第三百三十七話 時は来れり
会議室の空気が張りつめている。まさか、ヒーデータ帝国が静観を決め込むなど、考えもしなかったからだ。俺は目を見開いたまま陛下に視線を向ける。
「悪く思わんでくれ、義弟殿。これには理由があるのだ」
「理由……と仰いますと?」
「うむ。我がヒーデータ帝国は国教をクリミアーナ教としておる。従って帝都をはじめ国内では多くの教会が建ち、教国の司祭たちが住んでおる」
「まさか、教国に味方する……そう言われるので?」
メインティア王が低い声で話しかけてくる。その様子に陛下はニコリと笑みを漏らす。
「我が国が教国に味方したとしても、どの国にも益は何一つとしてない」
「つまりは、だ」
グレモント宰相が身を乗り出すようにして、そこにいる全員に視線を向ける。
「我が帝国が動けば、自ずとクリミアーナに動きがバレる。いや、まあ聞きなされ。儂は常に最悪の状況を考えてコトを構えることにしている。アガルタとラマロンの精鋭部隊が留守にしている間、クリミアーナがどのような策を弄してくるのかわからん。従って我らは、アガルタとラマロンに事が起こったときに速やかに動ける体制を取ることにする。言わば、後詰の役割を担うのだ」
宰相閣下がそこまでいうと、何故か陛下がフフフと笑っている。
「宰相、苦しい言い訳だの? もはや隠し立てをせず、正直に言ってしまってはどうじゃ?」
「しかし陛下……」
「宰相殿が言えないのであれば、私が言いましょう」
そう言っているのはヴァイラス公爵だ。彼はスッと一礼をすると、さも残念そうな表情を浮かべる。
「実を言うと、我が今のヒーデータ軍は、軍として機能しておらず、とても実戦に投入できる状態ではないのです」
「どういうことだ?」
驚いた声を出しているのは、カリエス将軍だ。彼はヴァイラス公爵の言葉が信じられないといった表情を浮かべている。
「軍が軍として機能しないとは……こう言っては何だが、貴公らは何をされていたのだ? 怠慢ではないのか?」
「カリエス将軍の言われることはもっともです」
「これは私の責任なのだ」
ヴァイラス公爵を庇うように陛下が俺たちを見廻す。
「私とて兵は出したい。だが、軍の将軍たちが承知をせぬのだ。皇帝の権限で命令を出すことはできるが、それをすると必ずや軍の中には叛く者が出る。ヒーデータ帝国はそうした悪しき歴史を持っておるのじゃ」
「それを利用して、膿を出し切るおつもりなのですね?」
ヴィエイユが突然陛下の話に割って入る。皆、思わず彼女に視線を向ける。
「ヒーデータ帝国はアガルタ軍に合流すると勅命を出す。すると必ずや反乱を起こす者たちが現れる……。すでに背く者が誰であるのかはわかっている……。おそらくそれは、クリミアーナ教を盲目的に信仰する方々ですね? 軍は一旦、帝都を出て出陣する。そして、帝都では反乱が起こる。それを見越して出陣した部隊を帝都に戻して反乱軍を鎮圧する……そんなところでしょうか?」
「ど……どうしてそれを……」
「陛下、そしてヴァイラス様……」
驚くヴァイラス公爵に、ヴィエイユは数秒間視線を離さず、部屋の中には静寂が訪れていた。そして彼女はチラリと俺に視線を向け、さらに言葉を続ける。
「お二人とも、上手に嘘をお付きになりますね? おそらくこれは、陛下と宰相様が計画されたのでしょう。お二人から苦しまれた雰囲気が伝わって参ります。それにヴァイラス様も、何とかしてこのお二方を助けたいという思いが伝わりますわ。私、そうしたお方は嫌いではありません」
「そうか、それはよかった」
ヴィエイユの言葉に陛下が鷹揚に応えている。
「ヴィエイユ殿、見事な推察だが、私にはもう一つの計画があるが、それはお分かりかな?」
「もう一つの計画……でしょうか」
