第二百六十二話 喜びあれば悲しみも
「ロ……ニ……」
ドーキがガックリとうなだれている。そして、膝をついて、肩を激しく動かしている。どうやら、ローニの言葉もさることながら、先ほど食らったボディーブローがまだ効いているようだ。
「師匠、まずはリコ姉さまの所へ……。私、彼を見張っておきますから」
ルアラが呆れたような顔をしながら、俺に口を開く。フェアリはこの様子が珍しいのか、パタパタとドーキの上を飛んでいる。
「恐れ入ります。それではルアラ様、この男を見張っていていただけますでしょうか。差支えなければフェアリ様、体を麻痺する鱗粉を出していただいて、この男を動けなくしていただいても結構です。転移で逃げる可能性もありますが、そのときは放っておいてください。この男は昔から腕力はありませんでしたので、襲撃の類はないと思います。ご安心ください」
ローニは早口でここまで言って、ふうと息をついた。そして、再び俺に向き直り、ぴょこんと頭を下げた。
「それでは、ご案内いたします」
その言葉に従い、俺は四つん這いになって苦しんでいるドーキを心配しながら、リコの許に向かった。彼を結界に閉じ込めておこうかとも考えたが、何となく、この男が俺たちに危害を加えることはないだろうという直感めいたものがあったので、敢えて何もしないでおいた。ま、ルアラもそこそこ強いので、エライことにはならないだろう。
「では、どうぞ」
産室に着くと、ローニが扉を開けてくれる。俺は全員にクリーンの魔法をかけて消毒し、部屋に入る。エリルやアリリアが生まれた時と同じ光景がそこに広がっていた。
「あ、ご主人様」
見ると、ベッドの側でメイが赤ん坊を抱っこしながら、俺に微笑みかけている。フェリスやペーリスは、最後の片づけをしているようだったが、俺の姿を見ると、笑顔でおめでとうございますと言ってくれる。俺は彼女たちにお礼を言いながら、足早にメイの所に向かう。そして、彼女から子供を受け取った。
……おサルさんのようにしわくちゃだが、顔の輪郭が、何となく俺に似ているような気がする。目をぎゅっと閉じている。泣いていない所を見ると、既に眠っているようだ。
「俺に……似ているのかな?」
「……お父上様に、そっくりですわ」
リコが満面の笑みで俺を見つめている。俺は子供をリコに渡し、ベッドの傍の椅子に腰かける。
「男の子か」
「ええ、男の子ですわ」
「やったな、リコ」
「ええ。世継ぎを……産めましたわ」
「ありがとう。リコ、本当に、よくやってくれた」
「名前を……決めなければいけませんわ」
「ああ、実はもう考えてあるんだ。名前は……ほら、あの、イデアだ」
「まあ、イデア」
リコの顔がぱああっと明るくなる。実は、エリルが生まれる時に、男の子だろうと言われていたために、リコと二人で色々と名前を考えていたのだ。そして、そのときに二人で、イデアという名前なんかいいよねと話していたのだった。今回、この子が生まれて、その顔を見た時に、俺の記憶にその時の光景が蘇ったのだ。
「バーサーム・ダーケ・イデア……。きっと、素敵な男性になりますわ」
そう言ってリコは幸せそうに微笑んだ。
「リコ、体は、大丈夫か?」
「はい。今回はとても早く生まれましたので……エリルの時とは比べ物にならないくらいに、楽でしたわ」
「そうか。よかった。それにしてもこの子はもう寝ちゃったのか? ずいぶん大人しいな」
「ええ。お腹にいる時からつわりも少なかったので、とてもいい子ですわ」
リコは子供の頭を愛おしそうに撫でている。その様子を見ながら、皆、口々に、「かわいい」とか「本当におめでとうございます」などの祝いを言ってくれる。リコは本当にうれしそうだ。
「かあたーん」
アリリアがメイに飛びつくようにして、抱っこをせがんでいる。メイはゆっくりと彼女を抱き上げて、赤ん坊を見せる。
「さあ、アリリアの弟よ。アリリアもこれからは、お姉ちゃんらしくしましょうね」
「はあーい」
家族全員が笑顔になる。何とも幸せな光景だ。
ふと見ると、エリルがポツンと一人で、こちらの様子を伺っている。俺はゆっくりと彼女の許に向かい、そして、しゃがみ込む。
「おめでとうエリル。また、お姉ちゃんになったね」
そう言って俺はエリルを抱きかかえた。そして、リコの所まで連れて行く。
「ほうら、エリル、弟のイデア君だ。……何かあったら、守ってあげてね」
「うん!」
エリルはものすごくうれしそうな顔をして頷いた。その様子を見て、家族全員が再び笑顔になった。
「あの~。どうも、おめでとうございます」
突然、頓狂な声が部屋に響き渡る。その声のした方向を見ると、ドーキが満面の笑みで立っていた。その彼をローニが無言で胸ぐらをつかみ、外に連れ出そうとする。
「待ってよ、ローニ! 違うんだ!」
「何が違うのですか! ここは産室です! 関係者以外は、立ち入り禁止です! で、て、い、き、な、さ、い!」
「ちょっと、待って! お妃さまに、これを……」
よく見ると、ドーキが手に何かを抱えている。
「ローニ、いい。ちょっと待て。ドーキ、君の手に持っているものは、何だい?」
