第二百六十一話 棺のリコあれまあ死んだ
「あなたはそこに立って、息だけしていればいいのです!」
一見すると、パワハラにしか見えない過激な言葉を吐いているのはローニだった。彼女がここまで怒りをあらわにするのは珍しい。その光景を、リノスはダイニングのテーブルに腰かけながら、何とも言えない顔で眺めていた。
事の起こりは、リコの出産予定日が5日後に迫り、ローニが泊まり込みでリノスの屋敷にやってくる時だった。彼女にしてみれば、リノスの屋敷に居れば、常にリコの側にいることができ、何かあればすぐに対応できるのと同時に、現在の研究の進捗や問題点、疑問に思ったことなどをメイやシディーと相談できるというメリットもあった。加えて、ようやく安定期を迎えたシディーの出産に関する不安やこれからのことも相談できるとも考えていたために、彼女は予定を早めてリノスの屋敷に行くことにしたのだった。
ちなみに、リノスの屋敷に居れば、美味しい食事を3食、食べたいだけ食べられるために、彼女はこの日を指折り数えて、待ちに待っていたことは、誰にも言わない秘密だ。
そんな緊張と至福の時間を送ろうと、数日分の荷物をまとめ、自分の部屋からリノスの屋敷に転移しようとしたその時、ローニの目の前に、一人のポーセハイが転移してきた。
「誰? 誰ですか!?」
ポーセハイが何の前触れもなく、いきなり転移してくるのは珍しい。通常は思念でやりとりをし、相手の同意を得てから転移してくるものなのだ。いきなり転移して来るのは、緊急事態を除いてほぼ、あり得ないことであるために、ローニが驚くのは無理のないことだった。
「ロ~~~ニ~~~」
転移してきた瞬間、そのポーセハイは馴れ馴れしく彼女の名を呼び、そして、いきなり抱きついてきた。全く想定外のことであったために、さすがのローニも驚きと戸惑いで、体が硬直する。
「久しぶり~久しぶりだ~会いたかったんだ~」
「ちょっ……ちょっと放してください! 誰? 誰ですか!?」
「僕だよ、ローニ!」
ガバッと体を離し、ローニの両肩を掴んだまま、男は満面の笑みを浮かべる。
「……誰?」
眼を見開いて固まるローニ。その言葉を聞いて男は驚いた表情を浮かべる。
「僕だよ、ローニ! ドーキだよ! 君と婚約していたドーキだよ。いやー久しぶりだぁ。全然変わらないね、ローニ。見た目も、魔力の波数も、昔のままだ」
「あー」
ローニはいかにも残念そうな顔をして天を仰ぐ。そして彼女はゆっくりと首を振りながら、ため息をつく。
「今、私は忙しいのです。邪魔しないでください。それに、あなたと婚約した覚えはありません」
「え? 何を言っているんだよ、ローニ?」
「気安く呼ばないでください。今から私は仕事なのです。出て行ってください!」
彼女は男の襟首を掴んで、そのまま部屋の外に放り出した。そして鍵をかけ、素早く荷物を持ってリノスの屋敷に転移したのだった。
「すみません、遅くなりました」
リノスの屋敷に着いてすぐ、ローニは与えられた自分の部屋に荷物を下ろしてリコの部屋に向かった。
「ローニ……。なんだかちょっと、お腹が痛いのですわ」
不安そうな顔をしながらリコは大きく膨らんだお腹を撫でていた。その傍ではエリルが心配そうな顔をして母親の様子を見守っていた。
「わかりました。もしかすると陣痛かもしれませんね。ちょっと診察しますね」
そう言ってローニはリコのお腹にやさしく触れ、お腹の胎児の診察を始めるのだった。
リコの陣痛が始まったかもしれないと聞いて、俺たちは速やかにその準備に入った。俺はリコを抱えるようにして1階の産室に連れて行く。まだ予定日前で、陣痛かどうかも分からないというリコに、どうせ生まれるんだから早めに部屋に移ればいいよと言いながら、彼女を連れて行った。エリルもアリリアも、心配そうではあるが、弟か妹が生まれることに興味津々だ。
