第二百一話 挑戦状と暗殺予告
ヴィエイユたちを見送った翌日、アガルタのリノスの執務室では、朝から会議が行われていた。膨大な資料が山と積まれたなかで、リノスを筆頭に、メイ、チワン、ローニが顔を寄せ合って侃々諤々と意見が戦わされていた。
議題となっているのは、先日、リノスがキリスレイの患者を鑑定した際に指摘した、犬が媒介の原因となる可能性についてのことだった。
「現在のところまだ、調査中の段階ではありますが、アガルタ、ヒーデータ、ニザの三か国につきまして調査したところ、犬を飼っている家はおよそ七百家庭でした。一部は貴族家庭であり、調査を拒否された家が八家ありましたが、その他の、調査に協力いただけた家庭では全くキリスレイを発症した事例は見られませんでした」
メイが申し訳なさそうに報告する。リノスは首を振りながらメイを見据える。
「いや、メイが気に病むことはない。いいんだ。ダメなら次の手を考えればいい」
その声を聞いてローニが口を開く。
「私の方は、念のため犬獣人について調査をして参りました。先ほどメイ様のお話にありました三か国の中で犬獣人が一番多いのは言うまでもなくアガルタです。アガルタに住むおよそ二千人の犬獣人を調査しましたが、全く感染は見られませんでしたし、その知り合いについても、キリスレイに感染した人はいないとのことでした」
「そうか・・・」
「ちなみに、なのですが」
チワンが口を開く。
「キリスレイを罹患している六人の患者のうち、四人がサンダンジ国の周辺国に住んでいました。以前、サンダンジ王が仰っていましたが、あの国は以前、キリスレイが大流行したことがあります。さらに、この病に罹患する率が他の国よりも高いのも事実です。一度、サンダンジ国で、入念な調査をしてみてもいいかもしれません」
説明を聞きながらローニは、山のように積み上げられた書類の中から該当する患者のデータを取り出し、該当部分を開いて俺に見せてくれる。よく当たりが付くものだ。性能のいいデータベースだなと思っていたところに、メイが口を開く。
「私も、一度、サンダンジ国に行って調査をしたいと思います。おそらく、サンダンジ王も許可してくださると思います。ただ・・・」
メイはそこで目を伏せる。そりゃそうだ。あの王はメイに気がある。さすがに襲いはしないだろうが、おさわり、キス・・・などのセクハラはあるだろう。さらに言えば、毎日何かしら口説かれることは覚悟しなければならない。
「まあ、幸か不幸か、メイはまだ犯罪奴隷の身分を解除していない。だからメイがサンダンジ王のものになることは、ない。ただ、毎日スケベなことをされたり、言葉攻めにあうのは精神衛生上よろしくないよな」
そう言って俺は腕を組んで考える。そして、まずはサンダンジ王に相談するために、王宛に書状を書くことにし、俺は机に向かってカリカリとペンを走らせた。
「いいことを考えた。もし、サンダンジ王から許可が出たら、メイがポーセハイに見える結界を張ろう。書状にも、ポーセハイたちを調査に差し向けると書いておこう」
そう言って俺は書状を完成させて、それをチワンに渡す。彼はサンダンジに転移した経験を持つポーセハイにそれを渡すべく、転移していった。
「・・・申し訳ありません。ご主人様」
「いいよ。メイが謝ることはない。俺としてもメイを取られては敵わないからな。アリリアも悲しむ。何より、俺の上に乗っかかってきてくれるメイがいないと、寂しくなる」
「ご主人様・・・」
メイは顔を真っ赤にしている。
「オ・・・オホン」
ローニが咳払いをしている。いかんいかん、ローニの存在を忘れていた。
「過ぎたるは・・・毒です」
ローニの、学者然とした顔での説教は、俺をヘコませるのに十分だった。
しばらくすると、チワンが一人のポーセハイを伴って執務室に転移してきた。
「リノス様、サンダンジ国に行っておりました、ラセースです。以後お見知りおきください」
チワンから紹介されたラセースが一礼する。そこそこ年はいっているが、頭のよさそうな顔をしている男だ。
「サンダンジ王にリノス様の書簡を届けて参りました。王様は大変喜ばれまして、ぜひお願いしたいとのお返事でした」
「それだけか?」
