第三百六十二話 腹の読み合い
夕方から始まったバーベキュー軍議は、結局深夜近くまで続けられた。食材をあらかた食い尽くした俺たちは、酒を片手に軍議を続けた。
当初俺は、サダキチ達に命じて、体が痺れる粉を上空から撒こうと考えていたが、それはニケの一言で却下となった。それとなくスワンプの気候について聞いてみたところ、そこでは常に風が吹いているのだと言う。しかも、そこで吹いている風は東西南北あらゆる方向から吹いているらしく、風の流れを読んで……というのも難しい状況なのだそうだ。それがわかっただけでも、今回、軍議を開いた甲斐はあったというものだ。
結果的には、全員が納得できる作戦を練り上げることができた。その詳細は、誰にも喋らないと言う約束なのでここでは明かさないが、かなり緊密な連携が必要で、皆、細心の注意を払う必要があるとだけ言っておく。
可笑しかったのはニケの息子のシンで、彼はヴィエイユにピッタリと寄り添って、二人はまるで恋人のように見えたことだ。二人は折に触れてボソボソと小声で話をして、クスリと笑い合う……。そんな微笑ましい光景が何度も見られたのだ。そう言えば、確かヴィエイユはシンより一つ年上……。まあ、似合いと言えば似合いのカップルだろう。
ただし、現実はそう甘くない。バーベキューが終わり、ニケが後ろ髪をひかれているシンを伴って本陣を後にした直後、ヴィエイユは衝撃的な言葉を小声で呟いた。
「バカな男ですわ」
その言葉に、残っていたクノゲンもルファナ王女も、驚いた表情を浮かべていた。これがカリエスやアーモンドに聞かれたら、おそらく彼女はキツイお小言を食らっただろうが、二人がいないタイミングを見計らって発言しているのだろう。この娘の強かさには、さすがに俺も目を覆いたくなる。
「シン君と二人、仲良くしていたじゃないか」
「ええ。あのお方の心を奪うなど、容易いことでした。ちょっと思わせぶりな姿勢を見せると、私の傍から離れないのですもの……。まあ、呆れるのを通り越して、むしろ、かわいいとさえ思いました」
「お前なぁ……。純朴な男子の心を弄ぶな」
「いいえ。あのお方は多くの女性を知っておりますわ。ただ……それは周囲の方々にあてがわれた女性たちでございましょう。ご自身から好きになって、何とかモノにしたいと思ったことなど、なかったのですわね」
「彼の初恋の相手がヴィエイユとは……。同情するよ」
俺のその言葉に、彼女は取り合うことをせず、ニコリと笑みを浮かべながら、じっと俺の目を見据える。
「私の体と心は、アガルタ王様に差し上げるのが私の望みでございます。それ以外の殿方には、指一本この体に触れさせるつもりはございません」
そこまで言うと彼女は、チラリとルファナ王女に視線を向けた。
「もっとも、私の体が見たいという殿方には、条件次第でお見せすることは厭いませんが」
その言葉にルファナ王女はギョッとした顔をする。そして、顔を強張らせたまま足早に本陣を後にした。その後ろをクノゲンが呆れたような表情で追いかけていった。
「アガルタ王様がお望みであれば、いつ何時でも、私をお召しください。どのようなご命令でも、喜んで従いますわ」
ヴィエイユの目が、トロンとしたものに変わっている。何とも艶めかしい、色気のある目だ。
「……お前、本当に、俺の言うことは何でも聞くのか?」
「はい。脱げと言われれば脱ぎます。どんな姿態も厭いません。ただ……」
「ただ、何だ?」
「他の男と交われ、というご命令だけはお断り申し上げます」
「何だそりゃ? 俺の言うことは何でも聞くのではなかったのか?」
「……」
ヴィエイユは真面目な表情になって、俺を見据えている。その瞳の奥には、何かの覚悟が見て取れた。
「他の殿方と交わるのであれば、すぐさま自決いたします。私は今までそう覚悟してまいりましたし、これからもその覚悟は揺らぐことはございません」
「……怖いな」
思わず俺は呟いていた。ヴィエイユが話している内容は、半分俺のストーカーになりますと言っているようなものだと思ったからだ。
「わかった。ではヴィエイユ、お前に命じる」
「ハイ」
「今すぐ……脱がなくていい! 今すぐ、自分の陣に帰って寝ろ。作戦決行は三日後だ。それまでに兵士たちを十分に休ませろ。そして、お前自身も……休め」
俺の言葉に、ヴィエイユは不満をあらわにしている。
「というより、お前ほとんど寝ていないだろう? 隠さなくてもいい。だが、睡眠は大事だ。あまり勧められたものではないが、ポーセハイにオモリという男がいる。そいつを向かわせる」
