第三百一話 滅ぶ者と生まれる者
湖のほとりに建てられた、巨大な城が炎に包まれている。真っ赤な炎が、真っ白い城壁に映えて、得も言われぬ美しい光景を見せている。ふと視線を落とせば、そこには城を囲む城塞都市があり、そこからも火の手が上がっており、あちこちから黒煙が空に向かって伸びている。
「……何と美しきことよ」
白毛の馬に跨り、銀色に輝く鎧を着た男が、誰に言うともなく呟く。彼は満足そうに頷きながら、ゆっくりと振り返り、控えていた家来たちに向けて口を開く。
「もっと火矢と火魔法を放て。あの街、あの城……全てを焼き尽くすのだ。その業火で……天を焦がそうぞ」
片膝をついて控えていた男たちは一斉に一礼をして、素早く馬に跨り、風のように消えていった。男は再び踵を返して、燃え盛る街を眼下に見下ろす。
「もう少し骨があると思ったのだが、拍子抜けじゃな。魔法都市が、聞いてあきれるわ」
あきれたような、しかし、満足そうな微笑みを浮かべながら男は呟く。その傍に、一人の男の影が近づいて来た。
「終わったのか?」
「はい、今しがた」
「そなたも、物好きな男だな、オクタ」
男はチラリと視線を向ける。そこには、鎧を身に付け、片膝をついたオクタの姿があった。
「我が愚策をお聞き届けいただき、感謝申し上げます、陛下」
「オクタのことじゃ、何か策があるのであろう?」
ニヤリと笑みを浮かべているのは、タナ王国国王、タナ・カーシ・ヴィルだ。そんな彼に対して、オクタ=妖狐・ヘイズは、恭しく首を垂れ、ゆっくりと口を開く。
「いいえ、ただ、美しい女が無残な死を遂げるのが、哀れに思ったからでございます」
「フフフ……言いおるわ。で、女王とその娘たちだけを逃がしたのは、どういう狙いがあるのじゃ?」
「……なに、簡単なことです。皆殺しにしてしまっては、わが軍の強さを広めてくれる者がいなくなるからでございます」
「なるほどな。この戦闘の一部始終を見ていた女王なれば、我らの強さ、恐ろしさを存分に語ってくれような」
「しかも、人の話には尾ひれがつきます。おそらく数か月後には、多くの国が我が国に恐れをなして、臣下の礼を取ることになりましょう」
「フフフ、これから先が、楽しみだな」
「はい」
そう言って二人は、笑みを交わし合った。
……5月も半ばになり、蒸し暑さを感じるようになった。そんな中、アガルタの迎賓館ではちょっとした緊張感に包まれている。それは、帝様の皇后さまが産気づき、今まさに新しい命が生まれようとしているからだった。
産室にはメイを始め、ルアラとペーリスがその手伝いをしている。加えて、主治医であるターマも一緒に中に詰めていた。
皇后さまが産室に入って5時間。俺と帝様、そして結界村から来たダジョーダとナディーンという二人の貴族が待機用に設けられた部屋で、今か今かと吉報を待っていた。
「……なかなか生まれて来ぬのう」
帝様はため息交じりに呟く。もう、何度この言葉を繰り返したか。彼は落ち着きなく部屋の中をウロウロと歩き回り、窓の外を見つめては、しばらく物思いにふけっている。
「帝様……このくらいお産にかかるのは、よくあることでございます」
「そうです。私のオクなど、丸一日お産で苦しみました。それに比べれば、まだ大したことはありません」
「ま……丸一日……」
彼は目を見開いて驚き、その表情のままゆっくりと俺を見た。どうやら、今の話、マジっすか、と聞いているようだ。
「俺にもよくわかりませんが、女性のお産は、場合によると丸一日以上かかる場合もあるようです。特に初めての出産は、時間がかかるみたいですね。妻のリコレットなども、長女を出産したときは、ほぼ一日かかりましたから……」
「さ……左様か……。オクも心配じゃが、ドーキも……な」
帝様がドーキのことを心配するには訳がある。
以前から子供が生まれたときの産湯には、ドーキの店の竈の火を使うと帝様は言ってきた。その意思を汲み、ドーキは皇后さまの陣痛が始まったと聞くと、すぐにミーダイ国に転移して、竈に火を灯し、それをアガルタに持ってきた。産湯はそれで沸かしているのだが、火が消えるなどの不測の事態に備えて彼は、それ以降もずっと店で火の番をしているのだ。
