第三百八十九話 命名と命令
あけましておめでとうございます。2019年も『結界師への転生』をよろしくお願い申し上げます。
「……よし、やっぱりあれだ。あれしかないな」
アガルタの都にある執務室で一人、リノスは腕組みをしながら考えていた。そして、たった今、その結論が出た。
彼は机に置かれている鈴を鳴らして、外にいる警備兵を呼び、これから出かけるので、今日はここには戻らないと告げた。兵士は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、やがて恭しく一礼をして、退出していった。
「さて……行くか」
そう言って彼は、いそいそと机の上を片付け始めた。
◆ ◆ ◆
「あっ、リノス様……」
驚いた声を上げているのは、マトカルだった。彼女は数日前に生まれた我が子を抱きながら、目を丸くして驚いている。彼は執務室から直接、彼女が入院しているアガルタ医療研究所に向かったのだった。
「こんな時間にどうしたのだ? 政務は……」
「ああ、いいんだ。今日はサボリだ」
そう言って彼は、ニコリと笑みを浮かべながら、傍にあった椅子にゆっくりと座る。そのとき、マトカルのベッドの下がモソモソと動いた。彼は目を見開いて驚きながら身構える。
「……だから言ったのだ。もう隠れるのは無理だ。出てくるといい」
天を仰ぎながらマトカルが呟く。すると、彼女のベッドの下から、かわいらしい女の子がひょっこり顔を出した。
「エリル!? どうしてお前がここに居るんだ?」
「う……う……う……」
「リノス様、怒らないでやってくれ。私が呼んだのだ」
「マトが!?」
呆気にとられるリノスに、マトカルはこれまでの経緯を説明していく。
「はぁぁぁ……。ナイショで来たとは……。よくバレなかったな」
「いや、おそらくバレている」
「どういうことだ?」
「きっとメイ様が気を利かしてくれているのだ。そうでなければ、エリルが来る時間に決まって、誰も居なくはならないだろう」
「……ごめんなさい」
目に涙をうっすらと溜めながら、エリルはぴょこんと頭を下げた。その姿はとても可愛らしく、リノスは思わず顔をほころばせる。
「ただ、おそらくエリルはリコ様には黙ってここに来ている。今はまだバレてはいないようだが……」
「わかった。リコには俺から言っておく。それにしてもエライな、エリル。一人で転移結界に乗ってここまで来られるようになったんだな……。もう立派なお姉ちゃんだな」
その声にエリルは、ちょっと嬉しそうな表情を浮かべながらコクリと頷いた。リノスは心の中で、おそらくリコも、この子がここに来ていることを知っていると悟った。心配性のリコが、エリルの行動に気が付かないわけがないのだ。それに、屋敷にはシディーもいる。この二人の目を掻い潜って子供のエリルが秘密で行動を起こすことは、ほぼ不可能に近い。聞けばエリルは、マトカルが出産する前からここに来ているのだそうだ。と、いうことは、リコもメイもシディーも、知っていながら敢えて何も言っていないのだろう。そう考えると、妻たちのこの娘への愛情の深さがわかって、リノスは少し幸せな気持ちになった。
そんなことを考えながら、再び椅子に座り、膝の上にエリルを載せて座らせると、リノスはマトカルに向けておもむろに口を開く。
「子供の名前なんだけれども……」
「ああ、決まったのか?」
「うん。すまないな。もうすぐ退院というところまで伸びてしまってな。名前については、いくつか候補を考えたんだけれど、ついさっき、決めたんだ。マトが気に入ってくれれば、それにしようと思っている」
リノス家では基本的に、子供が生まれたときは、その子を産んだ母親とリノスが相談して名前を決める、というのが暗黙のルールになっている。彼は生まれた子供の顔を見て名前を決めることにしており、先日生まれたソレイユの子供の名前を決めていたこともあって、マトカルの子供の名前を決めるのが遅くなっていたのだ。
