第二百四十六話 追い込まれるリノス
「せっかく我が城まで来たのだ。私だけが一方的に話をするのではなく、君たちからも、これまで私が経験したことのないような、いい話が聞きたいね」
にこやかな笑みを浮かべたまま、ポセイドン王は俺たちを見まわす。
「あいにくと私は、ポセイドン王のお気に召すような話は、持ち合わせていません。何しろ私は、興味を持った女は、すぐにベッドに寝かせてしまいますので」
メインティア王が照れながら話をする。ポセイドン王は笑みを崩すことなく、ゆっくりと頷いている。
「それもよいだろう。しかし、君は、それで満足できずに我が許に来た。君は私に何を聞きたい?」
どうやら、メインティア王との話が盛り上がりそうだ。俺は隣のルアラと目を合わせて、何とかこの場から離れようとする。そんな話は、三人でやってくれればいいのだ。
「父上様、誠にすみませんが、私は席を外させていただきます」
ルアラが立ち上がる。ナイスだ、ルアラ。このタイミングで俺も外に出よう。
「では、わた……」
「そうかい。ええと……。女性を前にしてする話ではなかったね。ええと……」
俺が相槌を打って一緒に出ようとしたが、ポセイドン王の反応が予想外に早かった。完全に俺の声が食われてしまった。王はにこやかにルアラを見ているが、どうやら彼女の名前を思い出せないらしい。ルアラは大きく一つため息をついて、呆れたように口を開く。
「ルアラです、父上様。お気になさらないでください。私は、母に会いに参りますので、お話が終わりましたら、またお召しください」
「そうかい。うん、では、話が終わったら呼ぶことにしよう。気を付けて行っておいで」
「あの……」
「ああ、君は確か、娘が世話になっている……。うん、娘が世話をかけるね。今日はそのお礼も兼ねて、存分に語ろう。時間は十分にある。君たちが満足するまで付き合うつもりだ。遠慮しないでくれたまえ」
「おお! さすがはアガルタ王だ。ポセイドン王に十分に時間を取ってお話をいただけるとは。やはり、君は素晴らしい男だ」
「ポセイドン王のお話は、きっと我が王のこれからに、大いに役立ちましょう」
メインティア王とラファイエンスが抜け抜けと言い放つ。そのお陰で俺は、席を外すタイミングを逃してしまった。ふとルアラを見ると、彼女は一刻も早くこの場を去りたいという顔をしながら、俺たちに向けて一礼をする。そして踵を返し、スタスタと部屋を出ていってしまった。
「それでは、まずご挨拶代わりに私からお話し致しましょう。私は、甘酸っぱい失恋のお話です」
ラファイエンスが口を開く。ポセイドン王はにこやかに微笑み、頷きながら、彼に視線を移す。
「私は、アガルタ王にお仕えする、ラファイエンス・オーグと申す者です。私がまだ若い頃……。そうですな、ヒーデータ帝国の帝国士官学校を卒業してすぐの頃、たまたま警護を担当しました皇女様に、一目惚れを致しました。しかしこちらは一介の兵士、相手は皇帝の娘……。声をおかけすることも出来ず、ただお傍にお仕えしながら、悶々と暮らしておりましたところ、何故か私が彼女に思いを寄せていることが、宮城中の話題となりました。その時、思ったのです。誰にも言っていないのに……何故だ、と」
……小学校なんかで、よくありがちな話だな。その振る舞いと態度でわかってしまうってヤツだ。本人は隠しているつもりだが、周囲から見るとバレバレなんだ、これが。まさか将軍に、そんな甘酸っぱい経験があったとは。
ふと視線を移すと、メインティア王は天井を見ながら、ううむ……と唸っている。対して、ポセイドン王は、相変わらず微笑みのまま、目を閉じて何かを考えている。
「うーん。思いを遂げたくても遂げられぬ身分違いの恋か……。うむ、確かに、私にはそうした経験がない。自らに置き換えて考えてみると……。口惜しい気持ちになるだろうな」
「ええ、仰る通りです。その口惜しさが、次に同じ思いをせぬ場合は、どうしたらよかろうと考え、自らを磨いていくことにつながりました」
「なるほど。うむ、面白い。ラファイエンスとやら、私は満足だ。いい話を聞かせてもらった」
今みたいな話でいいの? なんか、拍子抜けだ。そのくらいの話なら俺でもできそうだ。モテないエピソードには自信があるのだ。
