第二百七話 なんねぇだ!行っちゃなんねぇだ!
俺たちがサンダンジ国から帰ってきた次の日の夕刻、マトカルがアガルタの都に帰ってきた。出発した時に率いていた馬車と、予想通り数名の司教を連れて。
司教たちは馬に乗ってやって来た。全員が上手に馬を操っている。それだけ見ても、このクリミアーナ教国の司教たちが、一筋縄ではいかない曲者だということが分かろうものである。
奴らは都に到着するとすぐ、マトカルに伴われて迎賓館の謁見の間にやってきた。
「アガルタ王様、しばらくぶりでございます。我らが主神様、クリミアーナ様のご神託があったとか。是非是非、承りたく、取るものも取りあえず参上いたしました」
ヴィエイユは目を輝かせて、笑顔で話をしてくる。俺は苦笑いをしながら彼女に返答する。
「取るものも取りあえず・・・か。馬車に揺られて優雅な旅に見えたが、気のせいか?」
「とんでもないことでございます。私は一刻も早くアガルタ王様の下に参りたいと思っておりました。あいにく私は馬に乗ることができません。そのために、馬車に揺られながら、ひたすらクリミアーナ様に一刻も早くアガルタの都につきますようお祈りを申し上げておりました。その願いが通じ、日没までに、こうして謁見が叶いました。クリミアーナ様のご加護に感謝申し上げます」
そう言ってヴィエイユは祈りのポーズを取る。
「ふ~うん。確かに、お前たちをここまで運んできたのは、かなりの早さだったと思うが、それは、馬車を操る者のウデでも、それを先導し、安全で最短の道を進んだマトカルのお陰ではないのだな?」
「いいえ。むろん、馬を操られた御方や、先導された・・・そちらの御方もすばらしいと思います。その方々にも、クリミアーナ様がご加護を下されたのでしょう。さらに、いつも以上の力を発揮されたのだと思います」
俺は思わず失笑する。マトカルを見ると、彼女は呆れたように首を左右に振っている。
「いいな、その考え方は。ラクに世の中を生きられそうだ」
「王様!ご神託を承りたく、お願い申し上げます!」
ケラケラと笑っている俺にイラついたのか、小娘の横に控えていた小僧が、若干キレ気味に俺に話しかけてくる。俺は笑顔を湛えたまま、その小僧に話しかける。
「まあ、そう焦るな坊主。慌てる乞食は貰いが少ないと言うだろう?」
「坊主・・・」
俺の言葉が気に障ったのか、小僧は俺を睨みつけている。ヴィエイユは、その小僧の方にそっと手を置いて宥めている。
「アガルタ王」
よく通る声が部屋中に響き渡る。司教のコフレシだ。
「おお!コフレシ君。コフレシ君じゃないか!いや~久しぶりだな。会えてうれしいよ。元気そうで何よりだ。うん、何よりだ、何よりだ」
俺はわざとらしく頷いて見せる。コフレシはその挑発には乗らず、落ち着いた声で話しかけてくる。
「アガルタ王、恐れ入りますが、ご神託の内容をお教えいただきましょうか。我らにとって、クリミアーナ様からのご神託は、極めて重要なのです。お察しください」
小娘と小僧、そして六名の司教たちの視線が俺に注がれている。俺は、ゴホンと咳払いをして、姿勢を正す。
「一つ聞くが、今、ガルビーの沖合に、お前たちの船が十数隻やって来ているよな?あの船に乗っている奴らは全員、このアガルタにやってくるのか?」
クリミアーナの連中は互いに目配せをしつつ、何事かを確認している。そして、ヴィエイユが口を開く。
「はい。世界中の信徒が、このアガルタを楽園にするためのお手伝いをしたいと、参っております。間もなく敬虔な信徒たちが、このアガルタに到着するものと思われます」
それを聞いて俺は、ややオーバーアクションながらも、左手で顔を覆う。
「ああ~それか~。クリミアーナ様がおっしゃっていたことは~」
「どういうことでしょう?」
コフレシが落ち着いた声で聞いてくる。
「コフレシ君、クリミアーナ様はこう仰ったのだ。信徒を集めてはならぬ。集めてはならぬ、と。何でも、信徒を一か所に集めるのは、クリミアーナ様はお許しにならないのだそうだ」
「それはどういう意味ですか?」
小僧がしゃしゃり出てくる。
「知らん。俺はただ、夢で聞いたことをお前らに伝えようとしているのだ。意味を知りたけりゃ、坊主、お前が聞いてこい。・・・天国でな!」
小僧は目を見開いて俺を見ている。俺はそれにかまわずに言葉を続ける。
「なるほど・・・。ガルビーの沖に到着しているクリミアーナ教の信徒が、全員、アガルタに来るのか・・・。一体どのくらいの人数だ?十や二十じゃないよな?少なく見積もっても・・・数千か?ということは、クリミアーナ様の、信徒を集めてはならぬというお告げに反することになるよな?」
