第二百四十一話 シッポを出したキツネ
「大上王様に伝えて参りました。……あれ?」
部屋に戻ってきたパターソンの目に飛び込んで来たのは、大爆笑するメイと、リノスがメインティア王を睨みつけている光景だった。そんな状況だが、王本人は、いつもの笑みを湛えたままじっと二人を見据えている。
彼は恐縮しながら、大上王の言葉を伝える。
「お……恐れながら申し上げます。大上王様におかせられましては、アガルタ王様のお話を受けるとの仰せでした。ただし、自分では気の利く女を見分ける力はない。城内から募ってはみるが、誰も希望しない場合は、アガルタにてお探し願いたいとのことでございました」
「フ……ウフフフフ。父らしいな。女を見分ける力はない、というあたり、父らしいね。何しろ父は女といえば、母上一人しか知らないからね。そうか、城内で女を募るか……。どんな女が来るのか、楽しみだね」
「お……おそれながら、アリスン城に、王の下にはせ参じる女がおりましょうか?」
「うん? いなければ、こちらで探すさ。ともあれ、まずは父からの返事待ちということだね。さて、どんな返事を寄こしてくるか……。ところで、父の機嫌はどうだった? どやされなかったかい?」
「ええ、ご機嫌はすこぶるよろしゅうございました。何でも、手に入れた論文をどのように運ぼうか、嬉しそうにお考えでした」
「それはそれは。父に従って帰国する兵士たちに、同情するよ」
パターソンはリノスに向き直り、再び頭を下げる。
「アガルタ王様、ありがとうございました。不躾極まりないお願いを申しますが、何卒、王の願いをお聞き届けになりますよう、お願い申します」
リノスは、パターソンの慇懃な態度に力が抜けてしまい、首を振りながら口を開く。
「ああ、何とか考えてみるよ。それにしても、お前たちの王は、とんでもないな」
「とんでもない、と仰いますと? また、我が王が何か……?」
「面白い話をしろと言ってきた。面白ければ、俺の命令を一つ何でも聞くとさ。死ねと言われれば死ぬんだそうだ」
「国王様!」
パターソンは驚いた顔でメインティア王を見る。しかし彼は全く表情を変えず、飄々とした様子で口を開いた。
「どうしても、アガルタ王から話を聞いてみたかったんだ。きっと面白い話を持っているだろうなと思ってね。でも、私の目に狂いはなかったよ。本当におもしろいはなしを聞かせてくれたからね。……大丈夫。アガルタ王に限って私の命を奪うようなことはしないよ。そこら辺の分別はある御方だ。しかしアガルタ王、あなたのご命令通り、先ほど聞いた話は、誰にも言わないから安心していいよ。 ……これで、君の命令は聞いたことになるね?」
王はニコリと笑いながら、眉間に皺を寄せているリノスを見る。そして、再背後に控えているパターソンを始めとする従者たちに視線を移す。
「皆に申しおく、我はこれより、アガルタ国の留学生だ。そなたたち、我が近習3名も同様だ。アガルタ王の命令は絶対に服従せよ。王の命令は私の命令、いや、大上王の命令だと思うのだ」
「……国王様は、これからどうなさるおつもりなのですか?」
従者の一人が不安そうな声で口を開く。王は笑みを湛えたまま言葉を返す。
「せっかくアガルタに来たのだ。メイリアス王妃に体を診ていただいた後、しばらくは、都の名所や宝物を見て回ろうと思う。忙しくなるぞ?」
そう言って王はケラケラと笑うのだった。その様子を見ていたリノスに、パターソンが再び話しかけてくる。
「アガルタ王様、我が王にはいろいろと思うところはおありかと思いますが、決して悪い御方ではないのです。実際、大上王様が隠居され、王が即位された時、国の者全員がホッとしたのです。王は万事行うことが穏やかで、その……傍にお仕えしておりましても、我々は楽しゅうございます。ただ、わがままで、女にだらしがないだけなのでございます」
「それ、一番ダメだと思うぞ? ……まあいい。パターソン、お前の顔を立てて、俺は何も言わないことにする。とりあえず、しばらくは迎賓館の部屋を使うといい。こちらからも、人を遣わそう。何か用があればその者に言ってくれ。ただし、それなりに腕のある者たちだ。間違っても手籠めにしようなどと思わぬことだ。また、王が他の女に手を出したり、俺に不都合のある振る舞いがあったりしたら……。その時は、わかっているな?」
恭しく頭を下げるパターソン。リノスはメインティア王とその従者たちをひと睨みして、無言の圧力をかけた後、メイを伴って部屋を後にした。
