君であられるミーク様を……」
「その名を呼ばれるな」
エルフの女性が右手の掌を俺に向けながらそんなことを言ってくる。俺は戸惑いながら頷く。
「ミークという名は王のみが呼ぶことを許される名。ジャニス姫と呼ばれよ」
「は……はあ」
「ミークでよい」
俺とエルフの会話を聞いていたミークがそんな声を上げる。エルフは一切表情を変えないまま、彼女を見つめている。
「ずっとミークと呼ばれているのじゃ。今さらジャニスはややこしい。今日から妾のことはミークと呼べ」
「……それは」
「この者たちは、妾の面倒を見てくれた者たちじゃ。そのくらいは、構わぬ」
その声にエルフたちは動揺しているのか、無言になってしまった。
「あの……」
「案内する」
話しかけようとしたところに、かなり食い気味で返されてしまった。別に怒らなくてもいいじゃないか……。
「あれ?」
気が付けば、城の入り口に来ていた。どうやら先程の場所から転移したらしい。エルフたちが先導するようにその入り口に向かって歩いていく。俺たちもあわててその後ろに付いていく。
ふと後ろを振り返ると、エルフの里が一望できた。どうやらここは頂上付近にできたなだらかな傾斜を利用して街が作られているらしい。空は青いが、街の周囲は白く霞がかっていて何も見えない。かなり空気が薄いはずだが、今のところ息苦しさを感じていない。一体、どんな結界が張られているのだろう……。結界師としての俺の好奇心がムクムクと持ち上がってくる。
案内のエルフたちが城に入ると、そこは巨大なホールになっていた。その奥には大きくて長い階段があり、その前で数名のエルフらしき人々が控えていた。彼女らは真っすぐその人たちに向かって歩いていく。
「ようこそ」
俺たちが近づくと、控えていたエルフの中から一人の男が進み出て、丁寧にお辞儀する。彼は青白い顔色ににこやかな笑みを浮かべたまま、俺たちに話しかけてきた。
「バーサーム・ダーケ・リノス様ですね? お待ちしておりました。こちらにおいでいただけるかどうか少し不安でしたが、お見えいただいて恐縮です。私、エルフ王の側近くに仕えますオルトーと申します」
そう言って彼は俺たちに再びお辞儀をした後、ミークの前に進み出て、片膝をついた。
「お帰りをお待ちしておりましたジャニス姫様。このオルトー、姫様をお迎えできまして、この上の喜びはございません」
「じゃからミークでよいと申すに」
うんざりした表情を浮かべながらミークが口を開く。彼は少し驚いた表情を浮かべたが、やがて、俺たちを連れてきたエルフたちに視線を向けた。しばらくの間沈黙が訪れる。どうやら彼らの中でいろんな会話が交わされているようだ。
「なるほど……姫様がそう言われるのであれば……。ですが、我々は姫様の臣下でございます。誠に僭越ながら、これまで通りジャニス姫様と呼ぶことをお許しください」
「……勝手にせよ」
もう飽き飽きだという表情を隠そうともしないミークは、キョロキョロと城の中を眺めている。そして、どうもよくわからないと言った表情で首をかしげている。
「うん? この城も記憶にないのか?」
「この城は記憶にはない」
「何だそりゃ?」
俺は視線をオルトーに移す。彼は大きく頷きながら、ゆっくりと口を開く。
「誠に仰る通りです。ジャニス姫様は王族用の敷地でお育ちになりました。こちらまでおいでになることはなかったかと存じます」
彼は満足そうな笑顔を湛えながら俺たちに説明してくれる。
「ささ、こちらへどうぞ。ご案内いたします」
彼は笑顔を崩すことなく、俺たちを案内しつつ目の前にある階段に向かって歩き始めた。
「我らエルフと話されたことはおありですか?」
「いいえ。初めてです」
「そうですか。なかなか会話が出来なくて苦労されたのではありませんか?」
「そう……ですね」
「我らエルフは喋らずとも意思疎通ができます。しかも、外部との接触を断って数百年……。言葉を操ることも怪しい者たちが増えております。今回、姫様を迎えに参った者たちは、それなりの年齢のものを選びましたが、やはり久しぶりに外部の方と接触するにあたって、彼女たちも相当緊張したようです。そのためになかなか伝えきれなかった点も多かったようです。ご無礼の段、平にご容赦を」
オルトーは歩きながらそんなことを喋っている。先ほどの女性と比べればエライ差だ。そんな俺の驚きなど気にする様子もなく、彼は続ける。
「狐神殿からお話をいただいたときは、信じられませんでした。すでにジャニス姫様はこの世におられぬと思っておりましたから……。しかし、狐神様はなかなか姫様をお返しいただけませんでした。また嘘をつかれたと思っていた矢先に、あなた様からのお手紙……。しかも、ラトギスの杖までお返しになられた。あまりの急な展開に、我らもにわかに信じることができませんでした……。いや、エルフ族は猜疑心が強いものなのです。お許しください。とはいえ、お手紙の中にはジャニス姫様の魔力を感じることができました。これで、姫様は生きていると信じることができたのです」
「あの……。最初、私たちがフィルコン山脈の麓に行ったときは、私たちのことには気づかなかったのですか?」
シディーが不思議そうな表情を浮かべながらオルトーに質問する。彼は前を見据えたまま、ゆっくりと口を開く。
「気付いていなかったと言えば、嘘になります。むしろ、我々は当初は敵であると認識していました。このフィルコン山脈の麓まで来られたのです。それだけの能力を持つ者ですから、何としても討伐せねばならないと思いました。ですが……。姫様によく似た方がおいでになりましたので、攻撃を差し控えました。我々はその姫様でさえ、罠ではないかと疑っていましたが」
そう言って彼は俺たちに笑顔を向ける。俺は返す言葉が見つからず、ただ、苦笑いを浮かべるしかなかった。
その後、俺たちは迷路のような廊下を、かなり長い時間歩き続けた。何と言う広い城なのだろうかと驚く俺の一方で、シディーはずっと不思議そうな表情を浮かべていた。そして彼女は、人差し指を顎の下に当てて、何かを考え始めた。その様子に、俺を始めとする誰もが、気付くことはなかった……。