第三百二十六話 惚れ直す
「……リノス本人に聞いた方が、よろしいですわね」
リコは呟きながら、ふぅーと息を吐く。その様子を、メイとシディーは心配そうな表情を浮かべながら、ゆっくりと頷いた。
事の起こりは、シディーからの指摘だった。それは普段と変わらぬ朝食のひとときだった。ワイワイと子供たちと共に摂る食事。皆、子供たちの様子を気にしながら、ペーリスたちが作る料理に舌鼓を打っていた。だが、リノス一人は、どこか気だるそうな雰囲気を醸し出していた。これを見たシディーは、その様子に胸騒ぎを覚えた。何か、重大なことが起こりそうな予感がしたのだ。
実際、ここ最近のリノスは政務に忙殺されているのか、ベッドに入ると、早々に眠ってしまう。この間も、彼女が寝室に入ると、既にリノスは眠ってしまっており、シディーはリノスを起こさぬようゆっくりと彼の掌の上に自分の顔を載せたのだった。
寝室に入ると既にリノスが眠っているというのは、リコもメイも同じだった。二人とも、単に疲れているだけだと思っていたのだが、シディーの話を聞いて、これは何かあると直感したのだった。
念のため、彼女たちはマトカルとソレイユにも話を聞いてみた。すると、この二人のときには、リノスは眠らずにいることがわかった。しかも、マトカルは多くを語らなかったが、ソレイユに関しては、ここ最近、夜が白むまで何度も求められることを、顔を赤らめながら語ったのだ。結局、ここ最近のリノスは、マトカルとソレイユにだけは、一晩中その傍を離れずに彼女たちを抱きしめていることがわかったのだった。
それを知ったとき、リコは一瞬、寂しい気持ちになったが、すぐに頭の中を切り替えた。リノスは妻たちを蔑ろにする男性ではない。もしかすると、何らかの理由があるのではないか。ヘイズとの一件以来、リコの中には、リノスに対するゆるぎない信頼感が生まれていた。そして彼女は、彼の話を聞くべく、ある日の昼下がりに、リノスの執務室を訪れたのだった。
「はい、どうぞー。……あれ? どうぞー」
執務室の扉がノックされたので入室を促したが、入ってくる気配がない。俺の声が聞こえなかったのかと思って、ちょっと大き目の声で返事をしてみたが、やはり誰も入ってこない。誰かのイタズラかと思っていると、扉がゆっくりと開く。
「失礼しますわ」
「……リコ⁉ え? なっ……どうしたんだ?」
俺は狼狽を隠すことができず、思わず立ち上がる。今の時期のリコは繁忙期で、俺の部屋に来る余裕などないはずなのだ。そこを無理して来たということは、重大な何かが起こったのか……はたまた……などと俺はその理由を考える。だが、何も思いつかない。思い当たる節はないことはないのだが……まさか……。俺は頭の中をフル回転させながら、リコの言葉を待つ。彼女は一切の表情を変えず、俺に視線を向けたまま、ゆっくりと口を開く。
「確かめたいことがあるのですわ」
「た、確かめたいこと……?」
「このところ、お疲れのように見えますわ。それは、マトとソレイユにご執心……。そのために、お疲れではないのですか?」
「うぇあ? いっ、いや、あの、その、あのですね。その……それがどうしたというわけではありませんが、その、何ですよ。何といっても、あれなのですよ。ええ、そうなのです。あれですよあれです。ええ、そういうことでその……何にしましょう?」
「リノス、落ち着いてくださいませ。別にあなたを責めているわけではありませんわ」
「ううう……」
「別に、マトとソレイユに愛を注ぐのは構わないのです。ただ、いきなり……な気がするものですから、何かあったのかと心配になったのですわ」
「あの、いや、その、別にですね、どうしたというわけでは……」
何と答えていいのかわからず、シドロモドロニなってしまう。これはいかん。これではいけないと焦っていると、いきなりリコに両肩を掴まれた。驚いて彼女の見ると、そのかわいらしい顔が、俺のすぐ目の前にあった。
「リノス、落ち着いて。大丈夫。私は、あなたを絶対にキライにはなりませんわ」
