第二百五十四話 神の一言
夜が明けた。丸2日間、ほぼ寝ていないので、ちょっと体がだるい。
俺はダイニングのテーブルに腰かけ、目の前で朝食? を食べる神龍様の姿を呆然と眺めている。このお方はなんと、屋敷にある全てのカステラとケーキを片っ端から食べているのだ。カステラなど、まるでポ〇キーを食べるかのように頭からかじりついて、むしゃむしゃと食べている。
「うまいのらー。このかすてらも、気に入ったのらー」
ご満悦の神龍様だ。見ていてちょっと気持ちが悪いが、俺のすぐ隣には、なまめかしいパジャマ姿のソレイユが座っている。上から何か羽織ればいいのに、寒いと言いながら、ピタリと俺に体をくっ付けて寄り添っているために、それが俺の目を覚ましてくれている。
シディーは俺の部屋で派手に嘔吐した後、メイたちに抱えられるようにして部屋に連れて行かれた。昨日は眠るための粉を吸い込んで寝ていたところを俺の大声で無理やり起こしてしまい、半覚醒の状態だったらしい。今、彼女は再びフェアリが出した粉で眠りについている。
「ご主人様……」
後ろで声が聞こえる。振り向くと、そこにはメイがいた。
「リコ様が……お目覚めになりました」
「わかった」
俺は深呼吸をして立ち上がる。そして、神龍様をソレイユに任せて、メイと共にゆっくりとリコがいる部屋に向かった。
歩けばそれこそ、30秒もかからずに行くことができる距離だが、今日の俺にはとても遠くに感じる。シディーが封印した念霊に操られていたとはいえ、俺はリコの首を絞めたのだ。しかも、あやうく死ぬところだったのだ。リコは俺に愛想を尽かすだろうか。誠心誠意謝って、もし、それでも許されないのならば、彼女の決断を受け入れるしかない。
そんなことを考えていると、部屋の前に着いた。やっぱり足が止まってしまう。そんな俺をメイは優しく促し、俺は意を決して扉を開けた。
ベッドの上にリコはいた。その隣でマトカルがエリルを抱っこしている。俺に気が付いたエリルは、マトカルから降り、飛び跳ねるようにして俺の所に走ってきた。
「とうたーん」
「エリルー」
彼女を抱っこしてやると、まだ眠いのか、俺の肩に顔をスリスリとしている。俺は彼女を抱えたまま、ベッドの横の椅子に腰かける。
「リコ……」
「……」
彼女はじっと俺の目を見つめている。なかなか言葉が出て来ずに、しばらく沈黙が流れる。
「……リコ様の体調は、問題ありません。おなかの赤ちゃんも、順調です」
メイがフォローを入れてくれる。
「リコ……その……無事で、何ともなくてよかった。お腹の子供も……よかった」
リコはゆっくりと視線を自分のお腹に落とし、愛おしそうにそのふくらみを撫でた。
「リコ……本当に、すまなかった……」
俺はゆっくりと頭を下げる。
「別にリノスが謝る必要はありませんわ」
不意にリコの声が聞こえる。俺は思わず顔を上げて彼女の顔を見る。リコはまっすぐな瞳で俺を見つめている。
「もう、念霊……ですか? それは退治したのですか?」
「ああ。シディーが上手く封じ込めてくれた」
「それなら、もう、大丈夫ですわね」
「リコ……その……いいのか?」
「何がですの?」
「俺は……リコを殺そうとしたんだぞ?」
「思念……ですか? 操られていたのでしょう? それは、仕方がありませんわ。むしろ、鉄壁を誇るリノスの結界を掻い潜ったのです。その念霊を褒めるべきですわ」
「リコ、それでも……」
「リノス」
リコが真剣な眼差しで俺を見つめている。俺はゴクリと唾をのんで、次の言葉を待つ。
「あなたに殺されるのであれば、私は本望ですわ」
「え? なに?」
「リノスに殺されるのであれば、本望です。どうせ死ぬのであれば、あなたの手で、この命を終わらせたいですわ」
「リコ……」
「ただ、そうは言っても、一つだけお願いがあります」
「お願い?」
「せめて……このお腹の子が……。この子だけは、何としてでも産みたいのですわ」
「リコ……」
俺は左腕のエリルを抱っこしたまま、右手でリコを抱きしめた。何と幸せな言葉だろうか。このまましばらく、この幸せな時間を味わっておきたい……。
「おなかすいたー」
エリルの一言で、現実に戻されてしまった。俺はエリルの顔を見つめる。彼女は恥ずかしそうに、俺の腕を抜け出し、そのままリコのベッドに倒れ込んだ。その様子を見たリコは、いつもの笑みを浮かべて口を開いた。
