第三百話 思いと想い
あの日からヘイズは女神のことが、忘れられなくなった。
千年以上の時を生き続け、これまで幾多の女性を篭絡してきた彼にとって、初めての経験だった。どうしても、何としても、あの女性を手に入れたいと思ったのだ。
リコレットを見初めた次の日から、彼は彼女のことを調べ始めた。そして、その情報はすぐに集まった。彼女は、アガルタ王・リノスの正妻にして、あの国の皇后であるということ。大国、ヒーデータ帝国の先代皇帝の第一皇女であるということ。その帝国では、かなりの過激思想の持ち主とされ、厄介払いされる形で、アガルタ王の許に嫁いでいたこと。しかも彼女は、夫であるリノスとの間に、二人も子供を生んでいた。夫婦仲はよく、最近は見かけなくなっているが、王子誕生の前までは、フラリと都の店に現れることもあったのだという。
何より、ヘイズの心を捕えて離さなかったのは、彼女自身が実に聡明で、行動的なところだ。それであれば、ミーダイ国の貴族たちに対しての振る舞いも納得できる。
彼自身、手に入れた女性は数えきれないほどの人数になるが、その大半が、彼のものになってしまうと、途端に大人しくなり、彼におもねるようになってしまう。依存体質の女性を中心に狙ってきたこともその大きな要因ではあるのだが、彼にとっては、そうした女性は既に食傷気味であり、面白みに欠けた。
元々、気の強い女性はあまり好みではなかったが、女神と出会ってしまった今、ヘイズは彼女をどのようにして手に入れようか……そんなことを心躍らせながら考えるようになっていた。
だが、これまでのように時間をかけて……というわけにはいかない。今回は、できるだけ時間をかけず、一瞬で事を進める必要がある。その上、奪い取った後は速やかに自分のものにしなければならない。エルフの里から姫を奪還したときもかなりの困難を伴ったが、今回はそれ以上の困難を伴うだろう。そう考えると、打てる手は自ずと限られてくる。
しかし、今の彼に不安や恐怖という感情は微塵もない。あの、理想的な顔立ちと強気な性格。そんな美しく、目に知性を湛えた凛とした女神を自分の手で蹂躙し、仕えさせる……。そんなことを想像すると、久しぶりに強い欲望を感じる。あの日以降、寝ても覚めても、彼女のことが頭から離れないヘイズは、知らず知らずのうちに欲望に心を支配されていった。
その一方で、あの美しい肌を、その体を自由に弄ぶことができる夫・リノスに対して彼は、どす黒い嫉妬の炎を燃やし始めていた。
「あの女神は、私のモノになる運命にある。彼女は今、それを知らないだけだ……」
一人でそんなことを呟きながら、彼はアガルタの都に目を向けるのだった。
◆◆◆◆◆
リコがヘイズに襲われた。それを察したマトカルが剣を振るい、同時に、ゴンも攻撃を行ったことで、何とかヤツから守ることができた。
気になるのは、リコの右腕にできた痣だ。痣ができているということは、少なからず腕にダメージを食らったということだ。これは、ありえないことだ。彼女には常に俺の結界を張っている。魔法も物理的攻撃もカンストする結界だ。にもかかわらず、その腕には痣ができてしまっている。一体これは何なのか。
俺はすぐさま、リコを連れておひいさまの許に飛んだ。だが、彼女自身もその痣が何であるのかがわからず、むしろ、ヘイズを取り逃がしたゴンに激怒していた。さすがにあの状況で仕留めるのは無理だとリコが説明してくれたが、ヘイズはますます姿を現さなくなるだろうと、おひいさまの嘆きはとどまるところを知らず、俺たちは宥めるのに苦労したのだった。
数日たっても、リコの痣は治らなかった。メイやローニに薬を作ってもらったが、それが消える気配は全くなく、歯がゆさを感じた俺は、毎日リコと一緒に風呂に入り、念入りに洗ってみたが、全く効果がなかった。俺が洗いすぎたから痣が消えないのだろうか? いや、断じてそんなことはない。
