第二百二十話 女同士の身の上話
朝、朝食を終えたリコは、フェリスやルアラ、マトカルらと共に都に向けて転移していった。今日の俺は休暇を取り、メイと共に子守の一日だ。
エリルもアリリアも、つかまり立ちから歩こうとする時期に来ている。二人とも「ママ」や「マンマ」など色々な言葉をしゃべりながら、機嫌よく過ごしてくれているが、二人を見ていると、それぞれの性格が出ていて面白い。
エリルは行動派のようだ。まだ歩けないのに歩こうとしている。トテトテと歩くがすぐにベタッと転んでしまう。そこで泣くかと思いきや、彼女はムクリと立ち上がってまた歩き出す。転んでもあきらめず、すぐ起き上がっていく姿は、ちょっと感動する。きっとこの子は早く歩けるようになるだろう。行動を見ていると、亡くなった先代エリルに、やはり似ているようだ。
一方でアリリアは慎重派だ。伝わり歩きはするものの、エリルが転んでいる姿を見ているためか、自分から歩きに行こうとはしない。しかし、一歩歩いてつかまり、二歩歩いてつかまりしながら歩いている。どうやらこの子はあまり失敗をしないタイプのようだ。
そんな娘たちをメイは甲斐甲斐しく面倒を見ている。さらにはフェアリも、娘たちの頭上をパタパタと飛びながらいい遊び相手になっている。こうしてみていると、この三人はまるで姉妹のようだ。
子どもたちとフェアリがじゃれ合いながら遊んでいる様子を見ながら、俺はメイに話しかける。
「キリスレイの特効薬ができたかと思ったら、今度はルロワンスが発生するとはな。メイもなかなか休まる時がないな」
「いいえ。私は子供たちのことがありますから、比較的休ませていただいています。むしろ、チワンさんやローニさんが心配です。でも最近はシディーちゃんが手伝ってくれますので、それがかなり助かっています」
「ああ、シディーは分析が得意なんだっけ?」
「はい。ドワーフ族は物質を徹底的に分析してから武器や防具を作ります。モノの持っている特性を最大限に活かすための分析力は必要で、その点ではシディーちゃんはとても優秀です。ルロワンスの発生源やその対策も目途はついています。あとは実験結果で証明できれば大丈夫だと思います」
「メイやシディーたちには負担をかけるけれど、ルロワンスの対策、よろしく頼むな?」
「はい、お任せください」
メイの満面の笑みを見て、俺の心は癒されていくのだった。
ちょうど同じ頃、アガルタの迎賓館の一室では、リコとヴィエイユの会談が始まっていた。
当初リコは二人だけの会談を希望したのだが、さすがにそれは危険が伴うとのことで、マトカルがそこに同席していた。当然リコにはリノスの結界が張られているために、彼女が攻撃を受けることはない。しかしマトカルは、この会談にイヤな予感を感じていた。そのため彼女は、リコを一人にすることに不安を感じていたのだ。
「これまで信じていたものが崩壊して、生きる目的を失ってしまいましたわね。どうしていいのかわかりませんわよね? わかりますわ」
挨拶もそこそこにリコは口火を切る。ヴィエイユは相変わらず虚ろな目でリコを見つめている。
「私もあなたと同じでした。その昔、仕えていた者たちが遠ざけられ、あるいは討たれ、私自身も幽閉されて、一時は命を奪われそうになった経験がありますわ。実の兄に。その時は、私も呆然自失になりました。第一皇女として誹りは受けたくないという自尊心……。自害すればよかったのかもしれませんが、あいにく私にはその勇気はありませんでした。そこにきて、私の助命と引き換えに、今の夫であるアガルタ王・リノスとの結婚の命令……。好きでもない男、しかも、奴隷上がりの男との結婚の強要……。どうしていいのかわかりませんでしたわ」
ヴィエイユは相変わらず、無表情のままだ。リコはそれには構わず、話を続ける。
「あなたはきっと、誰よりもクリミアーナ教国のために心を砕き、そして、努力されたのだと思いますわ。人には言わなくとも、私にはわかります。あなたは、私と同じニオイがするのですわ。きっと、教えを守り、自分に厳しくあり、色々なものを我慢し、犠牲にしてきたのだと思いますわ。すべては教国のために……。それだけ努力をされて来たにもかかわらず、ご自身が病に感染されて、さらには、信じていた神を冒涜するようなことをしてしまった」
