第二百九十二話 闇夜のつぶて
一体どのくらい、俺たちはそこに立ち尽くしていたのか。実際はほんの数分だったのだろうが、体感的にはかなりの時間、そこに立ち尽くしていたように思える。
闇の中、静寂に包まれた空間がそこにあった。一緒に転移してきた人の呼吸する音が聞こえるくらいの静けさだ。本来ならば、すぐに御所内を捜索しなければならないのだろうが、このときの俺たちは全員がおそらく、同じことを思っていた。――きっと誰かが来るだろう、と。
「リノス様、帝様は奥においでになるようです」
突然声を発したのはチワンだった。どうやら念話でターマと交信していたようだった。チワンはさらに念話で話をしている。俺は黙って掌にライトを発生させ、部屋を明るくする。するとすぐに、何もないガランとした部屋が見えた。
「ええと……。何だか道順がややこしくて覚えきれませんね」
ターマから教わったと思われる順路を必死で覚えようとしているようだ。俺はマップを展開させると同時に、気配探知と魔力探知を発動させて、御所内の様子を探る。
「ああ、わかった。大体わかったよ。俺が案内するから、みんな付いて来い」
「アガルタ王はん……御所内はえろう複雑な作りになってますのんえ。せやのにアンタ、どないして御所のご様子をわかりますのんえ?」
「ナイショです」
俺はラファイエンスのマネをして、ショゲツにウインクをしながら人差し指を口元に当てる。だが彼女は無表情になり、「えらいかわいいお顔どすな」と捨て台詞を吐かれてしまった。
「……ではリノス様、恐れ入りますが、ご案内をお願いできますか。あと、そのライトも付けたままでお願いしたいのですが」
「ああ、わかっている。その前に、ドーキ」
俺は彼にMPをチャージしてやる。相変わらず申し訳なさそうな顔をしながら、ペコペコとお辞儀をしている。俺はそんな彼を諭すようにして部屋を後にした。
数歩行って曲がり、数歩行ってまた曲がる……。そんなクネクネと廊下を歩くこと数分、俺たちは長い渡り廊下にたどり着いた。その先には、大きな建物が見える。どうやら帝様たちは、ここに居るらしい。マップには表示されていないが、その周囲にはかなり多くの者が控えているようだ。俺のマップに表示されない……というのは、実はものすごいスキルだ。LV5の気配探知と魔力探知を駆使してようやくその存在がわかる。忍者か何かだろうか。おそらく他の魔術師では、この存在を認識することすら難しいだろう。
「あの……」
渡り廊下を前にそんなことを考えていると、ドーキが不意に口を開く。俺は彼に視線を向ける。
「ここから先はお気を付けください。オワラ衆が帝様をお守りしているはずです。不審な者は容赦なく排除されます。まずは僕が行ってお頭に訳を話してきます」
「そうや。これだけの人数で奥殿に入れば、間違いなくオワラ衆に襲われます。アテも一緒に行きましょう。ドーキはんとアテはお頭にも顔を覚えてもろうていますさかいに。決してオワラ衆をナメたらあきまへん」
いつになく真剣な表情でショゲツまでもが口を開いている。俺は、だろうね、と一言だけ返事をする。それが意外であったのか、二人は目を見開いて俺を見ている。そんな彼らに、心配はいらないと目配せをしながら、俺はチワンに向かって口を開く。
「チワン、ターマは帝様の側に居るのか?」
「ちょっとお待ちください。……そうですね。帝様と皇后さまの側に居るようです」
「では、ターマに俺たちが渡り廊下の所まで来たと伝えてくれ。これから部屋に向かうと」
「わかりました。……廊下を渡って突き当りの部屋から入って、真っすぐにお進みくださいとのことです」
「わかった」
俺はドーキらに目配せをして、ゆっくりと渡り廊下を歩き出す。よく磨きこまれているためか、床がツルツルする。しかも、歩くごとにキュイ、キュイと音が鳴る。4人もの人間が歩いているので、意外にうるさい音になっている。
奥殿と呼ばれる建物が徐々に近づいてくる。そして、ようやく俺たちの眼に、その入り口と思われる扉が見えた。どうやらあそこから中に入れと言うのだろう。そう思った瞬間、俺は歩みを止めた。
「……リノス様?」
皆が怪訝そうな表情を浮かべる中、俺は無限収納から、ラマロン国から贈られた厳岩石を取り出していた。真っ黒な、高い硬度を持つ岩。それを俺は闇の中に素早く投げた。
……ピシッと小さな音が聞こえる。
「そんな所に隠れていないで、姿を見せたらどうだ?」
俺はもう一つのライトを出して、音がした方向に移動させる。そこには、身長2メートルを優に超す大男が立ち尽くしていた。しかもその右腕には、俺が投げた厳岩石が握られていた。
「闇夜のつぶて……見事」
「誰だ? 上手に気配と殺気を隠していたが、俺の眼はごまかせん。何者だ?」
