第二百五話 見てないようで見てる
河原のあちこちで、たき火が焚かれている。その周囲には多くの人間が集まっており、一見すると、何か大規模な工事の指揮所のような雰囲気である。河原の奥に目を向けると、夥しい数のテントが見える。そして、その最奥には、二棟のロッジのような建物が見える。
そのうちの一つのロッジには、一人の少女と一人の少年が、司教たちと共に食事前の祈りを捧げていた。
「・・・我が主よ、我らに恵みを与え給え。そして、悪を滅し給え」
その祈りが終わるのを待っていたかのように扉が開かれ、一人の冒険者風の男が入室してくる。
「お食事中失礼します。ヴィエイユ様、森の出口までの道が、完成しました」
その声を聞いたヴィエイユの顔が明るくなる。
「まあ、それでは、アガルタの都に向かうことができるのですね?」
「はい。お食事を終えられましたら、移動したく存じます。おそらく今日中には森を抜けることができるでしょう。そして、森を抜けますと、アガルタの都まで三日ほどで到着する見込みです。ヴィエイユ様におかれましては、ご不便をおかけしますが・・・」
ヴィエイユは笑顔を湛えながら、祖父譲りの優しい声で答える。
「いいえ。このくらいは何でもありません。アガルタの人々を天道に導く者が、このくらいの不便を耐えられなくてどうしましょうか。ご心配には及びません」
その話を聞きながら、ヴィエイユの隣に座っていた女司教が声を上げる。
「さすがはヴィエイユ様。素晴らしいお言葉です。きっとヴィエイユ様のその、清廉で正しきお心で、アガルタ国は天道に従う国となりましょう。ヴィエイユ様が通られたこの道は、ゆくゆくは、ヴィエイユ様受難の道と呼ばれることになりましょう」
「いいえ、ジョリーナさん。アガルタ国が天道に従う国となるのは、私のおかげでも、私たちのお陰でもありません。偏に、クリミアーナ様の御導きです」
同席している司教たちから歓声が上がる。
「ここにお集りの皆さんに、クリミアーナ様のご加護がありますよう。さあ、冷めないうちに食べましょう。そして、食事が終わりましたら、すぐに出発しましょう」
笑顔でヴィエイユは司教たちを促した。
約一時間後、一行は、キャンプを張っていた河原を出発した。その後ろには数百人の信者たちが列をなして並んでいた。
これらは全員が、ヴィエイユたちと共に船でやってきた人々である。総勢七百人に及ぶ彼ら、彼女らは、実に多様な人々であった。司教たちはもとより、数十名の魔術師、結界師をはじめ、腕の立つ剣士数百名、そして、様々な職業に従事している、選び抜かれた、誰よりも信仰心の厚い信徒たちおよそ四百名が従っていた。
この信徒たちは、実に忠実に司教たちの命令に従事した。どのような命令でも喜んで受けた。全員がヴィエイユやカッセルに仕えることに、無上の喜びを感じていたのである。
さらに信徒たちは、豊富な食料を始め、ヴィエイユとカッセルが過ごす部屋までも運んでいた。彼女らが過ごすロッジは組み立て式であり、ものの一時間もあれば組み上げることができる。それらの材料や資材を馬車に乗せ、彼らは土魔法で作られた平坦な道を、ゆっくりゆっくりとアガルタに向けて移動していたのである。
途中、魔物の襲撃もあったが、それらは問題なく魔術師と剣士たちによって排除された。剣士たちは冒険者風の格好をしているが、その服は魔法耐性に優れており、その下には、鎖帷子のような下着を着こんでいるという念の入れようだった。
ヴィエイユとカッセルはゆっくりと、アガルタに向けて歩を進めている。
「姉さま、相変わらず、とても歩きやすい道ですね」
「そうね。これだけの距離の道を作るのだけでも素晴らしいですが、平坦な道を作り続けているのも、素晴らしいですね。我が、教国の魔術師たちの素晴らしさが分かろうというものです」
二人の会話を聞いていた、女司祭のジョリーナが声をかける。
「この道は、かなり丈夫に作られているのですよ」
「ジョリーナさん、そうなのですか?」
「ヴィエイユ様も、カッセル様も、覚えておいてくださいませ。このアガルタに入るまでに歩いてきたイルベジ川は、春になると氾濫します。雪解け水が流れてくるのです。あと数ヶ月すれば、我々が歩いてきた道は、水に浸かってしまいます。そのために、水が引いた後でも使えるように、道を丈夫に作っているのです」