「はい……カチン、です」
「カチン?」
「お餅のことです、師匠」
ドーキの後ろからルアラが現れる。彼女はローニをまあまあと宥めながら、俺たちに向かって口を開く。
「いきなり、そうだ、と呟いたかと思うと、突然転移しまして……。どこかに行ったのかと思ったら、しばらくしたらまた、お屋敷に帰ってきました。そのとき、このお餅を持って来ていました。この彼が作ったのだそうです。で、このお餅は体力を回復させる効果があるそうで、是非、リコ姉さまにお渡ししたいということで……」
「で、連れて来たのか?」
「私も試しに一つ食べましたけれど、これが、その……すごく美味しかったんです」
「餅がか?」
俺はドーキの側に行き、彼の抱えている箱の中身を見せてもらう。中には、平べったいお餅が数枚入っていた。俺はこれに鑑定スキルを発動させてみたが、毒物などは入っていないようだ。
「一枚、もらっていいかな?」
「どうぞ」
彼は満面の笑みで答える。俺は餅を一枚取り出し、それを口の中に放り込む。
「……うん……めぇぇぇぇぇぇぇ!! 何じゃこれ! めっちゃ美味いな!」
「でしょう、師匠? 本当に美味しいお餅です」
ルアラが絶賛するのも頷ける。ただの餅かと思っていたら、そいつはとてもしなやかで、ほどほどの甘さがあった。さらに、この餅は二枚重ねになっていて、しかも、餅の中にはペースト状のソースが入っており、これがまた濃厚な旨味を持っていて、餅の味と見事なハーモニーを生み出していた。
「餅の美味さもさることながら、中身のソースも上品。そして……ゴボウが入っているのか? でも、この旨味は……スゲェな。こんな美味な餅、初めて食べたよ。感動した」
ドーキは照れくさそうな顔をしながら、長い耳をユラユラと動かしている。
「それにしてもルアラ、お前、こう言っちゃなんだが、よく食べたな。毒とか何とかは気にならなかったのか?」
「私は、ある程度の毒なら消化できますし、フェアリがいたので、最悪は解毒する粉を出してもらえるかなと思いまして。それよりも、直感的にこれは美味しいと思ったものですから」
「なるほどな。確かに、餅がツヤツヤしていて美味しそうだものな。こんなものが作れるんだな。スゲェな、ドーキ」
「まだ、試作品の段階ですけれど、喜んでいただけてうれしいです。お口に合うかどうかわかりませんが、お子さんを産まれたということで、お疲れでしょうからその……お妃さまにと思いまして」
そう言って彼は、箱を俺に差し出した。俺は彼に丁寧に礼を言いながら、その餅をリコに食べさせた。
「リコ、あーん」
「……これは、本当に、美味しいですわね。メイ、マト、みんなも、食べてごらんなさいな」
リコも両手を口に当てて絶句している。そして、メイたちも餅を食べさせる。当然のように、彼女たちからも口々に美味しいと絶賛の声が上がる。そして、残った一枚を、俺は再びリコの口の中に、ひょいと入れた。彼女はそれをゆっくりと咀嚼して味わい、幸せそうな顔をしながら、ゴクリと飲み込んだ。
「ふう。ご馳走様でした。ドーキ……さん、本当に美味しゅうございました。感謝申しますわ」
ものすごい笑顔でリコはお礼を言っている。その姿を見てドーキは、とんでもございませんとペコペコと頭を下げている。
「ところで、こちらのドーキさんは、ローニと同じポーセハイですわね? ローニのお仲間かしら?」
リコが不思議そうな顔をして聞いてくる。そうだ、リコにドーキのことを紹介していなかった。これは迂闊だった。
「ああ、リコ。彼は……」
「はい! ボク、ローニの婚約者です! ……ぐふっ」
見ると、彼の脇腹にはローニの拳が深々と突き刺さっていた。
「ワ、タ、シ、ハ、あなたと婚約した覚えはありません! それに……何で私の分がないんですかぁぁぁぁぁ!!」
……え? そこ? ……まあ、確かに、食いしん坊のローニにしてみれば、美味しい餅が食べられなかったのは、悲しみ以外の何物でもないだろう。何はともあれ、このローニの問題も、解決しなきゃならないようだ。それにしても、こんな騒ぎの中でもイデア君はスヤスヤと寝たままだ。彼は将来、大物になるのかもしれない……。
皆様にお願い:
前回のお願いの際に、多くのご意見をいただきましてありがとうございました。ギリシャ神話の名前をもじる、ランダムで名前を付けるサイトをご紹介いただくなど、助かりました。勉強になりました。
また、数名の方から具体的なアイデアも頂戴しまして、こちらも感謝でございます!「ルルイエ大陸」採用させていただき、次話で登場する予定です。お楽しみに!
キャラクター名はまだまだ募集中です。男性、女性、都市名……広く募集します。アイデアあるよ!という方、コメント欄でも結構ですし、メッセージで直接送っていただいても構いません。よろしくお願いいたします。
あ、キャラクターの性格やスキルなど記載してメッセージいただいた方がおられましたが、素敵でした。一瞬、惚れました(笑)。次章に使わせていただきます!ありがとうございます!




