第三百七十一話 訪問者
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彼女は、俺とメイを見て、スッと頭を下げた。そして、伝令の兵士にチラリと視線を向ける。その意図を察した兵士は、一礼をして去っていった。
「ヴィエイユ、どうした? タナに向かったんじゃなかったのか?」
「ええ。我が軍はヴィル様らと共に、タナに向かっております。私はその途中で引き返して参りました」
「……一人で、か?」
「ええ。一人で参りました」
……どうもヴィエイユの話が俺の腑に落ちない。彼女は、サダキチに見張れと命じているのだ。フェアリードラゴンの目を掻い潜ったと言うのだろうか。彼女にそんなスキルがあるようには思えない。俺は舐めるように、彼女の頭の先からつま先までを観察する。
「恐れ入りますが、お人払いをお願いいたしたく存じます」
「うん? メイがいては、悪いのか?」
「はい。アガルタ王様に内々のお願いがございまして」
「メイがいて不都合だという理由がわからんが?」
ヴィエイユは俺の言葉に、薄笑いを浮かべた。そして、何かを決意したように、肩をピクンと動かした。
「では、申し上げます。私は、クリミアーナ教国の国主にして、その教皇であります祖父、ジュヴァンセル・セインをこの世から抹殺したく存じます。そのご助力をお願いしに上がったのです」
「それは以前、聞いたような気がするが? 助力……とは、具体的にはどういうことかな?」
彼女はフッと柔和な笑みを浮かべる。
「特に援軍は必要ございません。武器などの類も、必要ないと思っております」
「では、何を助ければいい?」
「二つございます。一つ目が、アガルタ王様の転移術、これをお借りしたく思います」
「……アフロディーテだっけ? クリミアーナの都に軍を一気に送るつもりか?」
「はい。今のところはそれが一番効果的な作戦であると考えますので。時期が参りましたら、是非、ご助力をお願いいたします」
「……で、助力の二つ目とは?」
「静観していただきたいのでございます」
「静観? お前がクリミアーナを滅ぼすのを黙って見ておけというのか?」
「いいえ。正直申し上げて、クリミアーナの駆逐は簡単に済むと考えております。問題は、その後でございます」
「どういうことだ?」
「近い将来、我々は、アフロディーテを占領いたします。その後、クリミアーナ教を信仰する国々との戦いが始まることでしょう。我々は、その国々を一つずつ占領して参ります。そして、我々に敵対する国々をすべて占領し終えましたら……」
「なるほど、お前は世界一の大国の主となるな」
ヴィエイユは微笑みを湛えたまま、ゆっくりと首を振る。俺はその意味が分からず、怪訝な表情を浮かべる。
「ここサンダンジ国を、私共の国に併呑いたします。それを、静観していただきたいのです」
「何?」
俺は目の前に「マップ」を展開する。そして、それをじっと見つめる。
「……なるほど。サンダンジを併呑すれば、アフロディーテの防御態勢は盤石になる……か?」
「さすがでございます。その通りでございます。私は、アフロディーテを奪還した後、そこに新しい国を建国いたします。新しき国の都は、やはりアフロディーテに置きたいと考えてございます。このサンダンジ国からアフロディーテまでは船で一日の距離……。しかも、遮るもののない一本道でございます。従って、サンダンジは戦略上、何としても我が国に属してもらわねばならないのです」
「このサンダンジがお前の国になれば、俺たちアガルタや他の国々からは、アフロディーテで行われていることが見えなくなる。その狙いもあるな? と、いうよりそれがお前の狙いか?」
俺の指摘に、ヴィエイユの体が一瞬動いた。どうやら図星を突いたようだ。
「……今はそこまでの戦略は考えておりません」
「そうか。だがなヴィエイユ、サンダンジにはニケさんがいる。あの人は相当手ごわいぞ? お前の思い通りにいくかな?」
「ええ。問題ございませんわ」
「ほう、強気だな」