「素晴らしいですね。ジョリーナさんは、何でも知っているのですね!」
嬉しそうにヴィエイユはジョリーナの話を聞いている。
総勢七百名に及ぶクリミアーナ教、しかも世界中から選び抜かれた信徒が集まる首都、アフロディーテの信徒たちをもってしても、誰一人として気が付く者はいなかった。彼らの行動が、上空からフェアリードラゴンに常に監視されていることを。そして、彼らの会話の全てが、森の精霊たちによって聞かれていたことを。彼らの行動と会話は全て、リノス達に筒抜けであったのだ。
「ほう、なるほど。水が引いても道は使えるのか。それはありがたいな」
俺は執務室で手を叩いて喜んでいる。
「そのために、土魔法が使える魔術師たちは、森の外で倒れているようです」
報告をしているのは、ソレイユだ。
「だろうな。魔術師たちに同情するよ。いやしかし、森の精霊たちの情報収集能力は素晴らしいものがあるな。ソレイユが味方でよかったよ」
「ご冗談を。私がこのような能力を得ましたのは全て、リノス様のお陰です」
「そうか?」
「ええ。リノス様のお情けを受けなければ、このような能力は得られませんでした。最愛の方からお情けを頂戴できただけでなく、このような素晴らしい能力まで頂戴しました。女として、無上の喜びです。あとは、リノス様のお子様を授かれば、私の望みは全て達せられたと言っても過言ではありません」
「まあ、それは、神のみぞ知るというやつだ」
「確かに仰る通りですが、努力しないことには授かるものも授かりません。いつでも、いつでも私をお召くださいませ。いつ何時でも駆けつけます。夜、皆さまが寝静まった頃に、私の部屋にお見えになってもよろしいですのよ?」
「お・・・オホン」
マトカルが顔を赤らめながら咳払いをしている。
「まあ、私としたことが!マトを忘れていましたわ」
「ソレイユ殿、臍の下の話は・・・ここでは・・・」
「アラ、いいではないですか。ここにいるのは、リノス様と私、そして、マトだけですもの。それともマトは、リノス様のお情けはいらないと仰るの?」
「う・・・そういうわけでは・・・」
「ソレイユ、真昼間からそういう話を明け透けにするもんじゃないな。少し慎しもうか」
俺の厳しい言葉に、さすがのソレイユも少々ヘコんでいる。
「まあ、何だ。今後も引き続き、森の精霊たちにクリミアーナの連中の監視を続けさせてくれ。頼りにしているぞ、ソレイユ」
「はい、畏まりました」
俺はソレイユに小さく頷くと、執務室の窓を開ける。
『サダキチ』
『お呼びでしょうか』
『ガルビーの様子はどうだ?』
『お待ちください』
そう言ってサダキチは姿を消す。そして数秒後、再び俺の前に現れる。
『ほかの船からはまだ、上陸していないようです。都までの道中も、一つの塊以外見当たりません』
『わかった。ご苦労』
サダキチが消えたのを確認して再び窓を閉め、俺は執務室の机に座って目を閉じる。
「・・・ということは、先発部隊がアガルタに着いてから、後発の部隊が出発する算段か?アガルタからガルビーまで船で一日だから・・・。道を作りつつ輸送手段を確保して、ヤツらの拠点となる場所の目ぼしが付けば、一気に信者をアガルタに送り込もうってか?だとしたら・・・。随分慎重な動き方をするんだな」
俺は目を開けて、マトカルに視線を向ける。
「マト、さっきも聞いた通り、クリミアーナの先発部隊が森を抜けそうだ。お前は一足先にクリミアーナの一行の所に行き、小娘と坊主をここに連れてきてくれ」
「二人だけか?」
「まあ、お付きの司教たちも付いてくるというだろうから、そいつらも連れてこい。来るの来ないのとゴチャゴチャ抜かしやがったら、俺にクリミアーナ様の神託があったと言え。勿体付けながら言えよ?」
「わ・・・わかった」
「あ、無理しないでいいぞ?芝居ができないなら、できないでいい。マトは芝居がヘタクソだからな」
「そんなことはない。これでも一軍を率いる身だ。冷静沈着な振る舞いには自信がある」
「顔を真っ赤にしてモジモジしながら、今日は・・・しなくても大丈夫だ。ってたまに言うのは、ありゃ芝居か?その割には、抱きしめると俺を離さないけどな」
「な!?そんな・・・。ううう・・・。へ、臍の下の話は・・・」
マトカルは真っ赤になって俯いている。
「しない約束だったな。スマンスマン」
俺はソレイユと顔を見合わせながら、フフフと笑みを漏らした。