俺はクリミアーナの連中を見渡す。ヤツらは全員表情が無くなっている。
「諸君、ガルビーにいる信徒に伝えるのだ。なんねぇだ!行っちゃなんねぇだ。行けばえれぇ目に合うだ・・・とな」
「恐れながら申し上げます」
ヴィエイユが静かに口を開く。
「アガルタ王様がお受けになった神託は、果たして、クリミアーナ様ご本人様なのでしょうか?」
「うん?どういう意味だ?」
「こう申し上げては何ですが・・・。アガルタは大魔王が降臨した地、ややもすると、同じような邪悪なる存在が降臨する可能性もございます。もしかすると、邪神がアガルタ王様の夢に侵入されたのではないでしょうか?」
「なぜ、そう言える?」
「我が主神様であるクリミアーナ様は、信徒が集まる場所には、必ずご加護を授けてくださいます。我らクリミアーナ教が栄えておりますのも、そのためでございます。そんなクリミアーナ様が、信徒を集めてはならぬという神託を、しかも、アガルタ王様に下されるのは、いささか腑に落ちません。ここは一度、よくよく吟味なされるのがよろしいかと存じます」
ヴィエイユの話に、クリミアーナの連中は全員が頷いている。そして、小僧が再び口を開く。
「ヴィエイユ姉さまの仰ることはごもっともであると思います。そう言えば、アガルタ王は未だ、洗礼がお済みでないと伺っております。我らの洗礼を受けていただき、クリミアーナ様の敬虔な信徒となられて後、その神託を再び受けられたのであれば、我々も納得いたします。クリミアーナ様は寛大なお方です。一度、ご神託を聞き入れなかったとしても、我ら信徒の生死にかかわる重大事であれば、必ずもう一度、神託を授けてくれるはずです。まずは、アガルタ王の洗礼を、先に行いましょう」
小僧は両手を前に出して、俺を抱きしめんばかりの態勢で話をしてくる。それを、隣のヴィエイユは愛おしそうな眼差して見ている。
「カッセルの言う通りだと思います。アガルタ王様には、邪悪なる悪魔が憑いている可能性がございます。このままでは、アガルタ王様はもとより、ご家族、ご家来、ひいてはアガルタ国すべてに災いが降りかかります。そう、あの、大魔王が降臨した時のごとく・・・。そのような悲劇は繰り返すべきではございません。我らの主神様、クリミアーナ様は、洗礼を受けた敬虔な信徒は、必ずやそのような邪悪なる者どもを排除してくれます。アガルタ王様、どうぞ、我らの洗礼をお受け下さいませ」
「アガルタ王様、ヴィエイユ姉さまの仰る通りです。聞き及びしましたところ、アガルタ王様は見事な剣をお持ちですとか・・・。しかし、その剣は邪悪なる悪魔どもまでは斬れないかと存じます。我がクリミアーナ様は、そのような邪悪なる悪魔どもから守ってくださいます。ぜひ、洗礼をお受け下さいませ」
ヴィエイユとカッセルは満面の笑みを湛えている。俺はじっと二人の話を聞き、それが終わると、スッと立ち上がり、肩を張る。
「オホン。無形の陰鬼、陽魔、亡霊は、九字真言を持ってこれを切断せんに、何の難きことやあらむ」
・・・謁見の間に、微妙な空気が流れる。リノスは、小声で「勧進帳知らねぇのか」などと呟いている。
「う・・・オホン。そこは、してまた山伏のいでたちは!なんて名調子で言ってくれると問答が盛り上がるんだが・・・知らねぇよな?ああ、いい。こっちの話だ。まあ、何だ。信じる、信じないはお前らの勝手だ。俺の話が信じられないのならば、好きにしろ。ただし、天罰が落ちても、俺は知らんからな」
俺はそう言って、コフレシに視線を向ける。
「コフレシ君は、俺が言っていることは、分かるな?」
コフレシは眉間に皴を刻んで、無言で俺を睨みつけている。
「ああそうだ、コフレシ君。例のものは、例の日の、例の時間に、例の方法で、君に与えられるそうだ。楽しみにしていろ?よかったな?」
俺の言葉を聞いてコフレシはさらに顔を強張らせた。
「まあ、洗礼云々より、先に話し合うことがあるだろう?後のことは、お前らで一度、相談するんだな?」
そう言って俺は、クリミアーナの連中を退出させた。
「・・・リノス様、クリミアーナの連中をあのように刺激して、大丈夫なのか?」
マトカルが不安そうな顔で聞いてくる。
「心配するなマト。奴らが動かないのであればそれもよし。大挙してアガルタに来るのであれば、その時は追い返すまでだ。さて、ヤツらはどう出るかな?」
俺は意地悪そうな顔をして笑う。その様子をマトカルは、強張った顔で見つめるのだった。