第二百四十五話 予想外の展開
「師匠……。どうしましょう……」
「まさか、こんなことになるとはな……」
リノスの執務室で、ルアラはオドオドとした様子で、両手を胸の前で固く握りしめていた。一方、リノスは椅子に座りながら、思わず天を仰いでいた。二人の間には不穏な空気が流れている。
「ここは、私一人だけ……」
「いや、そうもいかんだろう」
「黙って……。黙っていれば、わからないと思います。言い訳は他に、何とでも付けられますし、私が何とかします」
「ルアラ……。そう考えるのはわからんでもないが……。バレるのは、遅かれ早かれだと思うぞ?」
「……」
「……まずは、リコに話をしないとな」
「師匠……」
「ルアラ、お前はここに居ろ。俺一人で行ってくる」
「……」
じっと俯いたままのルアラを残して、リノスは帝都の屋敷に転移していった。
彼が執務室に帰ってきたのは、しばらく経ってからのことだった。しかも、そこにはリコが一緒に付いて来ていた。その姿を見て、ルアラはギョッと目を見開き、小刻みに震えだした。
「リコ姉さま……」
「ルアラ……。話はリノスから聞きましたわ。後のことは、この私が何とかします。安心なさいな」
「そんな、姉さま……」
「ルアラは私たちの家族ではありませんか。気にしないでくださいな」
「姉さま……。すみません」
ルアラはじっと俯いている。リノスはそんな二人の会話を、何とも言えぬ表情で眺めていた。二人の間での会話に、彼が口をはさむ余地はなかった。そんな様子を察してか、リコがリノスに向き直る。
「後のことは、私に任せてくださいませ」
「リコ……すまん」
そう言ってリノスは、ルアラを伴って執務室を後にした。
事の発端は、ルアラが、父親であるポセイドン王に送った書簡だった。彼女は父上に直接お目にかかりたい、目通りできるのは2年後と言われたが、それは何時頃か。できれば今、お世話になっているアガルタ王にもお引き合わせしたい。こちらも忙しい日々を送っているので、願わくば、詳しい日程を聞かせて欲しい。そう書いて送ったのだ。そして、その文末に、現在、父上と同様、女性を愛することに生涯を懸けているフラディメ国のメインティア王がアガルタに逗留しており、父上に女性の扱い方の指南を受けたいと熱望している。父上の名声は、この陸の世界にも轟いている、と記したのだった。
ルアラにしてみれば、父に対して皮肉を込めて書いたのだが、豈図らんや、ポセイドン王から早々に返信があった。そしてそこには、メインティア王と話がしたいので連れてきなさい、とあった。しかも、指定された日時が、今月であれば満月の夜、さもなくば、2年後の11月の満月の夜、というものだった。
ポセイドン王からの手紙が届いた日から満月の日までは、あと3日しかなかった。リノスたちは慌ててメインティア王にその事情を伝えると共に、ポセイドン王に3日後の訪問を伝えたのだった。
アガルタからポセイドン王宮まで、まともに移動すると一週間はかかってしまう。当然、移動は転移を使うのだが、リノスの転移結界は外部の者には秘匿しているために、それを使うわけにはいかず、帝都まではチワンやローニたちポーセハイの力を借りることにしたのだった。彼らも忙しい日々を送っていたために、こちらの調整も難航したが、何とか無理を聞いてもらう形になった。
調整が最も難航したのが、リノスとルアラだった。ポセイドン王宮への往復は、3日間を予定していたのだが、このたった3日間を調整するのが、至難の業だった。二人とも、スケジュールが過密を極めていたのだ。
リノスの予定は、何とか調整することが出来た。しかし、ルアラのスケジュールは、出発の前日になっても、どうしても調整がつかなかった。彼女は、自分自身はアガルタに残り、自分の背格好によく似た者を影武者として帯同させることを提案した。影武者にリノスの結界を張り、ルアラのように見せればいいと考えたのだ。しかし、それでは、会話を交わせばたちまち偽物であると露見する。彼女の案を採用するわけにはいかなかった。
そこでリノスは、ピンチヒッターにリコを投入することを思い立った。お腹の子供も既に安定期を迎え、体調はいい。一つの気分転換にもなればいいという気持ちで提案してみたところ、リコは大喜びで二つ返事を返してきた。リノスはリコに深く感謝したが、一方で、フェリスとルアラをはじめとする政府関係者は、これから訪れるであろう、リコ様の鬼チェックと、マシンガンのごとく乱れ飛ぶ改善指示に戦々恐々としていたのだった。
さすがにルアラは直撃弾こそ免れることができるが、リコ様によって大量の「やり直し」が発生することは目に見えていた。しかも、仕事は待ってはくれない。彼女がポセイドン王のもとに行っている間に、どんどんと仕事は溜まる。当然それは帰還してからやっつけねばならない。彼女がヘコむのは、無理もないことだった。
迎賓館の一室にリノスとルアラは入っていく。そこには、ポーセハイたちとメインティア王が既に準備を整えていた。しかし、その中には意外な人物がいた。リノスは目を丸くして口を開く。
「……将軍、何をしているんですか?」
何とそこにはラファイエンスがいた。本来ならば兵士の訓練などで忙しくしているはずの将軍が、なぜこの部屋にいるのか。リノスは驚きを隠せないでいた。
「私が、お呼びしたのだよ」
声の主はメインティア王だった。彼はいつもの微笑みを湛えた顔でリノスを見ている。
「いや、将軍と話をしていたら、是非、ポセイドン王の話を聞いてみたいと言ってね。きっと、ポセイドン王も将軍のことは気に入るはずだからね」