既に産室の準備は整っており、俺は一旦、リコをローニに任せてダイニングに戻る。既に湯は沸いていて、とりあえずということで、フェリスが湯を持っていく。出産は3回目ということで、皆、それぞれの役割がわかっていて、何事もスムーズだ。
ルアラとペーリスが準備を整えて産室に向かう。そしてメイもその後を追うようにダイニングを出て行った。俺はマトカルとシディー、そしてソレイユらと共に、ダイニングでエリルとアリリアの子守を担当する。
「リコ様、大丈夫でしょうか……」
ソレイユが不安そうな顔で口を開く。その様子をちらりと見ながら、シディーは大きく頷きながら答えを返す。
「全く問題ないと思うわよ?」
「どうして?」
「根拠はないけれど、私には確信があるのよ」
「このところのシディーの直感は、当たるものね……」
そんな会話を交わしていると、突然、ダイニングの隅の空間が歪みはじめ、ポーセハイが転移してきているのが見えた。
「うん? 何だ? 誰だ? チワン……じゃなさそうだな」
どうやらまだ若い男のポーセハイのようだ。彼は転移が終わるなり、ゼエゼエと荒い息をしながら、ダイニングの床に突っ伏した。
「何者だ?」
マトカルがエリルとアリリアを守りながら、剣の柄に手をかけている。男は懐から小さな瓶を取り出して、ぐいっとそれを煽る。しばらくすると、ゼイゼイと荒かった呼吸が整いはじめ、やがて男はスッと顔を上げて、キョロキョロと辺りを見回した。
「くっ……ここまで魔力を使わされるとは……。あれ? ここは? ローニの魔力を追ってきたんだけどな……」
「ポーセハイか? 初めて見る顔だな。ローニの友達か? ローニは今、出産に立ち会ってもらっている。君は……誰だい?」
俺はマトカルを手で制して、いきなり転移してきた男に尋ねる。この屋敷に転移できたということは、悪意や敵意のない証拠だ。見たところ、人のよさそうな顔をしているので、俺は彼を信じることにしたのだ。
「あ、僕、ローニの婚約者の、ドーキって言います」
「はあ? 婚約者だぁ?」
「リノス様!」
その時、突然ローニの声が部屋に響き渡った。思わず俺たちはその声に振り向く。そこには、真面目な顔をしたローニがいた。
「おめでとうございます。お生まれになりました」
「え? 生まれたって……産室に入ってまだ30分くらいだぞ?」
「はい、あの後しばらくして本陣痛になりまして、たった3回いきんだだけで、すぐにお生まれになりました」
「え? そうなの? ……で、リコは? 子供は? 男か? 女か?」
ローニはぴょこんとお辞儀をして、口を開く。
「ひつぎのみこあれましぬ!」
「何?」
「ひつぎのみこあれましぬ、です!」
「……棺のリコ、あれまあ死んだ? ど、どういうことだ!?」
ローニはキョトンとした顔になっている。一瞬の静寂の後、部屋中が大爆笑に包まれる。
「日嗣の皇子あれましぬ、です。リノス様。お世継ぎがお生まれになりましたという意味です。お世継ぎのご誕生、おめでとうございます!」
シディーが教えてくれる。どうやらこの言葉は、国王だけにしか使わない、嫡子誕生を報告する言葉であるらしい。一生に一度使うかどうかの、とてもレアな言葉であると教えてもらった。
「と……いうことは、男の子か! リコは? 母子ともに元気? やっっっっったなぁ! ローニ、ありがとう! ローニのお陰だ!」
俺は思わず喜びを爆発させる。
「「「おめでとうございます!」」」
家族のみんなが笑顔で祝福してくれている。エリルやアリリアも弟が生まれたと聞いて、とてもうれしそうだ。
「いや、おめでとうございます! 何だかわかりませんが、男の子ですか? 日嗣の皇子あれましぬ、ということは、どこかの国王様でしょうか? 知らずに失礼しました。誠におめでとうございます!」
