第四百二話 妻の助言①
久しぶりに疲れた。こんな日は、家で美味いものを食って、風呂に入って寝るに限る。そんなことを考えながら俺は帝都の屋敷に帰った。
屋敷に入るなり、子供たちが出迎えてくれる。つい最近まではエリルとアリリアが問答無用でダイブしてきたのだが、今はイデアとピアトリスがお帰りなさいと言って迎えてくれる。その後ろで、二人のお姉ちゃんが俺を迎えてくれている。いいお姉ちゃんになったなと思う反面、娘たちが俺から離れていくようで、ちょっと心寂しい。
俺はイデアとピアを抱っこして、その後でエリルとアリリアを抱っこする。この二人はいつまで抱っこさせてくれるのだろう。今年いっぱいかな……などと思いながら、ダイニングに入る。そこには、いつもと同じ美味しい食事がテーブルいっぱいに並べられていた。
いつもながら、我が家の食事は美味い。ペーリスだけでなく、フェリスやルアラの腕もかなり上がっている。それだけでなく、リコやメイ、シディー、ソレイユ、マトカルが交代で料理を作っている。妻たちの腕もかなりのものになっている。
ここ最近は、そこにエリルとイデアが加わるようになった。エリルは色々とお手伝いをしているが、イデアの方はほとんど遊びに近い。今は洗い物が大好きなようで、お皿を水でシャカシャカと洗っている。その様子をピアが楽しそうに眺めている。
食事が終わると、俺は子供たちと一緒に風呂に入る。かなり騒々しいが、子供たちの体を洗い、次々と風呂から上げていく。外にはリコとメイが待っていて、子供たちを着替えさせている。
そんなドタバタした時間を過ごし、子供たちが寝静まる頃になって、ようやく俺は一息つくことができた。誰も居ない寝室で一人、ベッドに寝転がりながら、今日のことを考える。
「俺がエルフ側の結界師ならば、間違いなくあの雪と同じ色の結界を張る。だが、魔力を察知されないような効果を付与するには、どうしたらいい……」
俺は目を閉じて誰に言うともなく考える。まだ俺が奴隷時代だった頃に、ファルコ師匠から口を酸っぱくして教えられたことは、「イメージが大切」ということだ。とすれば、魔力が外に漏れないようにするイメージを具現化すると言うことか……。だが、そもそもそれをどうイメージしていいのかすら、今の俺にはわからない。
「う~ん。師匠だったら、どんなことを考えただろうか……」
色々と思い出してみるが、何故かあの人のこととなると、女にフラれてへこみ、怒っている姿が思い出されてしまう。あとは……。猟奇的な目で俺に全力で火魔法を放ってくる姿だ。そうだ、その炎に隠れる形でエリルが斬撃を繰り出してくるのだ……。そういえば、あれは、今から考えても見事な連携だった。どこか、俺の知らないところで二人で練習していたんじゃねぇのか? ……いや、まさか二人に限ってそんなことは。大体朝起きるのが苦手だった二人に、そんな時間があるわけがない。そんなことを考えていると、思わず笑みが漏れてしまう。
「楽しそうですわね」
優し気な声と、上品な香りが俺の鼻を突く。これはリコだ。俺はゆっくりと目を開ける。そこには、髪を下ろした、パジャマ姿のリコがいた。彼女はイデアを抱っこしながら、美しい笑みを浮かべている。
「うん、ちょっと、師匠のことを思い出してね」
「まあ……」
リコは少し驚いた表情を浮かべながら、イデアを子供用のベッドに寝かせる。そして、彼に愛おしそうに毛布を掛け、その顔を撫でながらほっぺにキスをした。リコは、彼の寝顔を満足そうに眺めていたが、やがて俺のベッドに入ってきた。
「やっぱり、男の子のかわいさはひとしおなんだな」
「そんなことはありませんわ。エリルもイデアも、もちろん、アリリアもピアも……。子供たちは皆、かわいいですわ。ただ……」
「ただ、何だい?」
「イデアとピアは私に懐いていますから……。どうしても、気になってしまいますわ」
「そうか……」