「おそらく、私共がこの国を併呑するのは、十数年後でございます。そのとき、このサンダンジ国はおそらく、シン様が王位に就いておられるはずです」
「なぜ、そう言い切れる」
「それは、秘密です」
ヴィエイユはクスリと笑う。その笑顔は邪念のない、天使のような笑顔だった。
「シン君か……。今はお前に気があるようだが、人は変わる。数十年後までお前に惚れているとは限らないだろう」
「いいえ。きっとあの方は、死ぬまで私の虜でございますわ」
「何?」
「お聞き遊ばしましたでしょ? あのお方は、私に向かって、確かにこう仰いました。『サンダンジ・クエア・シン、鶴首してお待ち申し上げる』と」
「……」
「あのお方は、真名を明かしておられました。それが全てでございます」
「……すまん、よくわからん」
「ご主人様……」
メイが小声で俺を呼び、ヒソヒソと耳打ちしてきた。聞けばこのサンダンジ国の王族では、真名と呼ばれる名前を持っていて、それは家族だけの秘密にしているそうなのだ。それを他人に明かすことは、家族と認めると同じ行為になるそうで、そうしたことは、一生に一度あるかないかのことなのだと言う。つまりシンは、ヴィエイユを家族の一員と認めたことになり、言い換えれば、彼はヴィエイユにプロポーズをしたと同じことになるのだそうだ。
さらにメイの説明では、おそらくシンの妻や側室たちも、彼の真名を知らないだろうとのことで、それだけ彼は、ヴィエイユに心奪われていることになるのだそうだ。だが一方で、ヴィエイユ以外の者にも真名を漏らしているシンは、かなり浅はかな振る舞いだとも教えてくれた。
そう考えると、ニケはいつも俺に送ってくる書簡に、『サンダンジ・ウルハ・ニケ』と署名をしている。これは相当俺を信頼しているのだろうと思って一瞬、胸が熱くなったが、「ウルハ」というのはサンダンジ国で国王を表す言葉であって真名ではないと、後でメイが優しく教えてくれた。
「……おそらく、数十年後には、世界の勢力図は一変しております。おそらくアガルタ王様の許には、ラマロン、ニザ、フラディメを始めとして、ヒーデータあたりからも色々と協力を求められるかと思いますが、それらをすべて無視し、静観していただきたいのです」
俺はゆっくりと息を吐いた。この娘はいつ、このようなことを考えていたのだろうか。驚きを通り越して、呆れ果ててしまう。だが、彼女の言っていることは、単に妄想の域にとどまらず、かなり現実的ではある。俺はゆっくりと目を閉じた。
「アガルタ王様」
まるで、自分へ意識を向け続けろと言わんばかりに、ヴィエイユがすかさず声をかけてくる。思わず目を開いた俺に、彼女は真剣な眼差しを俺に向ける。
「むろん、アガルタ王様には、それなりの見返りを用意いたします」
「見返り?」
訝る俺の目を、彼女はじっと見ていたが、やがて、これまで見たこともないような真剣な表情を浮かべ、口を開いた。
「私の体を差し上げます。どの殿方にも、指一本触れさせたことのないこの体を、アガルタ王様のお望みのままにして下さいませ。このジュヴァンセル・ヴィエイユ、どんな姿態も厭うものではございませんわ」
「……」
ヴィエイユの顔が真っ赤になっている。そして、その目が潤みを増していく。何とも色気のある姿だ。
「アガルタ王様には、リコレット様を始めとして、メイリアス様、コンシディー様、ソレイユ様、マトカル様と、いずれ劣らぬお妃さまがおいでになります。その中の一人に私をお加え下さいとは申しません。ですが、私は何としてもアガルタ王様と体の関係を結びたいのです。これは、私の望みでもありますが、このアガルタのため、ひいては世界のためでもあるのです」
「俺とお前が男と女の関係になるのが、世界のためというのが、よくわからんが……?」
「そ……それは、その……」
ヴィエイユの顔にどんどん赤みが増していく。そして、耳まで真っ赤にした彼女は、両手を胸の前で組み、恥ずかしそうに俯く。その姿はまるで、好きな男子に愛を告げようとする少女のような趣があった……。