その夕方、帝都の屋敷に帰ったリノスは、ダイニングで物思いに耽っていた。メインティア王をどう扱うかに頭を悩ませていたのだ。
ペーリスが作る料理の、いい匂いが漂ってくる。次々と家族が帰宅し、あっという間にダイニングは騒がしくなる。
「リノス、一体、どうしたのです?」
リコがエリルを抱っこしながら、リノスの隣に座る。彼は今日あったこと、メインティア王の問題について、話をする。リコは難しいですわねと言いながら、エリルの食事の準備をテキパキと整えている。その隣ではメイがアリリアを同じように、食事の準備を整えている。
「ただいまでありますー」
リノス、リコ、メイの三人が話をしている最中に、ゴンが帰ってきた。
「ご主人、どうかされたのでありますかー?」
「ああゴン、実はな」
次々とキッチンから料理が運ばれてくる最中であったが、リノスはゴンに今日あったこと、メインティア王のことについて話をしたのだった。
「なるほど! よくわかったであります!」
すでに人化を解除して、白狐の姿の戻っていたゴンだが、彼は器用に前足を使って、手をポンと鳴らした。そして、何かに得心したかのように頷きながら、彼は口を開く。
「吾輩に、任せるのでありますー」
「おお、ゴン、何か名案でもあるのか?」
「当然でありますー」
ゴンの声を聞いて、ペーリスをはじめ、フェリス、ルアラ、ソレイユ、マトカル、シディー、果てはフェアリもパタパタと飛んできた。全員がゴンに注目している。
「簡単でありますー。メインティア王の身分を偽って、色街に連れて行けばいいのでありますー。あそこは人通りが多いでありますから、人ごみに紛れてしまえば、王のことはわからないでありましょうなー。店に払う代金は王が支払うので、こちらの懐は痛まぬでありますし、店も客の安全には気を使っているでありますー。万全を期して、ご主人の結界を張っておけば、おそらく大丈夫でありましょうなー」
ほう、なるほどと皆が頷く。
「どの王族もすることでありますが、衣装を変えて、どこかの商家の旦那とでも言っておけば、店側からも、それ以上の詮索はされないのでありますー。色街の案内は、吾輩に任せて欲しいのでありますー。あの街のことは裏も表も全て熟知しているでありますからなー。各種色事に精通している吾輩に、よくぞ相談してくれたでありますー。あの街は、ミラヤもいいでありますが、他にも良い店がたくさんあるでありますー。メインティア王の好みに合う店にお連れするでありますぞー。若い女がいいのか、年増がいいのか、複数プレイもいいでありますなー。一国の王でありますから、金に糸目をつけず、早めに言えば、水揚げも出来るかもしれぬでありますなー。あ、色街が初めてであれば、最初はお触り専門の店でもよいでありますなー。巨乳、貧乳、美乳……。色々な女がいるでありますー。その女たちの乳をモフモフしながら、我らもモフモフされる……。その後、腰を据えてミラヤで裸の女たちを並べて片っ端から……。想像しただけで興奮するでありますなー。ウヒヒヒヒ。あとは……あれ?」
気が付くと、軽蔑しきった女の視線に、ゴンは晒されていた。さらには、エリルにはマトカルが、アリリアにはソレイユがそれぞれ子供たちの耳を押さえ、ゴンの話を聞こえないようにしていたのだった。
「……あの……その……あくまで……聞いた話で、ありますよー。この吾輩がまさか、ねぇ……。ハハハハハ」
全身から冷や汗を流すゴンに、リコは一瞥をくれた後、フェリスとルアラに視線を向け、無表情のまま、顎をしゃくった。二人は一切表情を変えないまま無言で一礼をして、ゴンの後ろに立った。
「あれ? フェリス殿? ルアラ殿? 何をするでありますか? ええ? ちょっと? どこに? あれ? いやいやそれは! おひいさまの所だけは! それだけは! ちょっと! ゴメンナサイでありますー! ゴメンナサイでありますー! ご主人! ご主人! たすけ……」
「二人はすぐにでも戻ってきますわ。さ、冷めないうちに食べましょう」
リコは笑顔で皆に声をかける。しかし、その眼は全く笑っていなかった。
「バカめ……。こんなところで、尻尾を出すこともないだろうに……」
リノスはゴンのゲスさと間抜けさに呆れつつも、それでも、王の対応を彼に任せようと心に決めるのだった。
その夜、ゴンは屋敷に戻ることはなかった。