第三百七十四話 報告
クリミアーナ教国の首都、アフロディーテ。白で統一された建物の中で、ひときわ白く輝く教皇神殿の一室で、教皇ジュヴァンセル・セインは、一通の書簡に目を通していた。
「ふぅん」
彼はそう呟いたかと思うと、ゆっくりと天を仰ぎ、大きなため息をついた。
「アガルタ王がこの世を去りましたか……」
誰に言うともなくそう呟いた彼は、ゆっくりと姿勢を正す。その彼の前には、一人の少年が控えていた。彼は、その少年に向かって、ゆっくりと口を開く。
「タナ王様に、最大級の賛辞を贈ってください。そうですね……。ポルメレニアの杖がいいでしょう。教国秘蔵のアイテム……それを下賜してください」
「承知しました」
「ただし」
彼はそこまで言うと、遠い目をして、あらぬ方向に視線を向ける。
「行方不明とあるヴィエイユ……。彼女の行方は、何としてでも探し出すよう厳命してください」
そこまで言うと彼は、再び視線を目の前の少年に戻した。
「それにしても、まさに、あなたの言う通りになりましたね。タナ国王のヴィル様に戦いのすべてをお任せしたお蔭で、主神様の教えを、天道に背く者を罰することができました。さすがは軍神、と言うべきでしょうか。それにしても、惜しいのはアガルタ王です……。主神様が夢枕に立たれるほど、クリミアーナ様に愛されたお方だっただけに……。ただ、現在は、主神様のお側でお仕えしている頃でしょうか。むしろ、アガルタにとっても、アガルタ王にとっても、よかったのかもしれません」
そこまで言うと彼は、顔に笑みを浮かべ、フフフと小さな声で笑う。
「さて……。これからのことですが、どうしますか?」
彼は目の前の少年に尋ねる。少年は迷うことなく、その質問に即答する。
「アガルタ王亡き今、あの国はもはや恐れるに足りません。ただ、あの国の背後にはヒーデータ帝国が控えています。皇帝の妹が嫁いでいるアガルタですから、ヒーデータとしては見捨てるわけにはいかないでしょう。従って、我らはヒーデータを天道に従わせるよう努力する必要があります。そのためには、タナ王様には、フラディメ国を併呑していただき、しかる後に、ラマロンに侵攻していただきます。そして、そこからヒーデータに圧力をかけ続ける……。長期戦にはなりますが、時間をかけねば、あの国は難しいと考えます」
その言葉に、教皇は大きく頷く。
「私も同意見です。成長しましたね、カッセル」
その言葉に、少年は恭しく頭を下げる。
「勿体ないお言葉でございます」
「片腕を失い、どうなることかと思いましたが……。よくぞここまで成長したと思います。いいでしょう。あなたに、お任せしましょう」
その言葉に、カッセルはスッと姿勢を正す。
「カッセル、あなたを次期教皇に指名します。私も長く教皇の地位を勤めすぎました。そろそろ、若い世代にこのクリミア―ナ教と教国のかじ取りを任せる時期が来たようです」
そう言うと彼は立ち上がり、ゆっくりとカッセルの前に進み出た。
「あなたの教皇就任は、年明けのジモークの頃にしましょう。それまで、気を緩めることのないように」
「畏まりました」
カッセルは恭しく一礼し、その彼の肩に教皇は、愛おしそうに手を置いた。
「……おかえりなさいませ」
部屋に戻ったカッセルを、一人の女性が恭しく一礼をして迎える。彼女はまだ、司教の身分ではあるが、カッセルの指名によって、彼の秘書を勤めている。そんな彼女の声にカッセルは全く反応せず、スタスタと机に向かい、どっかりと椅子に腰を下ろした。
「……次期教皇に指名された」
「……それは、おめでとうございます」
彼女の一切感情を込めないものの言い方に、彼は苦笑いを浮かべる。
「ああ。ところで、その後、ヴィル様から書簡は届いたか?」
「いいえ。未だ届いておりません。ただ……」
「ただ、何だい?」
「アウハイゼン枢機卿が、カッセル様のお命を狙っているという噂が出ております」
「そうか……。フフフ。放っておけ」
彼は不敵に笑いながら、何度も頷く。……もう、何度目だろうか、こうした暗殺の類は。これまで何度となく命を狙われて、傷を負ったのも一度や二度ではない。だが、その度に傷は治癒され、こうして生きることができている。そのために彼には、「不死の男」という異名まで付けられているのだ。これは、憎き敵であるアガルタ王・リノスの張った結界のお蔭であることは、カッセル以外の人間は知らない。
