第三百七話 戦いの後
「取り逃がしおったか……」
ドスの効いた声が響き渡っている。俺は恐ろしさのあまり、頭を下げて床に視線を落としたままだ。その隣で、ゴンは床に這いつくばりながら、頭の上で両手を合わせている。
俺は前日にあったヘイズの襲撃について、おひいさまの許に報告に訪れていた。それなりにお怒りにはなるだろうなと思ってはいたが、まさかここまでとは正直、予想していなかった。
俺の目の前にはカッと目を見開き、しかも左の目玉が真ん中に寄っているという迫力満点の顔をしたおひいさまが居るのだ。彼女は俺の報告を無言で聞いていたが、やがてゆっくりと両眼を閉じたかと思うと、いきなりカっと目を開いて、今のような表情になった。怖い、怖すぎる……。
彼女の前には、サンディーユが控えている。彼はおひいさまの様子に全く動じることなく、腕を組みながら天を仰いでいる。そして、ふぅ、と小さく息を吐くと、俺たちに視線を移し、ゆっくりと語りかけた。
「まあ、妖狐・ヘイズの襲撃を退けたのじゃ。まずは、大儀であったと言っておこう。リコレット殿がご無事で、何よりじゃった」
俺は無言で頭を下げる。そんな様子を見ながら、サンディーユは再び口を開く。
「じゃが、奥方の一人にほぼ完ぺきに化けおおせるとはヘイズめ、凄まじいスキルを身につけておるのじゃな」
「はい。体つきはもちろんのこと、喋り方、振舞い方、その他諸々の事柄についても、全く妻のマトカルと一緒でした。鑑定スキルを発動しましたが、現れたスキルは全く一緒でした。過去を覗けば違っていたかもしれませんが、スキルまでコピーするとは、ものすごいスキルだと思います。結界を張っていなければ、どうなっていたことか……」
俺の言葉にサンディーユはうんうんと頷く。
「もしかすると、エルフ王の許からミーク様を攫ったのも、そのスキルを用いたのやもしれぬな。それに、ヘイズに抱き着いておったのは、おそらくそのミーク様で間違いはなかろう。もしや命を奪われているのではと思っておったが、まずは無事が確認できて、重畳じゃ」
彼はそう言いながら、ふぅぅぅと息を吐き出した。そして、おひいさまに向き直り、恭しく頭を下げた。
「おひいさま、思うところはおありかとは思いますが、まずは、ミーク姫がご無事であること、エルフ王にお知らせしては如何でしょうか」
その言葉に、彼女は全く表情を変えないまま、ゆっくりと頷く。
「じゃが、あのヘイズのことじゃ。今後ますますヤツの動きは知れなくなるであろうな」
怒りのためか、悔しさのためか、おひいさまの体がわなわなと震えている。そんな様子を見ながら俺は、口を開く。
「そのことですが、おひいさま。実は、妻の体を調べているときに、そのヘイズの体に触ることができましてね」
「ほう」
「できるかどうかはわかりませんが、一応……」
俺は話をしながら、おひいさまの前ににじり寄っていく。そして俺は、おひいさまとサンディーユを交えて、ヒソヒソと話を始めるのだった。
「おい、もうそのくらいでいいよ」
煩わしそうな声を出しているのは、妖狐・ヘイズだった。彼は一糸まとわぬ裸のままベッドの上で仰向けになっている。そしてその体には、これまた一糸まとわぬ裸の少女がまとわりついているのだった。少女はヘイズの声を聞いて、髪をかき上げながらゆっくりと顔を上げる。
「まだじゃ、まだまだじゃ。こんなものではないはずじゃ」
「いや、もう傷は十分に癒えた。もういいよ」
ヘイズの声に、少女はニヤリと笑みを漏らす。
「されど、体はまだまだ妾を欲しておるではないか?」
「……」
「それに、まだ、妾には礼をしてもらっておらんからな?」
「……好きにするといいよ」
「うふっ、ヘイズはそうでなくては。まだまだ、こんなものではないはずじゃ。もっと……もっとじゃ……」
再び少女はヘイズの体に顔をうずめる。彼はその様子を、ため息をつきながらじっと見ている。そして、これがリコレットであったならば、さぞ……などと思う。あと一歩、あと一歩のところだった。手を伸ばせば触れられるところまで彼女は居たのだ。しかし、あのアガルタ王・リノスのまさかの攻撃で、全ての計画が水泡に帰した。これはどう考えても、自分の敗北だ。このような敗北感を味わうのは久しぶりのことだ。