「ううう……リコ……」
俺はゆっくりと彼女を抱きしめた。
「落ち着いてくださいませね。屋敷ではペーリスやルアラたちもいますし、子供たちもいます。二人で話ができるのは、ここが一番だと思ったのですわ。お仕事の邪魔をしたことは申し訳なく思っています。怒らないでくださいませね」
怒るも何も、リコは俺のことを心配してくれているのだ。感謝しこそすれ、怒るなどとはとんでもないことだ。
リコは俺を椅子に座らせ、自分も傍らにあった椅子を持って来て、俺のすぐ隣、お互いのひざとひざを合わせるようにして座る。そして、俺の左手を両手で握りながら、一体どうしたのです? とやさしく問いかけた。
「……いや、ソレイユとマトを見ていると、辛抱ができなくて、たまらなくなってしまうんだ」
俺は申し訳なさそうに口を開く。リコは真剣な表情で、それはいつから? どういうときにです? と質問してくる。
「ああ、いや、ひと月ほど前からかな? 別に、食事をしているときや、普段屋敷にいるときは何ともないんだ。でも……一緒に風呂に入って、寝室に行くと……その……」
「欲情が抑えられなくなるのですね?」
俺はコクリと頷く。リコの手の力が少しずつ強まっている。それに比例するように、俺の心臓の鼓動も、その速さを増していく。俺としても、これではいけないと思っているのだが、どうしたことか、歯止めがきかないのだ。完全に言い訳になるのだが、そんな俺の様子をソレイユはとても喜んでいる。むしろ、彼女の方に火が付いてしまって、俺を放さない。そんなわけで、ついつい夜が白むまで頑張ってしまい、精も根も尽き果てたようになって眠る。俺はクタクタの状態で起きるのだが、ソレイユは絶好調と言わんばかりに元気いっぱいに起きる。俺と同じで、ほとんど寝ていない状態なのだが、何故か彼女は元気なのだ。
「……まあ、ソレイユはサイリュースですから。それに、一週間に一度のことです。それほど負担にはなっていないのでしょう。でもリノスは、マトとも同じような状態になるのでしょう? それでは……体が壊れてしまいますわ。……わかりましたわ。リノス自身も何とかしたいと思っていますが、どうにもならないというのですわね? わかりました。私の方で一度調べてみますわ。これには、何者かによる陰謀を感じますわ」
「陰謀?」
「ええ。だっておかしいではありませんか。これまで私たちを平等に愛していたリノスが、突然心変わりをするとは思えませんわ。それを、今聞いた話で確信しましたわ」
「リコ……その……怒らないのか?」
「怒る理由がありませんわ」
彼女は優しい笑みを湛えている。そうだ、この優しい笑みだ。この笑顔が俺は大好きなのだ。いつもは厳しいことを言うこともあるリコだが、この笑みで人を癒すのだ。だから俺はもちろん、メイをはじめとする妻たち、フェリスたちや子供たちもリコを敬うのだ。俺は思わず彼女を抱きしめる。この笑顔に、リコに惚れ直してしまった。
そんな俺の背中を、リコはやさしく撫でてくれている。そして、小さな声で俺に囁いた。
「私たちはいつもリノスに守ってもらっています。今回くらいは、私の手でリノスを守らせてくださいませ」
「ああ、頼む」
リコは大きく頷き、ゆっくりと立ち上がり、扉に向かって歩き出した。そして、部屋を出ていくそのときに俺の方向を振り返った。
「……リノスのことも心配ですが、今の話を聞いては、マトも心配ですわ。女性の体はデリケートなのです。やさしく、やさしくしてあげてくださいませ」
「……ああ、わかった」
俺はその場で、しばらくはソレイユとマトとは入浴しないことと、一緒に寝ないことを約束した。その言葉を聞いてリコは力強く部屋を後にしていった。
このリコの行動力はすばらしく、彼女が調査に乗り出したその二日後、驚くべき陰謀が浮かび上がった。それを聞いて俺は、かつてないほどの戦慄を覚えたのだった……。
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