そんなことを考えていると、ポセイドン王の視線が俺に向いていることに気が付く。どうやら、お前も何か喋れと言いたいのだろう。とりあえず、モテないエピソードを披露して、あとは話が終わるまで、この部屋の空気と一体化しておこう。精々、将軍とメイティア王には、色々な話をしてもらって、この王のご機嫌を取ってもらうことにしよう。
「……アガルタ王、君は、どうだい?」
「ええ、私などは、そんなに面白い話でもありません。先ほどのラファイエンス将軍のような、失恋に関する話であれば、一つありますので、お話ししましょう」
……何故か、全員が俺を興味深そうに見ている。何か、話しづらい。
「ええと……。俺がまだ若い……。いや、子供の頃、子供の頃ですね。一人の女の子を好きになりまして……。ただ、どうしても、その娘に好きだとは言えなかったのです。好きと言って、彼女にドン引きされて、避けられるのが怖かったのです。で、好きという思いを心に閉じ込めていましたら、友人が言うのですよ。お前、何か悩みでもあるのか? 元気ねぇぞ? ってね」
……全員が目を閉じて、何かを考えている。
「なぜ、思いを告げん?」
ポセイドン王が、よくわからんという顔で俺を睨んでいる。
「そうだ。それならば、腕を取ってベッドに連れて行けばよいではないか。体に異常をきたすほど我慢しているのならば、なおさらだ。ベッドが無理ならば、人気のないところに連れて行き、何故思いを遂げない? 私には理解できない」
首を振りながらメインティア王は、呆れたように呟く。俺はテメェのような色魔じゃねぇんだよ。黙ってろよ。
「ううむ……。その相手は王女だったのか? ……違う? 同じ年で、同じ身分? 身分違いの恋であればさもありなんと思うが……。それならば……己が狙いを定めた獲物を目の前にして何もせぬとは……敵前逃亡ではないのか?」
ちょっと待て、何でそんなややこしい話になるんだ? これ、俺が高校生の時の話だよ? しょうがないじゃないか、まだ誰とも付き合ったことがなかったんだから。まあ、ヘタレであることは認めるが、それ、そんなにダメなことか? 一回くらいない? そんな経験?
「いや……。私も、初めて好きになった女性と言いますか……。その……どうしてよいのかわからなかったもので……」
「我が王は、元々は平民なのです。平民には侍女や女官などはおりません。従って、両王のごとく、誰かが手助けしてくれるということは、よほど裕福なものでなければございません。我が王の立場も、ご理解ください」
ラファイエンスが助け舟を出してくれる。それでも両王は理解できないという表情をしている。
「まあ、仰ることはよくわかります。俺も、好きだと伝えておけばよかったと思います。ただ……」
「ほう、ただ……何だ?」
「その女性とは別々の道を歩むことになりましたが、今でもその女性は、俺の思い出の中で、あの当時と変わらず清楚で美しいままです。ヘタに手を付けて幻滅するよりも、キレイないい思い出として残るというのもいいと思いますよ? 思い出というのは、輝きますからね。思いを忍んで、忍んで、忍び続けたからこそ、死ぬまで色あせない思い出として残ったので、俺は後悔していません」
再び沈黙が流れた。そして、ポセイドン王は小さな声で呟いた。
「忍ぶ恋……。忍ぶ恋……。忍ぶ恋か……」
その言葉を聞いて、将軍とメインティア王がポセイドン王に目を向ける。彼はゆっくりと目を開き、今までとは打って変わり、真顔になって口を開いた。
「……思い出は色あせず、輝き続けるか。確かに、自らが想像していた女と異なることもよくある。しかし、敢えて手を付けず、生涯美しい思い出として残し続ける……。なるほど、それはそれで、奥ゆかしいのかもしれないね。思いを内に秘めながら、それでも、隠しても隠し切れぬその思い。私には理解できないが、まあ、そういう色恋もあるのだろうな」
え? ポセイドン王、ちょっと怒ってる?
「アガルタ王、今回はポセイドン王の広い心に救われたね。次は……ないよ?」
メインティア王がいかにも不満ですという表情のまま俺に話しかけてくる。
……何でお前にそんなことを言われなきゃなんねぇんだよ。 何だよ、その、空気読めねぇなコイツ、みたいな顔は!? 気に入らねぇんなら、マジで大上王の許に帰してやろうか? 一般の男ってなぁ、テメエらみたいに女に囲まれた生活しているわけじゃねぇんだ。口説いて口説いて口説いて……頑張ってるんだ! お前ら、世間の男が聞いたらブッ飛ばされるぞ?
