第二百六十話 殿、ご乱心?
「放せ! 何をするのだ! 放せ、パターソン! 無礼者! 無礼者ぉぉぉぉ!!」
「お静まり下さい! 国王様! お静まり下さい!」
そんなやり取りが隣の部屋から聞こえてきたかと思うと、パターソンに羽交い絞めをされた格好で、メインティア王が引きずり出されてきた。俺は思わずパターソンに声をかける。
「パターソン! 殿中でござる。殿中でござるって言うんだ!」
「でんちゅうでござる! でんちゅうでござる! ……アガルタ王様、これは一体、何の呪文でしょうか!」
「おお~忠臣蔵みたいだ」
「遊んでいないで、国王様を止めてください! お願いですから!」
メインティア王は目が据わっている。完全に本気モードにスイッチが入ってしまったようだ。
「何かのお仕置きですか? これは?」
メインティア王を止めようとして立ち上がったところに、シディーが帰ってきた。どうやら彼女には、この二人のやり取りが、逃げるバカ殿をパターソンが捕まえているように見えたらしい。
目の前では相変わらず、おバカな『忠臣蔵・松の廊下』の場面が演じられている。その様子を見ながら、俺はシディーにこれまでの顛末を手短に説明する。
「チッ……最低……。要は、アイツを止めればいいのですよね?」
そう言ってシディーは、右手を懐に入れながら、ゆっくりと王たちに向かって歩き出した。いつもは見せない、無表情のシディーの顔は、怖かった。何より、舌打ちしているし、王のことをアイツ呼ばわりしているところからも、彼女の怒りの沸点が高いことがわかる。
「ワ・タ・シ・ハ、このぉ、燃えたぎるぅ、情熱をぉぉぉ、あの女にぃ、ぶつけるのだぁぁぁぁ! 邪魔を、するな、パターソォォォン!!」
「国王様! なにとぞ! な・に・と・ぞ、お静まり下さい! 皆様の、眼も、ござい、ますぅぅぅぅ!!」
「いい加減にしなさいっ!」
シディーの絶叫にも似た声が部屋の中に響き渡る。見ると、メインティア王の顔の周りに、白い煙が漂っていた。
「パターソン、放せ! パタ……」
突然、メインティア王がパタリと倒れた。そして、パターソンもゆっくりと、王の上に折り重なるようにして倒れていった。
「心配いりません。フェアリからもらった、眠るための粉を使っただけです。朝になれば目覚めます」
そう言って、シディーは王の側近たちに視線を移す。彼らはシディーの視線の鋭さにビクつきながら、この二人を寝室に運んでいった。結局、このバカ殿のご乱心は、シディーの働きのおかげで、間一髪で止めることが出来たのだった。そして俺は、ミラヤ・アガルタに使いをやり、明日からしばらく一人のバカと、その家来を預かってもらうよう頼んだ。当然、相手をする女は、ミラヤの中で一番ブサイクな女でよいと念を押しておくことも忘れなかった。俺は、バカ殿の家来たちに、今日中に二人をミラヤに移すよう命じて、シディーを伴って部屋を出た。
「一瞬、名君かなと思ったんだが、やっぱりバカはバカなのかもしれないな。本能むき出しだったな」
「……」
「どうした、シディー?」
「リノス様も……あんな風になるのでしょうか?」
「ならないよ。シディーだってイヤだろ? 乱暴にされるのは」
「……一回くらいは」
「え?」
「いいえ、何でもありません! 私はその……優しいのが、いい……です」
シディーは耳まで真っ赤にしながら、スタスタと廊下を歩いて行った。俺はそんなシディーの振る舞いをかわいらしいと思いながら、転移結界のある執務室に帰っていった。
季節は移り、アガルタの都にも春が訪れた。
結局、ノレーンの主治医は交代させざるを得ず、その人選に苦労した。何せ、ちょっとでも特徴のある女であれば、バカ殿が欲情するのだ。そこで思いついたのが、サイリュースに頼むという案だった。
彼女らは基本的に、全員が見目麗しい女性たちだ。そこで、族長のヴィヴァルに相談したところ、彼女らも人間と同じ出産をするらしく、産婆の役割が出来る者もいるらしい。彼女は俺の要請を快諾し、里から実に見目麗しいサイリュースを派遣してくれた。そして、思った通り彼女はバカ殿の眼には止まらず、ようやくノレーンは安定したマタニティーライフに入ることが出来た。加えて、彼女の美貌はバカ殿の家来たちの心をつかみ、訪れるたびに、男たちからいつも大歓迎を受けることになったのだった。
メインティア王はというと、あれ以来、月に数回、ミラヤ・アガルタに通っている。しかも、最近では、ラファイエンスや大工のゲンさんらと連れ立って、連中のようなこともしているらしい。
このバカ殿のミラヤ通いは、意外に店側からも歓迎されているらしいのだ。それは、常に一番売れない女郎を指名するので、客の指名が取れない、いわゆる「お茶を引く」ことがなくなるために、店側からも、遊女側からも感謝されているのだという。今や彼は「テイ様」と呼ばれて、人気者なのだという。人間、何が幸いするのかわからない。
そんなある日、メインティア王の許に、大上王からの書簡が届いた。
「……ノレーンの帰国は認めないのだそうだ」
「え? どういうことですか? 子供も生まれるのに?」
本国の大上王からは、しばしばメイ宛に書簡が届くようになっていた。その内容は、学術的な内容ばかりで、俺には皆目わからないことが多かったのだが、先日の書簡で、珍しくメインティア王の近況はどうしているかと書いて寄こしてきたのだった。そこで、俺の勧めで、メインティア王自身が大上王に近況報告の手紙を出させたのだが、その返信には、王の子供を身籠っているノレーンの帰国を認めないと書かれていたのだ。
