第二百八話 天罰
雪がちらつく冬の寒い日であるにもかかわらず、アガルタの都にある迎賓館の一室は、窓が開け放たれていた。その窓辺には、一人の男の姿があった。国王のリノスである。彼は、窓から見える一面の銀世界を、何かを食べながらじっと見ている。そのリノスの背後に、人影が見えた。
「・・・寒くないのか?」
話しかけているのはマトカルだった。リノスはちらりとマトカルを見る。しかし、相変わらず何かを食べ続けている。
「結界を張っているからな。問題ない。基本的に、結界の中では一番適温になるように調整している。あれ?マトに結界を張っていなかったか?」
「攻撃を受けない結界は張ってもらったが・・・温度までは・・・」
「おお、そうだったか。じゃ、結界を張りなおそう。・・・ほらよ」
「・・・暖かい。・・・便利だな、リノス様の結界は。・・・一緒にいると、どんどん自分がヤワになりそうだ」
戸惑いながら呟くマトカルをチラリと見て、リノスはニヤリと笑う。そして彼は、机の上に置かれた箱に手を伸ばして何かを取り、それを口の中に放り込むのだった。
その時、窓の外に数匹のフェアリードラゴンが現れる。リノスは、寒風が吹き込む窓辺に立ち、彼らと対峙している。
『・・・なるほど。この寒風の中、接舷を始めたか』
『はい。船から続々と人が降りてきています』
『ヒーデータからも人の集団が向かって来ています。あと一日くらいでイルベジ川に到着すると思われます』
『ニザ公国からも、人の集団が移動しています。こちらは、あと数日はかかる見込みです』
『わかった。ご苦労だったな。褒美だ、食え』
俺はそう言って、小娘がお土産に持ってきた店の饅頭をフェアリードラゴンたちの口の中に放り込んでやる。彼らは尻尾を振りながら姿を消した。それを見届けて俺は窓を閉め、マトカルの方向に振り返る。
「マト、ニザとの国境に軍勢を展開させろ。クリミアーナの信徒が来るようだ」
「ニザからも来るのか?奴らは・・・国境で追い返せばいいのか?」
「いや、そいつらは入れてやれ。ある程度の人数がいないと、小娘たちも楽園が作れないだろうからな」
俺はニヤリと笑う。
「そしてマト、クノゲンを呼べ。早急にだ」
「わかった」
しばらくすると、マトカルに伴われて、クノゲンがやって来た。
「クノゲン、すぐにガルビーに向かってくれ。沖合に停泊していたクリミアーナの船が接舷を開始しているようだ」
「わかりました。すぐに行って上陸を阻止します」
「いや、上陸させるのは構わん」
「どういうことですか?」
「上陸は構わんが、アガルタに向かうことは禁じる。奴らを一歩もガルビーから出すな」
「リノス様、それでしたらいっそのこと、上陸を阻止したほうがよろしいかと思いますが・・・」
「いや、上陸は許可してやれ。そして、アガルタに出発するのは三日遅らせろ。なんだかんだとぬかしやがったら、クリミアーナ様の神託が俺に下ったのだと言え。それでも、無理やり出発しようとするやつらは、放っておいて構わん。とにかくクノゲンは、クリミアーナの出発を三日遅らせてくれ。それだけでいい。そうしないと天罰が下るとか言っておけば、大丈夫だろう」
「ははぁ。また、何かよからぬことを企んでおいでですな?わかりました。そのように致しましょう」
「すまんな。クノゲンもマトも、決して無理はするな。マトはクリミアーナの連中が無事にアガルタに入るのを確認したら、すぐに戻ってこい」
「わかった。見守るだけでいいのだな?」
「ああ。ただし、軍勢に危害を加えたり、ナメたことを抜かしやがったりするのであれば、遠慮なく追い返せ。一戦になれば、奴らは死を恐れない兵士になるからな。そこは覚悟しておけよ?なるべく、そうならないように願うが・・・それは・・・できるな?」
「任せてくれ。ヤツらを大人しくさせつつ、アガルタに連れてくるのだろう?問題ない」
「よし。寒いから気をつけて行けよ?帰ってきたら、俺が温めなおしてやる」
「りっ・・・リノス様が先ほど結界を張ってくれたおかげで寒くはない。大丈夫だ」
マトカルはそう言って部屋を出ていった。クノゲンはその様子を見て苦笑いしている。