「うむ。それでは、君たちの質問には何でも答えることにしよう。私に聞きたいことは、何だい?」
「私は、どうすれば女性と長い間、楽しく、そして、面白く過ごせるのか、その方法を指南いただきたい。私には50名を超える側室がおりますが、皆、私に体を預けるのみで、正直、欲望を満たしてしまいますと、面白みがなくなってしまうのです」
いつになく真剣な表情でメインティア王がポセイドン王に尋ねている。彼は再び柔和な顔に戻り、ゆっくりと頷きながら言葉を返す。
「なに、簡単なことだよ。女性に何かをしてあげればいい」
「何か、とは……」
「女性の希望を把握して、それをやってあげるのだよ。その希望をどうやって把握するのかは、いくつか方法があるのであとで教えよう。君は、自分の欲望だけを押し付けていないかい? ただ、体を求めるだけになっていないかい? それだと女は、体は開くけれども、心は開いてくれない。まずは、心を開かせないとね」
メインティア王は、なるほど師匠、その手がありましたかーといった様子で、うんうんと頷いている。そんな姿を見ながら、ポセイドン王はさらに言葉を続ける。
「あとは、笑顔だね」
「笑顔?」
「女性には常に笑顔でいることだ。そうすれば、比較的心を開いてくれやすい」
……なんかうまいことを言いながら、ちょっといいことを言っているような気がする。そんなポセイドン王を、まるで神様を見るかのようにメインティア王は見ている。
「それでは……」
ポセイドン王の話は、よほどメインティア王の興味を引いたと見えて、彼は矢継ぎ早に質問を繰り出す。そして王はその質問に、丁寧に答えを返していく。そして、ラファイエンスも折に触れて話題に入っていき、この三人の会話は盛り上がっていった。俺は、その話を聞きながら、ポセイドン王との交渉に入るタイミングを計っていた。
「……さて、他に何か私に聞きたいことは、ないかい? アガルタ王はどうだい?」
絶妙のタイミングで、ポセイドン王が話を振ってくれる。俺はここがチャンスと見て、すかさず交渉の話題を持ち出す。
「ポセイドン王に、実はお願いがありまして」
「お願い? 何だい?」
「実は、ポセイドン王と同盟を結びたいのです」
「同盟?」
「いいやしばらく」
俺の話を誰かが遮った。ふと見ると、ラファイエンスが俺を鋭い目で睨んでいた。そして彼は再びポセイドン王に向き直り、恭しく一礼をしながら口を開いた。
「我が王が申しました同盟と申しますのは、軍事的な意味を持つものではございません。ゆめゆめ誤解くださいませんように」
「ああそうかい。軍事的な意味ではないのだね?」
「ハイ、仰る通りでございます」
……このオッサン、勝手に話をブッ潰しやがった! 何しやがんだ!
俺がラファイエンスを睨みつけていると、ポセイドン王が口を開く。
「つまり、アガルタ王は我と話をするだけでなく、それ以上の付き合い、誼を通じたいというのかな? そうであれば、一つ、条件がある」
「条件……ですか?」
「ああ、この私を驚かせてもらいたい」
「驚かせる?」
「そうだ。この私が驚き、感動するような愛の話をしてくれないか? そのくらいの実力がなくては、私も胸襟を開いて語り合おうとは思えないからね」
「おお、私もアガルタ王の話が聞きたいね。先ほどのように色も臭いもない話ではなく、王のとっておきの話が聞きたいね。いや、君は持っているはずだ。是非、聞きたいね」
「……お任せください両王様。我が主、アガルタ王、バーサーム・ダーケ・リノスは、両王様が、必ずご満足いただけるお話を、披露してご覧に入れます」
ラファイエンスが恭しく一礼する。ポセイドン、メインティア両王は、満足そうな笑みを浮かべて俺を見ている。ナニコレ? なんでそんなにハードル上がっているんだ? この変態どもが満足する話? 何を話せばいいんだ!? マジで恋愛経験少ないんだよ、俺。
……帰りたい。マジで帰りたい。どうすんだ、これ?