「うむ。私はその謀反を利用して、軍の反乱分子を排除する。そして、それに合わせて……クリミアーナの司祭とそれに類する者どもも排除しようと思っておるのじゃ」
「陛下……それは……」
「義弟……いや、リノス殿。我が帝国はクリミアーナ教とはこれを機会に縁を切る。すまぬが、そういうわけじゃ。許してくれい」
「よくわかりましたわ」
ヴィエイユの顔がパッと明るくなる。彼女は全員に視線を向けながら、よく通るきれいな声で滔々と語り始めた。
「軍勢につきましては、私が率います軍がそのまま皆様にお味方いたします。総勢は4万です。それにラマロン軍2万、アガルタ軍1万、そしてサンダンジの3万を合わせますと数の上ではタナ軍とは互角になります。あとは戦略をどう立てるのかが肝要かと思われます」
彼女の話に皆が頷いている。ヴィエイユはそれを見て、再び俺に視線を向けてきた。これは同意を求めているようだ。
「時は来た、というわけのようだな。そうだな……作戦としては……」
俺の言葉に、全員が固唾を呑んで耳を傾けた。
ちょうど同じころ、タナ王国側でも同じような会議が開かれていた。国境近くの街、その領主の広い館の中の一室で、こちらは緊迫した雰囲気はなく、作戦の段取りを淡々と確認するだけにとどまっていた。相変わらず国王のヴィルは機嫌のよさそうな笑みを浮かべている。そのとき、兵士の一人が一礼をして入室してきた。そして、小走りにヴィルの側に近づき、彼に耳打ちをした。
「そうか。大儀であった。下がって休め」
兵士にねぎらいの言葉をかけて下がらせた後、すぐに立ち上がって、目の前の幕僚たちに、まるで宣言をするかのように口を開いた。
「余の命が出たらすぐに動けるよう、準備を怠るな」
その言葉に全員が恭しく頭を下げた。
部屋を出たヴィルは、自身の居室には向かわず、屋敷の外に出た。そこには月明かりの中、一人の男が控えていた。その姿を見つけると、ヴィルは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「もう、よいのか?」
「ハッ。もう、すっかり」
「よくぞ戻ってきた。……オクタ。そなたを待っていたぞ!」
その言葉を受けて、控えていた男が顔を上げる。そこには以前のままのオクタの姿があった。
「回復するのにかなりの時間を要してしまいました。お許しください。しかし、ここまでの陛下の指揮は見事でございました。このオクタ、感服いたしました」
「フフン、言いおるわ。で、そなたの準備とやらは終わったのか?」
「ハッ、既にアガルタに向けて人を放ち、入り込むことに成功しております。私の方の準備も、整いましてございます」
「オクタ……見よ! 美しい月ではないか」
ヴィルに促される形で、オクタは視線を空に向ける。そこには煌々と輝く満月があった。
「この月の如く、我らの準備も欠けている部分がなくなったというわけじゃな」
「誠に。仰る通りだと思います」
オクタのその言葉に、ヴィルはこらえ切れなかったように、大声で笑う。
「もはや、サンダンジの命運は風前の灯火……。あとはアガルタ王をどのように料理するかだが……ヤツの命も既にわが手に握られておる。どのような末路を辿るのか……楽しみじゃな。この世界は我が掌中にあるも同然。この満月の如く、全てが満ち満ちておる。……誰ぞある!」
彼の一言に素早く兵士の一人が駆けつけて、片膝をついて平伏する。
「将兵たちに伝えよ。出陣は明日とする。各々、準備を抜かるなと申せ」
「ハハッ!」
自分の許を後にする兵士の後姿を眺めながら、ヴィルは満足そうに頷いている。
「これからは我が悲願の総仕上げ……オクタ、頼むぞ!」
「ハッ、お任せください」
恭しく頭を下げるオクタにヴィルは満面の笑みを浮かべるのだった……。




