第三百四話 仕事始め
新しい年を迎えた。いつもと変わらぬ穏やかな年明けだったが、例年のようなノホホンとした雰囲気ではない。昨年の秋にサルファーテ王国が滅亡したことを受けて、アガルタでは対タナ王国の対策が進められていた。その中心となっているのが、メイ、シディー、マトカルであり、彼女たちはそれこそ、目の回るような忙しい日々を送っていたのだ。
しかも、タナ王国の対策を行うにあたって、かなり財政的な負担がかかることが分かり、それにも対応しなければならなかった。さすがにそれは、フェリスやルアラでは手に余る。そこで、12月に入った頃からリコが現場復帰し、その驚くべき処理能力で、アガルタの財政を見事に調整してくれていた。
これまでリコが帝都の屋敷で担当していたエリルらの子守は、今はソレイユが嬉々として携わっている。それはもう、子供と同じようになって一緒に遊んでいて、子供たちも、ソレイユをマミーと呼んで懐いているため、これはこれで上手くいっている。
そんな感じで、我が家は総出で事に当たっていたのだが、さすがに正月休みは全員で取ろうということで、ほぼ無理やり休ませることにした。メイやマトカルは根が真面目なために仕事が気になっていたが、そこはシディーが自信を持って問題ないと言い切ってくれたので、彼女たちも安心したようだ。
何より喜んだのが、子供たちだ。いつもは居たり居なかったりする母親がずっと居るのだ。皆、母親にベッタリと甘えている。その中でもエリルはお姉ちゃんとしての自覚が生まれて来たのか、かなりしっかりするようになり、弟のイデアの面倒も見るようになっていた。
父親としてはうれしいが、こうして成長していって、最後は自立して俺の許を離れてしまうのだろうなと考えると、ちょっと悲しみがこみあげてくる。
そして、正月休みを終え、俺たちはいつもの仕事に復帰した。だが、それからしばらくして、事件は起こった。
1月も終わりになろうとしていたこの日、新年を迎えたあいさつに訪れる貴族や各国の使者の数も少なくなり、ようやく新年のウキウキ感も薄れ、執務室でようやく溜まっている仕事に集中していたそのとき、突然マップが開いた。一体何事かと思って見てみると、都から数キロ離れた草原に赤いマークが示されている。その数およそ50程度。俺は窓を開けてサダキチを呼びだそうとした瞬間に、フェアリードラゴンがタイミングよく現れる。
『敵襲です』
『相手は?』
『アンデッドのようです』
『アンデッド? 一体いつ現れたんだ?』
『わかりません。警戒に当たっていたのですが、突然現れました』
『そうか、わかった。引き続きそのアンデッドを見張ってくれ』
『承知しました』
そう言ってフェアリードラゴンは姿を消した。俺は鈴を鳴らして人を呼ぶ。
「敵襲だ。将軍とマトを呼んでくれ」
兵士が部屋から去ると、俺は誰に言うともなく呟いた。
「ヘイズが、動き始めたかな……?」
しばらくすると、ラファイエンスとマトカルが執務室にやってきた。俺は二人にマップに反応があったことを告げ、どうやらアンデッドが出現したと伝えた。二人は俺の話に、顔を見合わせて、不思議そうな顔をしている。
「なぜ、アンデッドが……? いや、ない話ではないのだが……」
「ない話ではない、というのはどういうことだ、マト?」
「いやなに、人がアンデッドとして蘇るのは、死体に邪悪な精霊が宿ったり、死んだ者に強い恨みや憎しみがあり、それが空気中の魔力を取り込んだりする、というのが一般的だ。だが、昨年末から今まで、アガルタ国内で50名もの人間が死んだ、などということは聞いたことがないし、その上、このアガルタの精霊はソレイユ殿が完璧に支配下に置いている。アンデッドが出現するなど……解せんのだ」
そんなマトカルに、老将軍はいつものニヒルな笑みを浮かべたまま、諭すように口を開く。
「いや、おそらく、リノス殿を襲った者の仕業だろうな。転移魔法陣を使ったのだろう」
「しかしだ、将軍。だとすれば、敵の狙いが分からない。都を攻撃するにしては人数と言い距離と言い中途半端だ」
「バクスオン公爵ではないのかな?」