何故かローニの婚約者を名乗るポーセハイが、丁寧に祝いを言ってくれる。その様子を見てローニが声を上げる。
「ドーキ! あなた、一体何をしているんですか!」
「ああローニ、やっと会えた~。君の魔力を辿ってきたんだけど、このお屋敷どうなってるんだ? すごい波数が小さくって探すのに苦労したよ」
「帰ってください!」
「そんなこと言わないでおくれよ~。ゴメン、思念を飛ばさずに会いに行ったことは謝るから、そんなに怒らないでおくれ」
「そ、う、い、う、問題ではありません! すぐに、すぐに出て行ってください!」
「ま、まあまあローニ、せっかく婚約者が尋ねてきてくれているんだから……」
「はあ? 婚約者? バカですか? そんなわけありません! そんなわけがあるはずがありません!」
ローニにバカと言われてしまった。一応、俺、国王だよ? 面目丸つぶれの俺は、ショックのあまり椅子に崩れ落ちる。その様子を見て、ドーキが敢然と口を開いた。
「何言ってるんだローニ。約束したじゃないか! お互いに一人前になったら結婚しようねって……」
「それは5歳の頃の話でしょ! そんな子供の頃の約束が今でも有効なわけはないでしょう! それに、あなたは一体今までどこで何をしていたのですか! チワンさんの招集にも応じず、一体何をしていたのですか! ちゃんと医者として活動しているのでしょね! 今、一体何をしているのです!」
「今は……料理屋だ」
「は?」
「いや、今はどっちかというと、お菓子屋かな?」
「お菓子屋? あなた、それでもポーセハイですか! ポーセハイは……」
「ローニ」
ドーキはゆっくりとローニの所に歩いていく。いつになく、真剣な表情をしている。俺たちは思わず息をのんで、その様子を見守る。
「君が怒るのはよくわかる。それはそうだ。そのことについては、謝るから。僕の話を、僕の心からの本心を聞いてほしいんだ」
そんなことを言うや否や、彼はローニを優しく抱きしめた。
「ちゃんとプロポーズをしていなかったね。ローニ、僕と一緒に、家庭を作ろう……ぐふっ」
気が付けば、ローニの右手がドーキのみぞおちに深々と食い込んでいた。彼はゆっくりと崩れ落ちるようにして、床に膝をついた。
「私は、仕事中なのです。邪魔しないでください!」
ローニは悶絶するドーキに目もくれず、再びシャキッと背筋を伸ばし、ぴょこんとお辞儀をしながら、俺たちに口を開いた。
「お見苦しいものをお目にかけました。リコレット様がお待ちです! 皆様、どうぞ産室にお越しください!」
その声を聞いたドーキがゆっくりと立ち上がる。彼女のボディーブローが効いているのだろう。足がガクガク震えている。そんな状態であるにもかかわらず、彼は声を震わせながら、ローニに声をかける。
「ぼ……僕も、僕も手伝うよ。何でも、何でも言っておくれ」
ブチッ……ローニからそんな音が聞こえてきたような気がした。その直後、彼女の顔にみるみる怒りの色が浮かんでくる。
「息だけしていなさい!」
「え?」
「あなたが出来ることは何もありません! あなたはそこに立って、息だけしていればいいのです! 息をするだけです! 一ミリも動かずに、です! 何も難しくはありません! いいですね!」
……早く、妻と子供に、会いたい。
お願い:
キャラクターの名前を考えるのに苦労しています。すみません、助けてください。
男性、女性、都市名……広く募集します。アイデアあるよ!という方、コメント欄でも結構ですし、メッセージで直接送っていただいても構いません。いただいた案は、できるだけ拙作で採用したいと考えております。気軽にご連絡ください。よろしくお願いいたします。