第三百九十四話 急ぐべし
リコとの話し合いから数日、ミークの様子は激変していた。その変化の様子を誰よりも驚いていたのが、他ならぬおひいさまだった。
「……まるで、別人じゃ」
「ええ。俺もそう思います」
今、俺たちの目の前にいるミークは、帝都の屋敷のダイニングで、子供たちとおままごとをしている最中なのだ。数日前までの、男を求めて取り乱していたミークはどこにもいない、ただ朗らかに微笑みながら、娘たちとの遊びに興じる少女がそこにいた。
あの日以来、ミークはこの屋敷に寝泊まりしていた。まだ数日しか経っていないが、すでに子供たちとは打ち解け、今ではいいお姉さんになっている。そして夜は必ずリコが彼女と一緒に過ごしながら、他愛のない話に花を咲かせているのだと言う。
そんな状況であるために、ここ数日は俺の傍にはシディーがいることが多くなった。メイもそれなりにいてくれるし、二人っきりになれば、それはそれは俺に愛情を注いでくれるのだが、シディーはミークのことについて俺に話をしたいらしい。二人っきりになると、決まってその話を持ち出してくる。特に昨日の夜などは、ベッドの上で目を爛爛と輝かせて俺の両手を握りながら、こんなことを話していたのだ。
「ミーク姫は一刻も早くエルフ王の許に帰した方がいいです」
「まだ早くないか? もう少し様子を見た方がいいんじゃないか?」
「いえ、おそらくエルフ王は首を長くして娘の帰りを待っているはずです。それに、ミーク姫も父親のことを思い出したところです。時間をかければかけるほど、父親への思いは希薄になっていきます。今がそのいい機会だと思います」
「う~ん」
「一度、おひいさまに相談されてはいかがでしょうか?」
「そうだな。一度、相談してみるか」
「きっと、おひいさまもすぐに帰せと言われると思います」
「直感的にそう思うのか?」
俺の言葉に、シディーはゆっくりと頷く。
「わかった。明日、おひいさまの許に行ってくるよ」
「是非、そうなさいませ。そして、姫をエルフの里にお連れするときは、是非私を一緒にお連れください」
「シディーが? 何故だ?」
「何となく……です。何となく、私も一緒に行った方がいいと思うのです」
そんなことを言いながら、シディーは俺から視線を外した。
「シディー。何か隠しているな?」
「いいえ、何も」
「本当に?」
「……はい」
変な間が開いたなとは思ったが、俺は敢えてその点について話をすることはなく、いつものようにベッドに横になった。
そんなことがあっての今日、俺はおひいさまの許に行き、ミークの様子を報告したのだった。彼女はすぐさま屋敷にやって来た。そして、その様子を見ながら、誰に言うともなく小さな声で呟いた。
「これならば、エルフ王も怒るまい」
「おひいさま、その話ですが」
「なんじゃえ?」
「あのミーク姫ですが、なるべく早めにエルフ王の許に帰した方がいいのでしょうか?」
俺の問いかけに、おひいさまは目を閉じて考えていたが、やがてゆっくりと目を開いて俺に視線を向けた。
「そうじゃな。早いに越したことはないやもしれぬな」
「では……」
「そなた、頼めるか? エルフの里へは、断崖絶壁の氷山を登らねばならぬ上、凄まじい寒さに耐えねばならぬ。しかも、里の周辺の山々には折に触れてかなり強い風が吹いておる。相当の腕を持つ者をもってしても、そこにたどり着くのはほぼ、不可能じゃ。じゃが、そなたのスキルであれば、それらの条件でも問題なく里にたどり着くことはできよう。すまぬが、妾の頼み、聞いてやってはくれまいか?」
「ご主人、吾輩からもお願いするでありますー」
いつの間にかゴンが俺たちの傍に来ていた。彼は白狐の姿に戻っていた。
「これはおひいさまとエルフ王の関係だけではないのでありますー。我ら狐族とエルフとの関係が回復すれば、我々は多くの人々に功徳を与えることができるのでありますー。その結果、巷に住む人々にも多くの恩恵が受けられるのでありますー。そのことを汲み取っていただいて、是非、お願いしたいのでありますー」
「うーん。いや、彼女をエルフ王の許に送り届けるのは吝かではありませんが、問題はどうやってそこに行くかですね……。前向きには考えたいと思いますが、少し、考えさせてください」
