第三百九十八話 退職希望
あれから三ヶ月が経った。旅に出た三名のドワーフたちは、順調にその行程を進んでいる。あとひと月もあれば、目的地に到着するようだ。
彼らの管理はシディーがかなり厳密に行っている。この三人は目を離すと基本的にサボる。最初の頃は、二日酔いと称して一週間、宿に泊ったままそこから動かなかったほどだ。そんな彼らを上手に叱咤激励し、時に脅したりしながら尻を叩いている。お蔭で彼らのペースも上がり、今では予定よりも早く目的地に着きそうなのだ。
彼らの体のメンテナンスは、メイが行ってくれている。彼女自身、かなり忙しいと思っていたのだが、意外とそうでもないらしい。アガルタ大学の学長に就任してからというもの、現場作業からは遠ざかってしまい、少しくらいなら時間の融通が利くらしい。夕方、ドワーフたちが帰ってくると、メイが診察を行う。そして、彼らの愚痴を聞きながらシップを貼ったり、薬を付けたりしてやる。大体時間にして30分もあれば事足りるのだが、メイのあの笑顔とスタイルの良さで、ドワーフたちはメロメロになっている。ヤツらがメイのストーカーにならないかが心配だが、シディーがちゃんと見張ってくれているので、その点は安心している。
「あともう一息ですね。頑張ってくださいね」
「おおメイちゃん、任せておけい! 儂らにかかれば、あと一日くらいは短く出来そうじゃぞい!」
「それは素晴らしいですね! 期待しています! 頑張ってください」
そんなやり取りをしながら、ドワーフたちは自室へと帰っていく。
「メイ、あまり無理をしなくていいぞ」
寝室でまったりとしながら、俺はメイを労う。だが彼女はゆっくりと首を振る。
「いいえ。あの方々を診察していると、何だか初心に帰れそうな気がするのです」
「初心?」
「はい。薬師の見習いとして、父や母を手伝っていた頃のことを思い出すのです。あの頃は何もわからずただ、母の言うことを聞いていただけでしたけれど、ちゃんと手で患部を触って診察をして、どうすればこの人の痛みや苦しみを取り除くことができるのかを考えていました。ドワーフの皆さんとお話すると、そのときのことを思い出すのです」
そう言って彼女はゆっくりと体を起こして、ベッドの上で正座をする。
「ご主人様、お願いがあります」
月明かりに照らされたメイの真剣な表顔が、一糸まとわぬその体が、とてもきれいだ。
「何だい、メイ」
「アガルタ大学の学長の職を、辞めさせてください」
「理由を聞いてもいいかい?」
「やはり私は、直接患者と触れ合いたいのです。ですから、学長という重職は、他の優秀な方に譲って、私は一介の医師として働きたいと思うのです」
「そうか。……そうだな。その選択もアリかもしれないな。ただ……」
「何でしょうか?」
「アガルタ大学に通っている学生たちの大半は、メイに憧れて入ってきていると思うんだが……彼らの思いは、どうしようか?」
「それは……」
「それに、サンダンジから留学しているシン君のこともある。彼のことは……。まあ、ルームメイトに任せておけば大丈夫かな」
「……」
メイは正座をしたまま項垂れる。俺はゆっくりと息を吐き出しながら、再びメイに視線を向ける。
「今、メイは一つ上のステージに上がろうとしているんじゃないかな」
「ステージ……ですか?」
「うん。今まではどちらかというと、目の前の患者を治癒することに集中していたと思うんだ。そのために知識を増やし、腕を磨いてきた。違うかな?」
「……はい」
「これからのメイには、メイのような薬師を、医者を増やしていく役割を担っていく段階に入ったと思うんだ。メイ一人だけでは限界があるだろう? でも、メイのような腕のいい薬師がたくさんいたら、それだけ多くの人々を救えると思うんだけれど、どうだろう?」
「……はい」
「これまでメイが努力して身に付けてきた知識や技術を、若い研究者たちに伝えてもらえないだろうか?」
俺の言葉に、メイは深く頷く。
「……そうですね。元々は、そのために大学をお作りになったのですものね。……申し訳ありません。色々と考えすぎてしまって、本来のことを忘れてしまっていました」