確かに、エリルは生まれたときからマトカルにベッタリだったし、今もそれは変わらない。彼女は彼女なりに、リコのことはとても尊敬しているし、憧れてもいる。だが、リコに関しては、どちらかというと畏敬の念が強すぎて、なかなか傍に寄れないというのが正直なところのようだ。リコはその点を心配しているようだが、俺は、エリルが成長すれば、その距離感は無くなるものと考えているために、今のところは心配していないのだ。
そんなことを考えながら俺は、彼女に腕枕をする。そして、彼女の顔を見つめながら、今日あったことを話す。
「そうでしたの……。それはご苦労様でした。リノスが魔力が無くなるまで頑張ったことは、シディーから聞きましたわ。しかし、それほどまでしても、エルフの里がわからないとは……」
「ああ、おそらくヘイズの襲撃に備えて、万全の警備態勢を敷いているのだろうな」
「そのヘイズが、もうこの世にはいないことは、エルフには伝えていますの?」
「おひいさまが伝えたらしいんだが、伝わっているかどうかはわからないな」
「それほどまでに外部との接触を拒んでいるエルフですから、もしかしたら、それが伝わっていないかもしれないですわね」
「先に、俺の方から伝えてみる必要があるかもしれないな。だが、そうするとして、どうやって伝えるか、だな」
「そうですわね……」
リコはゆっくりと目を閉じる。相変わらず、美しい顔だ。俺はしばらくその顔をじっと眺める。
不意にリコの眉毛がピクリと動いた。そして、ゆっくりと両目が開かれる。
「手紙はどうかしら?」
「手紙?」
「ミーク姫に手紙を書かせるのです。ヘイズが死んだこと。できれば、エルフの里に帰りたいと思っていると手紙を認めるのです」
「そんなことで、エルフが動くかな?」
「やってみる価値はあると思いますわ」
彼女は体を起こして、じっと俺の顔を見つめる。
「エルフ王はミーク姫に会いたいと思っていらっしゃるのでしょ? にもかかわらず、リノスがフィルコン山脈の麓まで行っても、エルフ側から何の接触もなかった。むしろ、徹底して自分の存在を秘匿している……。エルフとて、自分の住む山の麓に誰が来たか、ということは把握しているはずですわ。おそらく、リノスたちがどういう意図をもって来たのかが図りかねているのではないでしょうか」
「なるほどな。そう考えると、ミーク姫に手紙を書かせるというのは、アリだな。あと、ヘイズが持っていたラトギスの杖……。あれは確か、エルフ秘蔵のアイテムだったんだろう? それも返すと言ってやれば、さらに心を開いてくれるかもしれないな」
「そうですわね。それはいいかもしれませんわね」
リコがにっこりと笑う。
「ありがとうリコ。何だか、ちょっと前に進みそうだ」
「お役に立てて、よかったですわ」
そう言って彼女は再びベッドに入り、俺の腕に顔をうずめた。俺は彼女の体を抱きしめる。
「……明かりを……消してくださいませ」
「……最近リコは、明かりを消したがるな。何かあったのか?」
「体が……年を取ってきましたから……恥ずかしいですわ」
「そんなことはないだろう」
俺はそんなことを言いながら、明かりを落した。
暗闇の中でも、リコの体は微塵も衰えていないことは、よくわかった。絹のような美しい肌は変わらないし、それに、プロポーションも全く変わりがない。きっと彼女は彼女なりに、俺の見えないところで努力をしているのだろう。それを一切感じさせないリコの気遣いが、俺には嬉しかった。
「リノス……今、エルフのことを考えていますわね?」
リコを抱きしめていると、不意に彼女の声が聞こえてきた。しまった。無意識のうちに、次の休みのときに、どうやってエルフとの接触の段取りを考えていた。俺は申し訳ない気持ちで、ゆっくりと顔を上げて、リコの顔を見る。薄暗い闇の中、彼女は潤んだ瞳で俺をじっと見つめている。
「今は、私のことだけを、考えて……」
俺はゆっくりと頷き、再びリコを抱きしめた。