「……父が言うには、ノレーンは、その生まれた子供と共に、アガルタで逗留せよとのことだ」
「いや、いきなりそんなことを言われても、こちらとしても都合というものがありますよ。それに、普通は大上王様から俺宛に伺いを立てませんかね? 何で俺の許可なく勝手に話を進めようとしているのか、理解に苦しみますね」
俺は思わず本音を漏らす。だってそうじゃないか? 何だか、完全に俺をナメているとしか思えん。そんなことを考えていると、パターソンが、A3用紙くらいの大きさの、冊子のようなものを小脇に抱えて俺たちの所にやってきた。
「アガルタ王様、我が大上王様よりの書簡でございます」
受け取ってみると、それは封筒であり、しかも、厳重に封蝋が施された状態だった。
俺は封を切り、中に入っていた書簡に目を通す。そこには、メインティア王が言った通りのことが書かれてあり、さらには、フラディメ国は、アガルタ国とさらに誼を深めたい。そこで、国王の側室たるノレーンと、その子供を人質としてお預けする。もし、フラディメ国がもし、アガルタに弓を引くことがあれば、存分に二人を成敗して欲しい。希望を言えば、ノレーンの子供をアガルタで教育して欲しい。もし、生まれてくるのが男の子ならば、ゆくゆくは、その子供にフラディメ国の領地の一部を与えたい、とあった。
「……凄まじい無茶ぶりですね」
「父からしてみれば、これ以上アリスン城に女子供が増えるのが耐えられないんだろうね」
そう言って彼はクックックと笑う。
「父は、ノレーンと生まれてくる子供の二人の費用については全てフラディメ国が負担すると、私への書簡には書いてあった。君の所にも? ……まあ、それは当然のことだけれどね」
「いや、いきなりそんなことを言われてもですね……」
「実は私も、父の意見に賛成なのだよ」
「何だと?」
「フラディメ国に連れて帰れば、ノレーンはほかの女たちとの嫉妬や怨念の中で生きなければならないんだ。それがいかに大変なことなのかは……ノレーンが一番よく知っているね?」
メインティア王は、チラリとノレーンに視線を移す。彼女はゆっくりと頭を下げた。
「それに、生まれてくる子供が、もし、優秀であったならば、間違いなく父は自分の思想に染め上げようとするだろう。そうなると、子供がかわいそうだ。そこにいくと、アガルタであれば、そんな軋轢や偏った思想に染まることもない。むしろ、ノレーンにとっても子供にとってもいい環境で暮らせると思うんだ。それに……」
「それに、何です?」
「ノレーンと子供がここアガルタに居てくれると、私も来やすいからね。ポセイドン王にも会いに行きやすいし」
彼はいつものようにキラキラした瞳で俺を見ている。俺は呆れながら、彼に返答を返す。
「だから、こちらの立場も……」
「いや、アガルタ国にも利益のある話だ」
突然、王の声が低いバリトンボイスに変わる。
「考えてもみよ。生まれてくる我が子が、成長のあかつきにはフラディメ国において領地を与えると父、大上王は約束している。そして、それには国王たる私も同意しているのだ。疑うならば、血判を押してもいい。アガルタは、我が子をアガルタの色で染めることが出来るのだ。その子がフラディメ国で領主となる……。これは戦わずしてアガルタは国境を進めることになりはしないだろうか? そうでなくとも、やり方次第では、生まれてくる我が子から、我が国の情報を自由に聞き出すこともできるのだぞ? 言わば、我が国は、敢えて貴国に領土と情報を提供すると言っているのだ」
「……一体、なぜそこまでするのです?」
「父は、それだけアガルタ国に惚れ込んだのだろう。いや、正確に言えば、メイリアス王妃に惚れ込んだのだ。あのお方を味方につけておけば、我が国は安泰だと考えたのだろう。では、メイリアス王妃を味方につけるためにはどうすればよいか? それは夫であるアガルタ王、君を味方につけることだ。君とメイリアス王妃、そしてアガルタが我が国の後ろ盾になってくれる。これほど心強いことはない。我が父ながら、よくそこまで頭が回ると思うし、その決断力はさすがではある」
「……」
「今すぐに答えを出せとは言わない。ただ、我が父、大上王は、練りに練った上でこの話をしてきている。荒唐無稽な話かもしれないが、私もこの意見には賛成だ。私とて国を預かる身だ。国の行く末は、考えなくてはいけないが、この話は、双方にとって利益のある話だと思うのだ」
そこまで言うと、彼はゆっくりと立ち上がり、いつもの笑みを讃えた顔に戻る。
「いい返事を期待しているよ。じゃ、ルアラ殿の所に行ってくるよ」
「ルアラの所に?」
「ああ、久しぶりに、ポセイドン王に会いたくなった。ちょっと、行ってくるよ」
そう言って彼は足早に部屋を後にしたのだった。
「もしかしてあれは……作り阿呆なのか?」
俺は、天井を見上げながら、首をひねるのだった。
結局、ノレーンとその子供はアガルタで預かることになった。その返信を大上王に返し、彼女の出産準備や住む場所などを決めていると、あっという間に月日は過ぎていった。気が付けば季節は、夏になろうとしていた。そしていよいよ、リコの出産予定日が近づいてきたのだ。