「最近は忙しかったからな。すまんな。俺も何か対策を打つべきだった」
「そんな……勿体ない」
「ところでメイ、寒くないか? 裸のまま座っていては、寒いだろうに」
俺のその言葉に、メイはハッとした表情を浮かべ、やがて、恥ずかしそうにベッドに横になろうとした。
「あ、ごめんメイ、そのまま」
「え?」
「あと10秒でいい。しばらくそのきれいな体を、見せていてくれないか?」
「……はい、喜んで。ご主人様がお気のすむまで、いつまでもこうしています」
「メイ……」
月明かりに照らされたメイの体は、本当に美しかった。結婚して、子供を産んでからも、メイのスタイルは変わらないままだ。これは、リコにもシディーにも言えることだが、俺の妻たちは、結婚や出産と言ったイベントがある度に美しくなっている気がする。何か俺に、そんな素敵なスキルが付いているのだろうかと思いつつ、俺は静かにメイを抱きしめ、そして、そのまま彼女をベッドに横たえた。
優しく彼女を抱きしめようとしたそのとき、逆に彼女から強く抱きしめられた。俺も、それに釣られるように腕に力を込めた。
実のところを言うとメイは、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた。世間からは『聖女』や『大賢者』と呼ばれ、多くの人から尊敬を集めている。だが、彼女自身は自分をそんな風に思ったことは一度もなく、ただ一介の薬師であり医者でありたいという思いを強く持っていた。
果たして自分は、そんな大きな期待に応えられるだろうか。いや、応えられないかもしれない。そうなった場合、俺を含めた家族に迷惑がかかる。それになにより、娘のアリリアの傍にいてやれないのが、ずっと彼女の心に引っかかっていたようだ。
言うまでもなく、アリリアはソレイユに懐いている。それはそれはもう、ベッタリだ。他人から見たら、確実に二人が母娘であると言うだろう。メイはアリリアを可愛がるソレイユに感謝しながらも、もっと母親らしいことをしてやればよかったという後悔があるようだ。だが、俺の目からは、アリリアはメイをとても尊敬しているし、自慢の母親だと思っている。お転婆でいたずら好きだが、メイの言うことは絶対に聴く。だからちゃんと手を洗うし、歯も磨くし、好き嫌いを言わない。彼女は彼女なりに母親を尊敬しているのだ。
俺はメイの背中を撫でながら、そんな話を聞かせてやる。アリリアは仕事をしているメイが一番好きなのだ。彼女のことはソレイユを含め、全員でフォローするから心配いらない。そして、仕事についても気負わず、目の前の仕事を楽しめばいいと話した。
大学の学長……などと言う仕事は、なりたくてもなれない仕事だ。いくら学問を愛し、大学を愛していたとしても、周囲が認めてくれないとなれない職業だ。言わば「人から請われてなる仕事」なのだ。そうした、誰に出もなれない仕事に就くことができた幸運を喜びながら、楽しんで仕事をすればいいと言ったところ、彼女は俺の胸の中でさめざめと泣いた。メイの涙を見たのは、いつ以来だろうか。
その後、メイは激しく燃えた。相当にストレスが溜まっていたのか、不安やプレッシャーから解放されたためか、朝になって疲れを覚えるほどに、その夜のメイは凄かった。毎回……というのはちょっとしんどいが、たまになら、ああいうメイも悪くない。彼女の新たな一面を発見して、かなり得をした気分だ。
ちなみに、リコが産んだエリルも、アリリアと同様、マトカルにベッタリだが、リコはリコでそれは良いことだと考えている。どうしても母親と娘であれば甘えも出る。将来、ヒーデータ帝国の皇后となる女性に育てるためには、母親の手ではなく他の女性に教育してもらうのが一番だと言っている。さすがは皇帝の第一皇女は違うなと思ったが、リコはリコで厳しいこと言いながら、エリルを一番心配しているし、一番かわいいと思っている。俺はこれでいいと思っている。
そんなことをしている間に、あっという間にひと月が経ち、いよいよドワーフたちは目的地にすぐそこまでにたどり着いていた。さあ、いよいよ俺の出番だ。