「薬……をいただけるのでしょうか?」
「いや、それも考えたが、あまりそれはよろしくないだろう。薬ではなく、オモリにフェアルドラドの定理について講義してもらうのだ。あまりに難解すぎて、それを聞けばわずか数秒で眠りの世界にいざなってくれると言う優れものだ。この俺なども10秒と持たなかった」
「うふっ、あはっ、アッハハハハハ……。面白いですわね。では……楽しみにしております」
「やはり、お前は腹の底から笑った方がいいな」
「え?」
「微笑み百面相は悪いとは思わないが、やはり、腹の底から笑った方が、かわいらしく見えるな」
「それを仰りたいがために、先程のお話を……」
「まあ、何だ。とにかく休め。そういうことだ」
ヴィエイユはわかったような、わからないような表情を浮かべながら、本陣を後にしていった。その後姿を見送りながら、俺は無意識に呟いていた。
「意外とウケたな。今度、メイにこのネタを試してみるか……」
次の日、目をカッと見開きながら、そのお話は是非聞きたいです! 眠るなんてとんでもありません。ご主人様も一緒に、是非! と言うメイ。その後、俺は眠気を必死で我慢しながら彼女と共に講義を聞いたことで、激しく疲れを覚えるのだが、このときの俺は、そんな未来が待ち受けているとは、知る由もなかった。
一方、タナ王国のヴィルの陣では、同じように地図を睨みながら作戦を練る幕僚たちの姿があった。その様子をヴィルは退屈そうな表情で眺めている。
「おそらく殿はサンダンジ軍だろう」
「退却するとなれば、最初にアガルタ軍が動くだろう。何と言っても名将・ラファイエンスを失っている。それに、兵の消耗も激しい。まずはアガルタ軍本隊を安全な場所に移し、その後ろを賊軍が追い、その後ろをラマロン、最後にサンダンジという順番だ」
「それを見越して我らは、カコナ川流域に軍勢を伏せておき、アガルタが引き上げて来るときにその横っ腹を突く。戦線は伸び切っておるだろうから、大将首は簡単に獲れるだろう」
「うむ、問題は、いつ敵が動き出すかということだ」
「待て、賊軍のことを甘く見すぎてはいないか? 奴らは兵を簡単に自爆させるような戦略を取ってくる。ジーギスの如く、我が軍に自爆隊の夜襲がかけられでもしたら、大混乱に陥るぞ」
「それは見張りを厳重にすればよいのだ。斥候も多く放っている。その点は心配あるまい」
「そなたたち、いい歳をしてわかっておらぬな」
「は!?」
不意にヴィルが呟く。彼はゆっくりと首を横に振りながら、大きなため息をついた。
「そのような、誰にでも予測できる作戦を、あのアガルタが取るとは思われぬ。考えても見よ。アガルタ、ラマロン、賊軍は何のためにこのサンダンジまで出張ってきているのだ。我らを壊滅させるために来ているのだ。にもかかわらず、おめおめと退却するなどと言う考えは、奴らには全くないであろう」
「では、国王陛下は、奴らはあくまで我らと戦うつもりであると? しかし、現在の状況では……」
「むろん、奴らが圧倒的に不利ではある。そうした状況下で考えることと言えば、策を弄して我らを壊滅に追い込むことだ。奇襲という手もあるが、それは無理であろうな」
「……」
「今、敵は魔法が使えぬ状態にある。ジェラニウスが健在である限り、奴らには魔法は使えぬ。と、なれば、何とか魔法が使える状態にしたいというのが自然というものじゃ」
「と、いうことは……」
「ジェラニウス達の影響が及ばぬ場所まで移動する……と考えるであろうな」
ヴィルは姿勢を正しながら、地図をじっと見つめる。
「儂がアガルタ側ならば、今の場所から南へまっすぐに移動する」
「陛下……そこは、何もないただの砂漠かと……」
「遮るものの何もない砂漠……。そこで兵士たちの傷を治癒し、あわよくば、我らをそこに誘い込んで、袋のネズミとするだろうな。魔法が使える状態であれば、アガルタにも十分勝機はある」
「我らが動かねば……」
「いや、我らをどのように動かすのか……その算段は考えているであろうな」
ヴィルは楽しそうに頷きながら、幕僚たちに命じる。
「アガルタから目を離すな。動きがあればすぐに知らせよ。……フフフ、奴らがどのような手を打ってくるか……楽しみじゃ!」
ヴィルは不敵に笑う。だが一方で、彼は右腕と頼むオクタの帰りを、今か今かと待っていたのだった。
彼の許に、アガルタ軍に動きがあったとの知らせが来たのは、それから二日後のことだった。