「さあ、エリル、リノス、食事にしましょう!」
その笑顔は驚くほどに美しく、可愛らしかった。そんなリコの体からは、後光がさしているように、俺には見えた。
その日の夕方、俺はシディーを伴ってメインティア王の部屋を訪れていた。突然来訪したためにパターソンたちは目を丸くして驚いている。実は、俺自身も驚いているのだ。
その少し前、アガルタの執務室で仕事をしていたら、突然シディーがやってきた。よく寝たせいか、いつもより元気に見えるが、それだけに絶好調だったのだろう。いきなりこれからメインティア王の所に行きたいと言い出した。
俺は相手の都合を確認しようとしたのだが、シディーは今すぐにと言って聞かない。結局俺はその理由を聞くことなく、スタスタと王の部屋に向かって歩く彼女の後ろを付いて行く他なかった。そして、部屋に着くなり彼女は、挨拶もそこそこに、メインティア王に向かって口を開いた。
「フラディメ国で何があったのでしょうか? メインティア王様、あなたは、凄まじい憎しみを持った念霊に憑りつかれていました。今は短剣に封じ込めていますが、きっといつの日かこの封印は破られるでしょう。リノス様が亡くなれば……この封印も解けてしまいますから。この念霊を再びこの世に放つことは、フラディメ国にとっても、世界の国々にとってもよろしくありません。できれば、この念霊を慰撫することが必要だと思います。王様、ここに封じ込められている、四角い顔をした男は、一体誰なのですか?」
シディーの話を聞いた直後から、明らかにパターソンたちが動揺している。しかし、メインティア王はいつもの柔和な笑みのまま、ゆっくり口を開いた。
「四角い顔……。キャバレットの叔父上かな?」
「キャバレット?」
「わが父、大上王の弟だ。そうか、キャバレットの叔父上か……」
「そのキャバレット様は、何故、半精霊化するほどの憎しみを持たれているのですか? 一体、フラディメ国で何があったのですか?」
シディーの問いかけにメインティア王は答えず、目を閉じて、静かに何かを思い出している。
「叔父上様は……。蹴鞠の名手でね。芸術を愛する御方だった。我が父とは真逆の方だったが、それでいて二人の仲はよかった。父の右腕と呼んで差し支えなかった」
「では、なぜ、そのようなお方が……」
「詳しくは私もわからないんだ。パターソンたちは何か知っているかもしれないけれどね」
王はゆっくりと後ろを向いてパターソンたちに視線を向ける。彼らは一斉に王から目を逸らした。
「いくら聞いても、知らないと言うのだよ。知らないものを教えろとは言えないからね。ただ、私が聞いているのは、叔母上がお亡くなりになった直後に叔父上は狂われて、まだ幼かった息子のグレゴーンを手にかけ、その後でご自分で命を絶たれたということだ。確かに叔父上と叔母上は仲が良かったからね。私は叔母上も好きだったし、従弟のグレゴーンとも仲が良かったから、その話を聞いた時はさすがに大きな衝撃を受けた」
メインティア王は何かを思い出すかのような遠い目をして、しばらくの間沈黙する。そして、再びゆっくりと口を開いた。
「そうか……叔父上が私に憑いていたのか。しかも、憎しみを持って……。叔父上に恨まれる覚えはないのだけれどね。一体なぜなのだろう。できれば、叔父上に会って話がしてみたいね。王妃様、その……叔父上が封じられている短剣……は、どちらにあるのかな?」
「さる場所に祀ってあります」
「それをいただいても?」
「強力な結界で封印しているので、お目にかかることは難しいと思います。まずは……」
シディーは目を閉じ、左手の人差し指と中指を額に当てて何かを考えていた。そして、ゆっくりと顔を上げ、メインティア王に向かって口を開く。
「まずはこの念霊を慰撫することが先決ですね。それをどうするか……」
「なるほど。それならば私に任せてもらおう」
「何かお心当たりでもおありですか?」
「ああ。私に一つ、考えがある。叔父上の件は私に任せてもらおう」
いつになく自信満々のメインティア王。その姿を、シディーは無表情で眺めている。俺は、何か厄介ごとが起こりそうな予感に、軽い頭痛を覚えるのだった。