第三百二十話 引き金を引く者
パラ……パラ……パラ……。紙がこすれる音が部屋の中に響いている。
一人の老人が分厚い紙の束に視線を落とし続けていた。そして、その彼の前には、三人の若い男たちが直立不動の姿勢で立ち尽くしている。どちらかと言えば寒さを感じるこの室内で、男たちはうっすらと汗を滲ませている。
「うん?」
老人の一言に、三人は体を震わせて反応し、息を殺して老人の次の言葉を待った。そんな様子に気が付いていないのか、彼は紙の束から視線を一切外そうとしない。
「ふぅむ」
しばらくすると、一切表情を変えず、老人は頷く。三人の男たちは、安心したようにゆっくりと息を吐き出す。わずか数秒のことであったが、彼らは緊張のあまり呼吸をすることすらできなかったのだ。
「うむ、ようやった。ご苦労であった、下がってよい」
男たちは表情こそ変えはしないが、その全身からは言い知れぬ安堵感が漂っていた。彼らは一礼をし、ゆっくりと部屋を後にしていった。
「ふぅむ」
男たちを見送った後、再び手許に視線を落としているのは、フラディメ国のリボーン大上王だ。彼の手には、先程研究者たちからまとめられたレポートの束があり、それを何度も何度も目を通していく。
「これは、大発見じゃな」
誰に言うともなく呟く彼の顔には笑みが漏れていた。大上王はスッと顔を上げ、傍らの机に視線を向ける。そこには一通の手紙が置かれていた。その差出人は、彼が尊敬してやまない、アガルタ国の王妃であるメイリアスからのものだった。
メイは、オージンが吐き出した物体を調べる中で、それが不思議な効果を持つものであることを突き止めた。
調べ始めた当初、オージンの吐瀉物はオレンジ色のゼリー状のものだったが、一日が経過するとそれは、岩のように固くなった。さらに色も赤紫色のようになり、メイを始めとする研究者たちは、そのあまりの変わりように息を呑んだのだった。
色々と調べていくうちに、この物体には、それを手に持っているだけで、魔力を回復させる効果があることが分かった。だが、その効果は人によってまちまちで、リノスのような膨大な魔力を持つ者には期待したほどの効果は表れず、一方で、アガルタ医療研究所に併設されている病院で、主に初級の回復魔法で治癒を行う医師に対しては、劇的な効果が見られ、彼らはほぼ休憩なしで一日中回復魔法をかけ続けることができるようになっていたのだった。
こうしたことからメイは、医療研究所の協力国に対して臨床実験を依頼した。そこには当然、フラディメ国も含まれており、その手紙を受け取った大上王はすぐさま協力する旨の返書をしたためたのだった。
大上王は机に置いてあるメイからの手紙をゆっくりと広げる。整った美しい字だ。文字にはその人の人格が宿るというのが彼の持論だが、この手紙に書かれている文字からは一点の野心もなく、ただ純粋にこの石が持つ効果を研究したいという思いを感じ取ることができた。まさしくこれが研究に携わる者のあるべき姿だ。そんな彼女が、自分に対して研究を手伝ってくれというのだ。断る道理がない。しかも、その彼女が驚くであろう結果を得ることができたのだ。彼は手紙を折りたたみながら、満足そうに頷く。
さらには、この調査には、息子であるメインティア王も協力してくれていた。息子と何とか距離を縮めたいと願っていた大上王にしてみれば、予想外の結果も生んでいたのだ。
実を言うと彼は、息子の協力は全く期待しておらず、最初から自分と研究者たちのみでこの実験に協力するつもりでいた。だが、この話を聞きつけた息子は、研究者たちを城に呼び、さる人物に引き合わせたのだと言う。その人物こそオージンの父であるクワンパックなのだが、それは秘匿されていたことは言うまでもない。ともあれ、息子が引き合わせた貴族風の男が様々なアイデアを出したらしい。それを元に実験を繰り返した結果、この石は、30くらいのMPであれば一瞬で回復させる機能を持つものであることが分かったのだ。しかも、性別や年代によってその数値は変化する。つまり、この石が最も効果を発揮するのは、20代後半の男性であり、次いで女性。逆に最も効果の薄いのは、10代後半の男性という結果が分かったのだ。大上王の持つ紙の束はその詳細なレポートであり、そこには、なぜこうした効果が表れるのかの詳細が記載されていた。
彼はうれしかった。女性にしか興味を示さないと思っていた息子が、まさか、このような結果をもたらすヒントを授けてくれる知識人と交流していた。もしかしたら、息子は何かの研究を独自に行っているのかもしれない。もし、なにか行き詰っていること、困っていることがあるのであれば、助けてやらないでもない……。そこまで考えて大上王は首をゆっくりと振る。さすがに、息子は自分に助けてくれとは言ってこないだろうと。
そんなことを考えながら彼は机に向かい、メイに向けての返書をしたためようとペンを走らせた。そのとき、ふと彼の胸に思いついたものがあった。
「これを、皆で発表し合ってはどうだ?」
彼の頭の中に、以前思い描いた、フラディメ国での学会の開催が頭をよぎった。彼は目をカッと見開きながら、何度も何度も頷く。
「そうじゃ。学会を開こう。我が国で学会を開くのじゃ。さすれば、多くの国の研究者が集まり、我が国の若い研究者たちのよい刺激にもなろう。うむ、我ながら名案じゃ。あとは……メイリアス殿が見えられるかどうか、じゃな」
彼はそう呟くと、再びテーブルに視線を落とし、書きかけの手紙にサラサラと一文を加えた。
「ううむ……これでは上から目線過ぎるか? いや、メイリアス殿のことじゃ、このくらい書かねば、知的好奇心を刺激できまい」
そんな独り言を呟きながら、大上王は手紙を封筒に仕舞う。そして、同じような内容の手紙を、アガルタ王・リノスに宛ててしたため、それにも厳重な封蝋を施して、手を鳴らす。
「お呼びでしょうか」
「この……いや、王に伝えい。来年の春……3月か4月ごろに、全世界の研究者を集めた学会を開こうと思う。その旨の書簡をアガルタ王とメイリアス王妃に打診しようと思うが、王の考えを聞きたい……とな」
「ハッ、畏まりました」
長年側に仕えている家来が恭しく一礼をして退室していく。彼はその様子を眺めながらため息をつく。アガルタも巻き込んでの学会開催だ、よもや反対はするまいと思いながらも、学会には息子も同席し、そこに参加するであろう各国の王族と交流を深めてくれれば、と彼はため息をつきながら立ち上がるのだった。
伝言を受けたメインティア王は、次の日、早速、父に返答を寄こした。彼の主張は、学会を開催することには異議はないが、それに対して条件を二つ付けたい。それが了承されれば、王である自分自身も、学会の開催を手伝う、というものだった。
その一つ目は、学会の開催場所は、メインティア王が決めるというものだった。理由としては、場所によっては、軍事的内政的機密が外部に漏れるのを防ぐため、というもので、これに関しては、大上王は大きく頷きながら同意したのだった。メインティア王としては、アガルタから預かっているクワンパックの存在が外部に漏れるのを防ぎたかった、というのが本当の理由なのだが、大上王はその意図を大きく超えた解釈を行ったのだった。
王から示された条件の二つ目は、アガルタに逗留させている、側室のノレーンと息子のオンサールを帰国させたいというものであった。その言葉を聞いた瞬間、大上王の眉間に深いシワが刻まれ、使者として訪れた家来は、瞬時に直立不動の姿勢となった。
……大上王は、しばらく沈黙した後、一時的という条件で、二人の帰国を認めたのだった。