「ふむ。妾とて、そなたに無理を頼んでおるのは重々承知じゃ。ゆっくり考えて……と言いたいところじゃが、あまり時間はかけられぬ。すまぬが、早めに返答をくりゃれ」
「承知しました」
「……」
「……」
しばらく沈黙の時間が続く。何か他に言いたいことがあるのかと訝る俺に、ゴンが申し訳なさそうに、小さな声で俺に呟く。
「ご主人……その……甘味を……」
「ああ、これは失礼しました。気がつきませんで。娘たちのオヤツにケーキを焼くところです。しばらく時間がかかりますが……。あ、お供えしておきますね?」
「うむ。苦しゅうない。あと、おはぎも」
「承知しました。今日中に拵えてお供えしておきます」
「うむ」
おひいさまは大きく頷く。そして、ゴンに何か二言三言の言葉を与えて、そのまま屋敷を後にしていった。
「……ふぅ~。相変わらず言うことが無茶苦茶でありますなー。狐使いが荒くて、たまったものではないでありますー」
ゴンが人化しながらそんなことを呟いている。聞けば、エルフの里へはゴンも同行するようにと命令されたらしい。その上、俺に新しいスイーツを開発するように伝えておけとも言われたのだそうだ。俺はその話を聞きながら、苦笑いを浮かべるしかなかった。
その後、俺はリコたちとミーク姫のことについて話し合った。結論はすぐに出て、満場一致で、彼女をエルフの里に帰そうということになった。ただ問題はその道中で、どうやらその行程はかなり厳しいもののようだった。それについては、メイとシディーが知っているということだったので、二人と話を詰めることにして、その場はお開きになった。
「エルフの里にたどり着くまでには、二つの山を越えねばなりません」
メイと二人で風呂に入りながら俺は、エルフの里への行程を聞く。里のあるフィルコン山脈は、標高が8000メートルを超えるらしく、そこにはほぼ、エルフ以外の生命は存在しないのだという。ただ、そこに至るまでには、標高6000メートル程度のムロック山脈を越え、その後、マスピス山脈を越える必要があるのだそうだ。このマスピス山脈は、標高が3000メートル程度らしいのだが、氷でできた山らしく、そこを超えるのには相当な困難が伴う。そこでは火が使えないらしく、暖を取ることができない。多くの冒険者がそこで命を落としていて、言わば死の領域と言われている場所なのだそうだ。
「そこまでたどり着けば、ご主人様の転移結界を使いながら移動することはできますが、問題は、その前にあるムロック山脈です。イリモちゃんの翼で超えることはできないと思います」
「ジェネハたちでも難しいかな?」
「おそらくは」
「う~ん。だったら、頑張って山を登るしかないかな」
「そうですね……。とはいえ、最後のフィルコン山脈も……」
「登ることを考えれば、かなりの労力を使う……か」
「一度、シディーちゃんに相談されてはいかがでしょうか?」
「シディーに?」
「はい。シディーちゃんであれば、もしかすると、山を越える方法を思いつくかもしれません」
「……そうだな。一度、シディーに聞いてみようか。早い方がいいな」
風呂から上がった俺は、寝室に向かう。シディーはメイが連れて来るということで、一人で待っていると、ほどなくしてメイがシディーを連れて部屋に入ってきた。
「ああ、シディーすまないな。ピアトリスは……ピアは大丈夫か? ちょっと三人で……」
「イヤです」
シディーがジトっとした目をしながら、俺を睨みつける。予想外の振る舞いに、一瞬キョトンとなる。
「三人は……イヤです」
「どうしてだ? 三人で一緒に……」
「絶対にイヤです! メイちゃんと一緒なら猶更です!」
シディーの目にみるみる涙が溜まっていく。そして彼女は声を殺して泣き出してしまった。
「す……すまん、シディー。気に障ったのなら、謝るよ……」
「ひどい……ひどいですリノス様……。私が自分の体に自信がないのを知っていて……。メイちゃんと一緒にって……。メイちゃんと私じゃ、全然違う……」
「あの……シディーちゃん、そうじゃ、ないのよ」
メイが戸惑いながら、やさしくシディーに声をかける。
「ご主人様は、エルフの里に行くための方法を三人で考えたいと思っていらっしゃいます。たぶん、シディーちゃんの思っていることとは……違うんじゃないか……と……」
「え?」
ガバッと顔を上げるシディー。その顔が、みるみる真っ赤になっていった……。