「顔が真っ赤でしたな」
「マトはこういう話には免疫がないからな。ついついやってしまうんだよ」
「あまりやりすぎますと、リコレット様に怒られますぞ?」
「おおう!そりゃイカンな。そうならないように、自重するよ」
俺はクノゲンと二人で声を出して笑い合った。そして、クノゲンはガルビーの街に転移していった。
「さてと・・・俺も行くか」
クノゲンを見送った俺は、背伸びをして、執務室を後にした。
その日の夕方、ガルビーの港は混乱を極めていた。接舷した船から上陸した数百人に及ぶ信徒と、アガルタの兵士たちとの間で小競り合いが起こっていた。
「あなた方は何なのですか!なぜ、我々の進路を塞ぐのです!」
「我々はこのアガルタを楽園にするために来たのです!なぜ我々の邪魔をするのですか!」
「我らはクリミアーナ様の信徒。我らの進路を邪魔すると、天罰が当たるぞ!」
罵詈雑言にも似た言葉が、兵士たちに浴びせられる。しかし、アガルタの兵士たちはそのような挑発には一切乗らず、全員が表情を変えることなく、押し寄せるクリミアーナの信徒を押し返している。一部の信徒はスキを見て通り抜ける者もいたが、兵士たちは一切興味を示さず、淡々と押し寄せる信徒たちを押し返すことに専念していた。
その時、数人の司教が、群衆を分けるようにして兵士たちの前に進み出て、怒りの声を上げた。
「クリミアーナ教の司祭長、カーリです。あなた方の司令官をお出しなさい!あなた方は誰の命令で、このようなことをするのですか!あなた方の王であるアガルタ王は、我々クリミアーナ教の入国を許可しているではありませんか!にもかかわらず、我々の移動を妨げるのは何故なのです!司令官を出しなさい!司令官を・・・うわっ!」
カーリと名乗る司祭長は、兵士たちの間から伸びてきた手に胸ぐらを掴まれ、そのまま引っ張り込まれていた。彼は息を荒げながら、自分の胸ぐらを掴んだ手の主を探す。
「・・・アガルタ軍の副司令官、クノゲンです」
声は自分の頭上から聞こえてきた。思わず頭を上げると、そこには人のよさそうな顔をした、しかし、体格のいい小柄な男が立っていた。
「あなたが司令官ですか。一体どういう・・・」
「神託が下りましてな」
「え?」
「我が王、リノスに、先だってクリミアーナ様からご神託があったのです」
「何?まさか・・・」
「本当かどうかは私には分かりませんがな。何しろ私はクリミアーナの信徒ではないのでね。我が王はこのような夢を見たそうです。クリミアーナ様が、信徒を集めてはならぬ、集めてはならぬ・・・。と、それはそれは悲しそうな声で仰られたそうです。すすり泣いて・・・もおられたのでしたかな?とにかく、クリミアーナ様は、信徒を集めてはならぬ、と仰ったそうです」
クノゲンはもっともらしそうに頷きながら、カーリに諭すように話しかけている。
「しかし、既にここガルビーには十隻を超える船が集まってしまった。このままではクリミアーナ様の御意に叛くことになりますな?本来ならば一艘一艘の船にお知らせしたいところでしたが、時間がありません。そこで主、リノスは、ここ三日間は、クリミアーナの皆さんは船にて避難していただくようにとお命じになられました。そのために、ガルビーから出ることを止めているのです」
「避難?どういうことですか!」
「ほら、天罰が下る可能性もありますからな?」
「天罰?なにを言うのだ。我々は敬虔なクリミアーナ教の信徒です。主神様であるクリミアーナ様から見れば、我が子も同然の我々。何で罰が下りましょうか」
カーリは豪快に笑う。その彼の耳に、聞きなれない音がどこからともなく聞こえてくる。そして、その音は徐々に大きくなってくる。
「な・・・なんだ、この音は?」
「ははぁ。思ったより早く、天罰が下るのですな?」
クノゲンは空を見てニヤリと笑う。その笑顔をカーリーは忌々しそうな顔をして睨みつけた。その瞬間、彼は目を見開いて固まった。
彼が見たものは、イルベジ川の上流から大量の鉄砲水が、アガルタ兵の制止を突破したクリミアーナの信徒たちを飲み込みながら流れてゆく光景だった。