老将軍の一言に、マトカルはハッとした表情を浮かべる。
「なるほど! 確かにローウィン帝国のバクスオン公爵が、本日出立される。公爵が襲われると……」
「アガルタの信頼は落ちるな。しかも、国内にアンデッドを放置したとなれば……」
「日和見的な国は一気にアガルタから離れていく……」
そんな会話を黙って聞いていた俺は、二人に視線を向けながら口を開く。
「まずは、アンデッドを討伐しなきゃな。バクスオン公爵は……まだ出発していないよな? こんなときに出発が遅れているとは、何とも巡り合わせのいい人だな。よし、俺が行こう」
椅子から立ち上がろうとする俺を、マトカルが慌てて止めに入る。
「待ってくれ! 敵はもしかすると、リノス様をおびき寄せようとしているのかもしれない。ここは、私が行く。私に行かせてくれ」
俺はラファイエンスに視線を向ける。彼はニッコリ笑って頷く。俺はゆっくりと息を吐きながら、マトカルに向かって口を開く。
「じゃあ、マト、お願いしていいか? 俺が行かない代わりに、クノゲンを連れて行ってくれ。兵士も、出来るだけ精鋭を連れて行ってくれ」
「わかった」
俺とマトカルのやり取りを見て、老将軍がフッフッフと笑みを漏らす。
「将軍、どうしました?」
「いや、まだまだおアツイなと思ってな。この様子であれば、近いうちにもう一人、家族が増えそうだな」
俺とマトカルは顔を見合わせながら、絶句する。よく見ると、マトカルの顔は真っ赤になっていた。
リノスの執務室を出たマトカルは、早速クノゲンと200騎の兵士と共に、アンデッドが出たと言われる地点に向かって出発した。そしてそれは、すぐに見つかった。丘を下った窪地に、アンデッドたちが暴れていたのだ。マトカルは兜を脱いで、その光景を凝視する。
「……不幸中の幸いだな。かなり凶暴なアンデッドだ。すぐに討伐しよう」
マトカルは再び兜をかぶり、馬を走らせようとするが、それをクノゲンが引き留める。
「お待ちください。ここは我々にお任せください。マトカル様はこちらでお待ちください」
「いや、そういうわけにはいかない。まず私が……」
「いや、相手はアンデッドです。マトカル様お一人で斬り伏せられては、連れてきた兵士たちの訓練になりません」
クノゲンはニコリと笑う。マトカルはしばらく考えているような素振りをしていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「私に続け!」
クノゲンの号令一下、兵士たちは統率された動きでアンテッドに向かっていく。
丘の上から戦闘を眺めていると、討伐は一方的だった。アンデッドたちは激しい抵抗を見せたが、所詮は丸腰であり、武器、防具を装備したアガルタ軍に傷一つ付けることなく、次々と倒されていった。
その様子を眺めながらマトカルは、一体、このアンデッドにはどのような意図があったのかを考える。見たところ、何か軍勢が隠れているようには見えず、魔法で攻撃されるわけでもない。一瞬、アガルタ軍をおびき寄せておいて、別動隊が都を襲う作戦かとも考えたが、都にはラファイエンス率いるアガルタ軍本隊がいる。その上、リノスもいるのだ。簡単に攻撃されるとは思えない。と、すれば、敵の狙いは何だったのか……。そんなことを考えていると、自身の周囲の景色が、ゆっくりと動いていることに気が付いた。
ふと我に返り周囲を見回す。すると、マトカルの愛馬がゆっくりと森に向かって走っていることに気が付いた。
あり得ないことだった。自分の指示なく勝手な振舞いをする馬ではない。マトカルは訝りながらも手綱を引いていく。
「おい……どうしたのだ……ホーク、どう、どう、どう」
何度手綱を引いても、馬は止まることなく歩き続ける。馬上で混乱しながらも必死で止めようとするマトカルだったが、ふとした瞬間に、馬が突然その歩みを止めた。気が付くとそこは森の中であり、目の前には大木が立ちはだかるように生えていた。
「どうしたのだ、ホーク……」
愛馬の首に手をやりながら、彼女は語りかける。
……ドスッ!
不意に彼女の肩に衝撃が走った。マトカルはゆっくりと愛馬の背中に倒れていった。