そんな状況下でも、リコは結界村に行くことは止めなかった。頑固と言えば頑固なのだが、彼女は彼女なりに情熱をもって貴族の子女たちの教育をやっているのだ。そこで俺は、リコが外出するときには必ず側に一緒について行くことにした。
彼女の仕事ぶりを見ていると、実に効率的に物事を処理していることに気づく。そして、上手に他人を巻き込みながら物事を最短距離で完了させようとしているのだ。これは見ていてとても勉強になる。
この姿に感銘を受けたのが、他ならぬ帝様だった。彼は俺たちが結界村に行くときには必ず付いて来るようになっていた。そこで、リコの仕事ぶりを見るにつけ、彼自身にも気付きがあったようだ。あるとき、俺とリコが炊き出しをしていると、彼はじっと俺たちの動きを見ていた。そして、それが終わるとゆっくりと俺たちに近づいてきて、口を開く。
「……マロは、間違っておったのやもしれぬな」
「どうしました?」
「……マロは、全てのことを自分でやろうとしていた。それでは、いかぬのだな」
「……それができればいいのですが、あいにく俺はそんなにスキルが高くはありません。やはり、他人に助けてもらいながら国を運営しています。妻だってそうです。俺に比べればはるかにスキルはありますが、それでも限界はあります。ああやって、色んな人を巻き込みながら手伝ってもらっています。一人だと、きっと妻もここまでのことは出来ないでしょう」
実際、この炊き出しは、俺とリコだけでなく、ここに配給を取りに来ている貴族の子女たちも手伝ってくれているのだ。その中で抜群に手先の器用な人もいるし、機転の利く人もいる。彼女たちの適性を見抜き、手伝ってもらうことで、俺たちの仕事はとても効率的になっていったのだ。
「ここにいる内子……この国では子女というのかの? 彼女らだけでも、これだけのことを成すのじゃ。況や貴族たちを置いてをや。やり方次第じゃ。どうやって、あの者たちを巻き込むかじゃの」
「別に難しいことではありませんわ、帝様。その人のことをよく見て、上手にできるところを褒めて、伸ばしてあげればよいのですわ。彼女たちの親御様も、きっと素晴らしい能力をお持ちだと思いますわ」
「そうじゃな。感謝するぞよ王妃殿。マロはもう一度、ミーダイ国に戻らねばならぬ。そのときのために、この村で今一度、貴族たちを巻き込みながら国としての体制を整えようぞ」
「お手伝いしますよ、帝様」
「私と夫は既に帝様に巻き込まれておりますわ。それに、町衆の方々も、既に帝様に巻き込まれておりますわ。帝様のお力とご人徳であれば、貴族の方々を巻き込むことなど、すぐにできてしまいますわ」
リコがかわいらしい笑みを湛えている。それを見て、帝様も笑顔になっていた。
その様子を見て俺は、きっとミーダイ国は復興する。そう確信したのだった。
「さて、私の女神を手に入れるためにはまず、どう動くべきかな……」
「ヘイズぅ~。顔色が赤くなっておるな。珍しいのう」
腕を組みながら窓の外を睨むヘイズの顔色は赤く、そこには、不気味な筋隈が浮かび上がっていた。言うまでもなくこれは高位の妖狐を表すものであり、自室の中とはいえ、これを誰にも見せぬように振る舞ってきた、用心深いヘイズにしては珍しい光景であった。
その彼の背中越しに抱き着いているのは、エルフ王の娘、ミークだ。彼女は一糸まとわぬ姿のまま、なまめかしい姿態をヘイズの体に擦り付けている。
「その赤黒い筋が顔に出てきたのは、いつ以来じゃ?」
「これは……私としたことが。こんな失態は、少なくても、数百年ぶりだな」
「そのときは、なにがあったのじゃ?」
「君だよ」
「妾か?」
「君をエルフの郷から奪うときだ。あのときは、全力でいかなければ君を連れて逃げおおせなかった」
「フフフ。相変わらず口が上手いの。で、今回の女子は、それほどのものなのか?」
「ああ、私のこれまでの中で、最高の女性だよ」
「フフフフ、アハハハハハ。ヘイズはいつもそう言う」
ミークは腹を抱えて笑い転げている。その光景を見ながら、ヘイズは苦笑いを浮かべながら、リコレットを手に入れるための方策を、頭の中で思い描くのだった。