男は黙ったまま、音もなくゆっくりと俺たちに向かって歩いて来る。そして右手の掌に載せた石をポンポンと上に放りながら、ゆっくりと口を開いた。
「……オワラ衆お頭、イッカク」
そう言いながら彼は俺に、持っていた石をポンと投げた。その顔は長く、極端な馬面だった。細いタレ目、分厚い唇……。一度見ると忘れない程の、特徴ある顔立ちだ。
「お頭様!」
その顔を見て、ドーキとショゲツが平伏する。俺はその様子を横目で見ながら、この男と対峙する。
「なぜ、俺に殺気を向ける」
「徹底して疑うのが、我らの基本」
「俺を殺す気だったのか?」
「不審な振舞いあらば」
「で、今はどうだ?」
「我が姿見せては最早、闇討ちは不可」
「……帝様の許に、案内してくれるか?」
「承知」
そういうと彼は、腰に差している剣を取り出して地面に突き立てた。そして、その柄に右足を乗せたかと思うと、フワリと空中に浮き上がり、屋根に上った。どうやら剣にはヒモが付いていたらしく、彼の体の後を追うように剣も空に舞い上がっていった。
屋根に上った彼は、パンパンと柏手を二つ打ち、ピィーィっと口笛を立て続けに三回吹いた。そして屋根からフワリと飛んだ彼は、俺たちのいる渡り廊下に音もなく降りてきた。
「……待たせた。結界を解除した。ご安心を」
どうやらこの建物を守る仲間に、俺たちが敵ではないことを知らせていたらしい。その姿と言い、黒一色の服と言い、不気味さが半端ではない。
「ところで、結界と言ったな? 一体何人がここを警護しているんだ?」
「我を含め、3人」
「……少なくない?」
「我らは帝を警護するのみ。他は無用」
「少数精鋭ってことか?」
イッカクは無言で頷く。その横顔からは、何やら悲壮な雰囲気が伝わってくる。おそらく、必要最低限の人数で、必要最低限のことしかできないのかもしれない。そんなことを考えていると、俺たちは扉の前に着いた。
イッカクは無造作に扉を開け、大きい体を折るようにして建物の中に入った。その中は、ろうそくが二本立てかけられていたが、かなり暗い。そんな中でも彼はするすると進んでいく。俺はライトの明かりを頼りに、彼の後を歩いていく。しばらくすると、白い襖のような扉に行き当たった。イッカクはその前に来ると、スッとひざを折り、小さな、しかし、よく通る声で話しかけた。
「アガルタ王一同、到着」
「入るがよい」
ゆっくりと襖が開かれる。そこには数十人の黒装束の者が控えており、俺たちが部屋に入ると、一斉に視線を向けてくる。そして、部屋の奥には大きな畳が敷かれており、その中央には胸を押さえている皇后さまと、その右手を握り締める帝様、その横には呪文を詠唱するターマの姿があった。
「帝様!」
「帝様、ようご無事で……」
ドーキとショゲツが帝様の側に近づいていく。彼はゆっくりと二人に視線を向けて、優しい声で口を開く。
「……二人とも、よく参った。迎えてやりたいが、すまぬ、今、オクが、な」
帝様は皇后さまに視線を向ける。彼女は目を見開いたまま、苦しそうに胸を押さえている。その彼女にターマが、回復魔法をかけ続けている。
「どうした、一体何があった?」
チワンが皇后さまの許に駆け寄る。ターマは困惑を隠そうともせずに、早口で俺たちに口を開く。
「私がたまたま診察をしているときに、突然轟音と共に、真っ暗になりまして……。それからすぐに皇后さまがこのように苦しみを訴えられたのです。その原因が分からず、回復魔法をかけ続けているのですが……申し訳ありません」
「何? 回復魔法でも治癒しない? 心臓か?」
チワンが皇后さまの顔を覗き込み、丁寧に観察をしている。
「いや、これは過呼吸じゃないか?」
「カコキュウ?」
「ちょっと待っていろ」
俺は無限収納から布袋を取り出し、それを皇后さまの頭にすっぽりと被せる。その瞬間、黒装束の者たちから殺気が放たれる。
「待て、皆の者。待つのじゃ」
それを察した帝様が、慌てて止めに入ってくれた。しばらくすると、皇后さまの肩がゆっくりと上下し始めた。その様子を見て、俺は布袋を彼女の頭から取り除いた。
「はあーはあーはあーはあー。助かり……ました」
「い……一体どういうわけじゃ?」
「突然大きな衝撃を受けると、たまにこのような状態になると聞いたことがありましてね。そのときは、何かの袋を頭にかぶせてやると症状が治まると聞いていたのですが、その通りでしたね。よかった」
「か……かたじけない」
帝様は深々と俺に頭を下げた。俺は大いに恐縮して、その頭を必死で上げてもらうように懇願する。
「……したが、これは一体どういうわけじゃぇ?」
「それにつきましては帝様、このショゲツよりご説明申し上げます」
彼女は巨体をゆすりながら、帝様の前に進み出る。どうやら彼女は今回の騒動の原因を知っているようだ。俺たちはその話を聞こうと、彼女の周囲に集まった……。