ヴィエイユの目がゆっくりと横に動いていく。リコはその様子を見て、優しい笑みを浮かべる。
「……辛かったですわね」
その言葉を聞いた瞬間、ヴィエイユの目から涙が流れ落ちる。そして、彼女は声を殺して泣き出した。リコはゆっくりと彼女の傍に行き、優しくその背中を撫でる。
「辛かった、辛かった。自分の力ではどうしようもなかったですわね? 自分自身を否定してしまいましたわね? 辛かったでしょう。私も同じでした。わかります。そのお気持ち、よくわかりますわよ」
リコは小さく声を上げて泣いているヴィエイユの両手を握り、優しい声で彼女に語り掛ける。
「今、あなたは、死にたいと思っていますわよね? でも、ご自身では死ねないので、誰かに殺してほしい、そう願っておいでですわよね?」
ヴィエイユは泣きながらゆっくりと頷いた。
「あなたは素晴らしいお人ですわ。そこまで責任感のあるお人を、私は見たことがありませんわ。でもね、ヴィエイユさん、こう考えてはいかがかしら。これは絶対ではありません。ヴィエイユさんはあなたの信じる道をすすめばよろしいのですから。これは、一つの考え方と捉えていただければうれしいですわ」
リコはそこで言葉を切る。しばらく彼女は何も言わず、ヴィエイユの手を握り続けている。ヴィエイユもその雰囲気を察して、ゆっくりと顔を上げて、リコを見る。
「死ぬのはいつでもできるのです。その気さえあれば、いつでも死ねます」
優しい笑みを浮かべながら物騒な言葉を吐くリコを、ヴィエイユは目を見開いて凝視する。
「でもね、あなたは今、生きています。生かされています。これには何か、意味があるのではなくって?」
「私は……多くの信徒を死に追いやりました。……クリミアーナ教の威信に傷をつけました。きっと、その、天罰なのでしょう。死ぬまで苦しめ、と」
「いいえ。私はむしろ逆だと思うのです」
「逆?」
「私もそうでした。夫と結婚する時は、あなたと同じようなことを思いましたわ。でも、考え方を変えたのです。ひょっとして、これには意味があるのではないかと。私が生かされている意味は何なのか、それを見つけてみようと」
「……リコレット様の、生きる意味は、見つかったのですか?」
リコは満面の笑みを湛えて、口を開く。
「ええ。割と簡単に見つかりましたわ。私の生きる意味は、アガルタ王・リノスを支えて、この国を戦のない平和な国にするための手助けをすること。これはもともと私が目標としていたことであり、打ち砕かれた夢でもあります。しかし、夫を助けることで、私は子供のころからの夢を、再び追いかけることができるようになりました。考え方と捉え方次第で、物事はどのようにでも変えることができますわ」
ヴィエイユの両目は落ち着きなく左右に動いている。リコは彼女の両手から手を放し、姿勢を正して、真剣な表情になって、再び話しかける。
「ヴィエイユ様、もう一度、生かされた意味をお考えになっては如何かしら?もしかすると、あなたの信じるクリミアーナ様は、あなたに何らかの使命をお与えになったのではなくって?今のクリミアーナ教は、果たして主神様が望む形なのかしら?」
そこまで言うと、リコは再び柔和な顔になる。
「まあ、あくまでこれは私の考えですので、別に受け入れる必要などありませんわ。ただ、私と同じ境遇のあなたが気になって来てみただけなのですわ。でも、お話しできてよかったですわ。あなたは、私が思った以上に責任感のある御方でした。お会いできただけでも、よかったですわ」
リコは本当にうれしそうな顔をして話をしている。その姿を見てヴィエイユは、少し心が軽くなったような気がしていた。
一時間後、会談が行われた部屋からは、女たちの笑い声が聞こえていた。リコ、ヴィエイユに加えて、マトカルもその輪の中に入って、お茶を飲みながらお菓子を食べ、会話を楽しんでいたのだ。
ヴィエイユは二人の女との会話を楽しみながら、リコが言った、自分が生かされている意味について、思いを馳せるのだった……。