ちなみに、ドーキはアガルタに住まいを移しても、毎日ミーダイ国に帰り、帝様の朝食を作り続けていた。迎賓館でも食事には全く不自由はしていないのだが、帝様はドーキが作る素朴な味を愛していたし、また、ドーキもそれを望んだのだ。ただ、彼の餅やお菓子を作るのには、きれいな水とサイサと呼ばれる殺菌性に優れた葉っぱが必要なのだそうで、彼はその煩わしさも厭わず、毎日せっせと往復を繰り返した。そういうこともあって、帝様の食卓には、ドーキの菓子が並び、皇后さまもそれを食べながら滋養を蓄えていったのだ。
ちなみに、ドーキは毎日アガルタとミーダイ国を往復していたおかげで、少し魔力が上がり、今では一日に数回は転移できるようになっていた。
だが、お産は夕方になっても終わる気配を見せなかった。定期的に迎賓館のスタッフが報告に来てくれるのだが、いずれも、まだ生まれていませんという報告ばかりだった。そのうち帝様も歩き回るのを止め、じっと椅子に座って待っているようになっていた。
俺は一旦仕事に戻り、陽が落ちて来た頃に再び部屋を訪れたのだが、そこには明かりも点けず、薄暗い部屋の中で、微動だにしない三人の男たちの姿があった。しかも、全員にツノが生えている。一瞬だけ見ると、かなり怖い光景だ。
シーンと静まり返った部屋の中。そこには言葉を発することすら躊躇われる緊張感があった。一旦、食事でもして、休憩しませんかという言葉をかけようとしたとき、帝様が突然立ち上がった。
「……来た」
ダジョーダとナディーンは顔を見合わせている。
「……帝、何が、来たのですか?」
「走ってくる音が、聞こえる」
俺の耳にはそんなものは全く聞こえない。一体どうしたことかと思っていると、不意に俺の耳に聞きなれない音が聞こえた。
パタパタパタパタ……。
その音は徐々に大きくなっていき、部屋の扉の前でパタリと止まった。そして、ノックの音と共に扉が乱暴に開かれ、部屋の中に女性の声が響き渡った。
「失礼します! ……あれ?」
部屋が真っ暗なので、驚いている。俺は素早くライトの魔法を出して明るくする。扉の前に立っていたのは、何とメイだった。
「メイ、どうした?」
「ご主人様……。あっ、ええと……お生まれになりました」
「生まれたか! して、オクは?」
「皇后さまはお元気です。お生まれになったお子様もお元気です。元気な、元気な男の子です! 日嗣の皇子、あれましぬ、です!」
「おおっ! 男子か!」
「親王様のご誕生おめでとうございます」
「おめでとうございます」
ダジョーダとナディーンが口々に祝いの言葉を述べている。俺も彼らに交じって祝いを述べる。
「よければ帝様、産室にお越しください」
「うむ」
ダジョ―ダは結界村に報告に行くと言って部屋を出ていき、ナディーンはこの部屋で待つという。俺は帝様を伴って、メイと共に産室に向かう。
「あ、リノス様」
部屋の前にはドーキが立っていた。帝様はその姿を見つけると、彼に駆け寄り、両手を取って、深々と頭を下げて礼を言った。
「此度のこと、誠に、誠に、感謝じゃ」
「そんな……お手をお上げください。感謝だなんて……」
帝様は、恐縮するドーキに何度も礼を言いながら、メイに連れられて、部屋の中に入っていった。
「ドーキ、ご苦労様」
「いいえ。このくらい、何でもないことです。お生まれになったのは、親王様ですってね。本当に、我がことのようにうれしいです」
そんな話をしていると、廊下が何やら騒がしい。一体どうしたことだと思っていると、鎧を装備した兵士が走ってくるのが見えた。彼は俺の傍までくると、片膝をつき、早口でまくし立ててきた。
「リノス様、こちらにおいででしたか。恐れ入りますが、アガルタ軍本部までお戻りください。一大事です」
「どうした?」
「魔法国家のサルファーテの都が陥落したとの知らせが入りました。また、タナ王国が軍を動かした模様です!」
「また、タナ王国か……」
俺はゆっくりと天を仰いだ。どうやら、新しい命の誕生を、ゆっくりとは祝わせてくれないようだ……。