「それだけ・・・とは?」
「他にサンダンジ王は何か言っていなかったか?」
「ああ・・・ええ・・・。メイリアス様はお見えにならないのかと・・・」
「やっぱりな」
俺はケラケラと笑う。
「サンダンジに行くときには、メイにはポーセハイに見える結界を張ろう。おそらくバレることはないと思うが・・・。ああ、メイでは名前でバレちまうな。何か名前を考えないと・・・」
「メイサーマでよろしいかと」
ローニが口を挟む。俺は膝を叩いて笑う。
「なるほど。メイサーマさんか。サンダンジ王がどんな顔をするのか見ものだな。ハッハッハ!チワン、ローニ、ラセース。メイのことを頼むぞ?あと、残業は認めません。定時退社を心掛けてください?」
「テイジタイシャ?」
「十八時には仕事を終えるように。ローニは特に延長する傾向があるからな」
「・・・はい、畏まりました」
そう言って、ポーセハイの三人とメイは医学研究所に転移していった。
そして夕方、俺の執務室に新たな来客があった。饅頭屋を営んでいるヤワサという男だった。この店は、俺がアガルタに来た時に炊き出しで振る舞ったぜんざいを気に入り、それを店で出していたのだ。なかなか味もよく、気に入った俺は、あんこの作り方を教えてやり、ついでに、饅頭のことを教えてやったのだ。彼は持ち前の研究熱心さを発揮して、見事に饅頭を作り上げた。現在ではそれがこの店の名物になっており、俺も贔屓にしている店なのだ。
「おおヤワサ、どうした?」
「ヘイ、ご注文の品を持ってまいりました」
「うん?注文をした覚えはないが?」
「ええ。リノス様からではありません。ええと・・・そうだ、ヴィエイユとかいう若い娘が、これをリノス様に届けてくれと・・・」
ヤワサは抱えていた箱を俺に差し出す。中を見ると、夥しい数の饅頭が入っていた。
「百個入っております。お代はいただいておりますので・・・。それにしても、饅頭百個を注文しておいて、すぐ金を払って帰ったのです。小娘には高いお代なのですが・・・。お名前だけしか仰いませんでしたが、あれはどこぞの貴族様で?」
「まあ、そんなところだ」
「なるほど、どうりで・・・。ヘイ、ではまたよろしくお願いします。まいどあり~」
そう言ってヤワサは執務室から出ていった。
俺は届けられた饅頭を持って帝都の屋敷に帰る。その数を見てリコは驚きの声を上げた。
「まあ、何ですの、この饅頭の数は・・・?」
「ああ、クリミアーナ教からの贈り物だ」
「クリミアーナ教・・・。まさか・・・」
「いや、毒は入ってないと思うよ」
「でも・・・」
リコは気味悪そうに饅頭を眺めている。一方でフェリスやゴンたちは大喜びで見ている。どうやら早く食べたいらしい。
「もうすぐ夕食だ。晩飯食ったら食っていいぞ。あと、コイツらをおひいさまの所にお供えしてやってくれ。あとルアラ、ガルビーに行ってトリちゃんにもお供えしてきてくれ」
「わかったでありますー」
「わかりましたー」
そう言って二人は裏庭に出ていった。その後しばらくして、メイやマトたちが帰って来て夕食となり、その後で、デザートとして皆で饅頭を食べた。
「それにしても、気味が悪いですわ。なぜ、饅頭なのでしょう?」
リコが饅頭を見ながら呟く。
「おそらく、クリミアーナの情報網を、俺に知らしめたいんだろう」
「情報網?」
「ああ。俺の好きなものが饅頭であること、その贔屓の店を知っていること、それに、俺の家族を含め、側近くに仕えている者が百名程度いること。クリミアーナの情報網を使えば、そうした、俺のプライベートのことも知るくらい何でもないぞという警告なのだろう」
「お饅頭一つで、そこまで・・・」
「これは、明らかにクリミアーナからの挑戦状だ。まだあるぞリコ、これには裏の意味があると俺は睨んでいる」
「裏の意味?」
「これだけの饅頭を一人で食べると・・・死んじゃうよな?・・・そういうことだ」
「え?よくわかりませんわ」
「あんこだけに・・・暗殺ってね」
「リノス・・・」
リコはガックリとうなだれている。俺はそれに意を介さずに饅頭を口の中に運ぶ。うまい。あんこの味が実に上品だ。そのまま俺は続けて饅頭を三つばかり食べ、そして、口を開く。
「・・・お茶がこわいな」