「いや、最初の話を思い出しましょう。ポセイドン王に会いに行く主旨は、交渉です。女の話はあくまでオマケですよ?」
「そうかな? 話に聞くと、ルアラ殿が父王に会いたいと言った時は2年後と言われて、私のことを書いて送ったらば、3日後に来いと返事があったそうじゃないか。きっと王も我々と話がしたいと思っているに違いないよ。私にはポセイドン王の気持ちがよくわかる。ね、将軍?」
「ああ、一つのことを極めんと心に決める者は、志を同じくする者と語らいたいと思うものだ。それに、メインティア王の警護をする者が必要だろう。なぁに、軍のことはマトカルに任せておけばいい。リノス殿の交渉の邪魔はせん。むしろ、我々を連れて行くことで、交渉は間違いなくうまく運ぶだろう。大船に乗ったつもりで、任せてくれ」
自信満々のラファイエンスの態度に、リノスは返す言葉を失う。その隣でルアラは、別に一人二人増えても一緒です。父は気にしないと思いますよと、半分投げ槍のような返答を返している。そうしてリノスたちは、なし崩し的にポーセハイたちと共に、ヒーデータ帝国のカイリークの街に転移したのだった。
ポーセハイたちに丁寧に礼を言い、お土産を渡して、3日後に迎えに来てもらうように要請したリノスは、ルアラ以外の全員に結界を張り、海の中に入る。相変わらず、海の中でのルアラの動きは速い。おそらくあれでも動きをセーブしているのだろう、チラチラとリノスたちの様子をうかがっている。意外なのは、メインティア王の泳ぎが上手なことだった。後になってわかることだが、彼は幼い頃から父である大上王に水練を厳しく仕込まれたのだと言う。
大上王の考え方は、ラマロン皇国のカリエス将軍と同じく、大将が死ねば戦は負けというものだった。従って大将は最後の最後まで生き延びねばならない。しかし、逃げる時に泳ぐことが出来なければ、川や海を越えることが出来ずに、追っ手に追いつかれてしまう。そうならないために、大上王はメインティア王に水練を課したのだった。
結局、泳ぎが一番ヘタなのはリノスであり、彼は三人の足を引っ張ることとなった。水深が下がれば下がるほどその動きは鈍くなり、挙句には振り返ったルアラが舌打ちする程、先頭集団から遅れたのだった。
やっとたどり着いたポセイドン王宮だが、俺の脳裏に、初めて訪れた時に苦い経験が思い出される。
「確か城に入るまでに、かなり待たされたんだ。将軍、メインティア王、覚悟しておいてくださいね?」
そう言って俺たちは、城門まで泳いでいく。すると、門番の姿が目に入った。
「ルアラ様ですねー? お待ちしておりましたー。どうぞ、お通り下さーい」
門番が俺たちを見つけると、すぐに城門を開き、招き入れる。そして中には既に案内役の兵士がスタンバイしている。彼は俺たちが城門をくぐるのに合わせて動き出し、案内を始めた。お陰で俺たちは、全く立ち止まることなく、城内に入り、そのまま王宮内を移動することが出来た。
「何だこれ? 前に来た時とはえらい違いで、今回はいやにスムーズだな?」
「……すみません」
何故かルアラが謝っている。そんな話をしていると、俺たちは謁見の間にたどり着いた。ここでも俺たちが到着すると同時に扉が開かれ、立ち止まることはなかった。
部屋に入ると、王の側近であるカルヤートが控えていた。彼は既に玉座に向かって左手を指しており、俺たちが部屋に入るとすぐに声をかけた。
「そのまま立ち止まらずにお進みください。そうです、玉座の後ろの扉に、立ち止まらずにお進みください」
「あの……お久しぶりで……」
「立ち止まらないでください! 私の所には来る必要はありません! 私への挨拶は無用です。さ、早く我が王のもとへお進みください。王がお待ちです。早くっ。慌てず、走らず、騒がずに、しかし、止まらずに、早くお進みください」
「……せわしないな。何だこれ?」
「……本当に、すみません」
「いや、別にルアラが謝ることはないよ」
そうやってスタスタと歩くこと数分、俺たちは広い庭のような所にたどり着いた。海底らしく色とりどりの巨大なサンゴ礁が生えている。その一番奥、桃色のサンゴに囲まれた場所に、ポセイドン王はいた。
大きな丸いテーブルに腰かけ、にこやかな笑みを浮かべながら俺たちを見ている。相変わらず男前だ。
「座り給え」
俺たちが近づくと、ポセイドン王は優し気に声をかけた。するとどこからともなく半魚人のような男が現れて、テーブルに椅子を備え付けていく。そして彼らは椅子を持ちながら、「リノス様、こちらです」。「ルアラ姫」「メインティア様」などと俺たちの名前を呼んで誘導する。結局、俺たちは、全く立ち止まることなく、スムーズに自分の席に座ることが出来た。
「ポセイドン王様、お久しぶりです。アガルタ国の……」
「いや、挨拶はいい。固い話は抜きだ。私に女性の扱い方を知りたいと? 見たところ……。君たちも相当な手練れだね? いや、隠さなくてもわかる。私の直感は正しかった。君たちを呼んで正解だったな。よし、本日は女性について、恋と愛について、心行くまで語り合おうではないか」
ラファイエンスもメインティア王も、コイツ、わかっているじゃないかといった顔をしている。将軍に至っては、さあ、何から話しましょうかね? 一つあっしが露払いでも致しましょうか? というような顔をしている。ポセイドン王も、ものすごい期待感を持っているのが伝わってくる。
……何だか、男子校の修学旅行みたいだ。あれ? 俺も着席しているってことは、俺もこのゲスい話し合いに巻き込まれるのか?
その話、俺の話が終わってから、やってくれない?