「で、どんな名前にするのだ?」
マトカルが身を乗り出すようにして姿勢を正す。その雰囲気を敏感に察したエリルも父親の膝から降りて、マトカルの傍に控える。リノスはもう一度、じっとマトカルに抱かれている赤ん坊を見ていたが、やがてゆっくりと息を吐きながら口を開いた。
「名前は……ファルコにしようと思うんだ」
「ファルコ……。確かそれは……」
「ああ。俺に魔法を教えてくれた師匠だ。大魔導士ファルコの名前を貰おうと思うんだ」
「何と……。いいのか? そんな大切な名前を……」
「俺も色々と考えたんだけれどな。でも、この子には才能があるんだ。すでに『火魔法LV1』のスキルが付いている」
「えっ!? まさか……。そうか……。私はラマロンの皇国士官学校時代に、魔法の適性はないと言われていたのだが……。きっと、リノス様に似たのだろうな」
「どうだろうな。ソレイユが産んだセイサムは俺に似ているなと思ったけれど、スキルは付いていなかったな。この子は……俺に似ているかな? 何だか……師匠が生まれ変わったような気がするな」
そう言って彼女は、赤ん坊の顔を覗き込んだ。母親の腕の中で赤ん坊は、スヤスヤと寝息を立てている。その様子を見ながらマトカルは、微笑みを湛えながらゆっくりと頷いた。
「じゃあ、今日から、この子の名前はファルコにする。バーサーム・ダーケ・ファルコだ」
「ファルコ、いい名前!」
エリルが笑顔で赤ん坊の顔を覗き込んでいる。そして彼女はマトカルに視線を向けると、少し心配そうな表情を浮かべながら、小さな声で話しかける。
「マトちゃん……いつ、帰ってくるの?」
「ああ、心配ない。明後日には退院だ。あと、二つ寝たら、お屋敷に帰る」
「帰ってくるの!? わぁい!」
エリルが両手を上げて喜んでいる。その様子を、マトカルは愛おしそうな表情で眺めている。
「マトちゃん、帰ってきたら、剣を教えて!」
「ああ、そうだったな」
そう言って彼女は、再びリノスに向き直る。
「リノス様、エリルには剣の才能があるようだ。私に、剣を教えさせて欲しい」
「あれ? マトには言っていなかったか? エリルには産まれたときから、『剣術LV1』のスキルが付いていたんだ。是非、そうしてやってくれ」
「そんな話は、初めて聞いた……。なるほどな。道理でこの子の構えが美しいわけだ。誰にも教わっていないのにきれいな構えができたのは、才能持ちだったからか……」
「リコには俺から言っておくから、時間の空いたときに、エリルに剣術を教えてやってくれ。ただし、マトは出産直後だから、くれぐれも無理をしないようにな。メイと相談しながらやってくれ。そして、エリル」
「はい」
「マトちゃんから、いっぱい剣術を覚えて、とうたんに教えてくれな」
「うん!」
「そして、弟のファルコ君が大きくなったら、エリルから剣術を教えてやってくれ」
「うん、わかった」
「さて、子供の名前も決まったことだし、そろそろ俺にその子を抱かせてくれないかな?」
「そうだったな。さ、父上だぞ」
マトカルは赤ん坊を、まるで宝物を渡すかのように、ゆっくりと、丁寧にリノスに渡す。彼女から赤ん坊を抱き取ったリノスは、満面の笑みを湛えながら、ファルコと名付けられた我が子に、小さな声で話しかけた。
「お帰りなさい、師匠。今度は俺が師匠を守りますからね。あ、くれぐれも酒と女性は控えてくださいね」
眠っている赤ん坊の顔に、少し笑顔が浮かんだように見えた。
◆ ◆ ◆
ちょうど同じ頃、ゴンは一人、主人であるおひいさまの許を訪れていた。
「……よいか。万事、抜かりなく準備をするのじゃ」
「ウヘヘヘヘヘー」
まるで床に頭を擦りつけるようにして平伏するゴン。その様子をおひいさまは、凄まじい形相で睨みつけていた。彼女の周囲には、怒りを表す狐火が、いくつも現れていた……。