ヘイズは最後の最後まであきらめなかった。致命傷を負いながらも、持てる魔力の全てを使って、リコレットを転移させようと試みた。しかし、その魔法は彼女には届かず、その姿は雲散してしまった。おそらく、リノスが事前に結界を張ったのだろう。一体いつそれを張ったのかはヘイズ自身も分からなかった。おそらく、リコレットと耳打ちしていたあのときに、何らかの仕掛けをしたのだろう。いや、だが、それが絶対とは言えない。
正直、ヘイズは驚いていた。あの、マトカルの体をコピーしたとき、本来であれば、その人の記憶の全てまでコピーすることができる自身のスキルが、記憶の一部しかコピーすることができなかった。おそらく、彼女には魔法で何らかの防御策がかけられていることを想定して、プリルの石を埋め込んだ杖を用いて攻撃するなど、万全を期したのだ。だが、魔法の効力を無効化したにもかかわらず、人化のクォリティーは自身が望む出来栄えとは程遠いものだった。それでも、易々とアガルタの都に入り込み、リコレットを呼びだすところまでは上手く運ぶことができたのだ。だが、まさかマトカル本人が、こんなにも早く自分の前に現れるとは思わなかった。しかし、ここに至っても、ヘイズは自身の変化のスキルには絶対の自信を持っていた。見破られるはずがないとタカを括っていた。そこを、リノスに突かれた。
気が付けば、心臓を貫かれ、左腕を落とされていた。ミークが助けに入らなければ、いかに自分と言えど命は危なかった。そういった意味で、ミークには感謝してもしきれない。
元々、このミークを連れてきたのは、リコレットのためであった。
ヘイズはリコレットを見つけ次第、連れ去ろうと考えていた。おそらくそのときのリコレットは激しく抵抗するだろう。そうなれば、彼女も何らかの傷を負うことになる。そうなったときのために、素早く傷を治癒できるミークを連れて来ていたのだ。
このミークには、驚異的な治癒能力がある。彼女が口の中から分泌する液体が、それなのだ。それを体内に取り込めば、たとえ致命傷といえども、命があるうちは完璧に治癒してくれる。実際、彼女のお陰で命を救われたことは、多い。
今回もかなり危ないところを救われた。うれしさはないとは言えないが、ヘイズの心は、全く晴れなかった。
二度までも狙った獲物を逃がしてしまった悔しさはもちろんある。だが、それ以上に、あのリコレットを奪うことが今後、さらに困難になることは容易に想像できる。あのアガルタ王・リノスはかなり優秀だ。クリミア―ナの人々やアガルタの都で聞いた話を総合すると、彼は結界スキルを持っており、それはかなりの高ランクのスキルであると言えた。
「スキルとしては……LV4か? それにしては、多彩だな。オリジナルのスキルに昇華させたか?」
ヘイズは天井を睨みながら、そんな言葉を呟く。彼には、ミーダイ国で見た、あの結界がどうしても合点がいかなかったのだ。あの結界を一人で生成し、それを幾日も持続させ続けるなど、不可能だ。
「……くっ。あの女の記憶を辿ってみても、あのアガルタ王とのことは断片的にしか出てこない。しかも……食事をしている風景ばかりだ。一体どうなっているんだ?」
彼は目を閉じて、マトカルの記憶を辿っていくが、リノスと会って以降の記憶が読み取れていないのだ。こんなことも、彼にとっては初めてのことだった。
「……間違いなく、おひいさまが動いているな。……狐族の眷属を動員してあのミーダイ国の結界を維持しているのか? いずれにせよ、今後は細心の注意を払って動かないとな」
そんなことを呟きながら、彼は自身の脇腹に視線を落とす。そこには、リノスに触れられて以降にできた、小さな、黄色いシミが浮き出していた。ヘイズはそのシミを見るたびに、イヤな予感が心に湧き上がってくるのだった。
「これからの動き方を、もう一度考えるか……。今度こそ、今度こそ、あの女神を僕の手に……。いつの日か、このベッドに寝かせてやる……そして……」
「うふふ、ヘイズ、ようやく元気になったようじゃ」
彼の呟きをかき消すようにして、ミークが声を上げる。彼女は口元をほころばせながら、ヘイズを見つめている。
「よし、じゃあ、この間のお礼をするよ、ミーク」
「うふっ、ヘイズはそうでなくては」
ヘイズはやさしくミークの頬に触れる。だが、その脳裏は、リコレットのことでいっぱいになっていた。彼は、目の前のミークの姿をリコレットに重ねながら、彼女を抱き寄せるのだった……。