そのときふと、カッセルは、何かに思い当たったような表情を浮かべる。確かに、ヴィルから送られてきた書簡には、アガルタ王・リノスは死んだと書かれてあった。乱戦の中、命を落としたために、その体は酷く損壊しているので首を送ることはできないとあり、一瞬はその死を疑ったのだが、その隣には、その報告が確かなものであると言う、タナ国に遣わしている三人の枢機卿のサインが確かに記されていた。タナ王国には五名の枢機卿が派遣されているが、その中で、先の戦いに従軍した枢機卿全員がアガルタ王・リノスの死を確認しているのだ。そのために彼も教皇もその事実を認めたのだが、その枢機卿はもちろん、タナ王国に派遣されている枢機卿全員が、すでにヴィエイユの支配下にあることを彼らはまだ知らない。
カッセルは考える。リノスが死んだのであれば、自分に張られていたこの結界は、最早機能しないのではないかと。と、すれば、今後の自身の振る舞い方については、考え直す必要がある……。
「オレイブ」
「はい」
「さっき、アウハイゼンが僕を亡き者にしようとしているという噂があると言ったな?」
「左様です」
「……枢機卿のカーセオフに命じて、アウハイゼンを殺せ」
「畏まりました」
「それから、タナ王に手紙を送る。今から僕の言うことを書状に認めろ」
「はい」
相変わらず感情を込めない言い方で返事をした彼女は、スッと自分の机に座り、紙とペンを取り出した。その様子を見ていたカッセルは、おもむろに口を開く。
「書くべきことは二つだ。まずは、この度の大勝利、教国として最大級の賛辞を贈る。ついては、教国秘蔵の宝物を贈る……それが一つ目だ。そして、二つ目は……。行方不明になっているヴィエイユ姉さまの所在を何としても突き止めろ……。それを認めろ」
カッセルの声を聞きながらオレイブは、カリカリとペンを走らせていく。そして、書簡が出来上がると、彼女はそれをカッセルの許に持って行く。
「……まあ、いいだろう。もう少し、姉さまの探索については命令口調でもいいと思うが……。まあ、こんなものか」
そんなことを言いながら、カッセルは顎をしゃくる。オレイブは無言で一礼をして、その親書を持って、部屋を後にした。
「……姉さま」
一人になったカッセルは、椅子に座ったまま、誰に言うともなく呟く。この数年間、彼は教皇を通じて何度も彼女をアフロディーテに召還しようと試みたが、その全てを見事に拒否されていた。そんな彼女が、あろうことかアガルタ軍と共にサンダンジ国に現れたという報告を聞いたときは、彼自身、衝撃を受けたのだ。しかも、ヴィルからの報告を携えてきた使者と共に帰還した司教の一人から、ヴィエイユはアガルタ王・リノスの妾となり、在陣中は何度となく彼の陣所に呼ばれ、二人っきりで時間を過ごしていたという報告を受けていた。そうした噂はなかったわけではなかったが、現に戦場に従軍していた司教から直接聞く話は、カッセルに少なからず衝撃を与えたのだった。
「姉さま……何と言う……何と言うことを……」
彼はこぶしを握り締めながら、そんな言葉を呟く。当然この報告は、ヴィエイユ自身が流していたものなのだが、今の彼には、そんなことは知る由もなかった。
「僕の姉さま……。僕の姉さま……。探し出して、必ず……必ず僕のモノにする……。そして……永遠に僕のモノに……」
そこまで呟いたとき、不意に部屋の扉がノックされる。そして入室してきたのは、先程、部屋を出ていったオレイブだった。
「もう、手紙は出してきたのか?」
「はい」
「そうか……ならば、こちらに来い」
オレイブはカッセルに命じられるまま、彼の机の前まで歩を進めた。
「脱げ。そして、跪け」
カッセルの命令に、彼女は全く反応を示すことなく、淡々と服を脱ぎ始めた。
「おい、今日は、ちょっと僕を噛んでみるか?」
「ご命令とあれば」
「いや……やめておこう」
結界が無効になっていた場合、自分の体が傷つく……。そう考えたとき、ちょっとした恐怖を感じてしまったことに、彼は少し戸惑いを覚えていた。これではいけないと思い直しながら彼は、跪いているオレイブに視線を向ける。痩せているが、20歳という全身から若さを漲らせた、均整の取れた美しい体だ。
……姉さまの体も、このようなものか。
彼は目の前の裸身を見ながら、そんなことを考えていた。そして、ヴィエイユを捕らえた暁には、どのようにして彼女を自分に従わせようかと思いを巡らせながら、オレイブの髪の毛を乱暴に掴むのだった……。
軍神編、終了です。次回からは、間話「軍神編・後日談」に入ります。戦いの後の色々なエピソードを数話書きたいと思います。




