第百九十八話 戦いに向けての第一歩
最近、朝晩の冷え込みがでてきたと思っていると、この日は粉雪が降っていた。冬の訪れを感じる瞬間だが、それもそのはずで、今日は十二月一日なのだ。
気が付けば俺は二十二歳になっていた。前世だと大学四年生というところだろうが、この世界での二十二歳は、四十代くらいのイメージである。オッサンである。ジェネレーションギャップを感じる年ごろなのである。
そうは言っても、肉体的には全く問題はない。肩こりはないし、腰痛もない。絶好調なのだ。
そしてこの日は、技術の粋を駆使したアガルタ医療研究所の開所式なのだ。およそ千人の人々を招いて、華やかにその開所を祝った。
当初は三十四か国で協力して、キリスレイ、ガイッシャ、ルロワンスの撲滅に当たろうということだったが、アガルタやヒーデータ、ニザなどの周辺国もその噂を聞きつけて、協力したいと申し出た国が七か国もあった。その一部は、アガルタの内情を探ろうという意図もあるかもしれないが、出来の悪い国は早々に追い返せばいいとのチワンたちのアドバイスにより、来るもの拒まずの精神で受け入れることにした結果、四十一か国でのスタートとなったのだ。
研究所内は、メイたちの要望が反映された素晴らしい最新設備を備えたものになった。また、メイの強い要望で研究所付属の病院も設置され、そこで医者を育てていくことになった。その中心となったのはチワンであり、ローニともども数人のポーセハイを伴って、早速診療を開始していた。
加えて、入院施設も充実しており、およそ三百床ものベッドを用意し、多くの病人を受け入れる体制も整えていた。
この施設を作るために、三つの貴族屋敷を使用している。そう、たった三つなのだ。ジュカ王国の貴族がどれだけ大きな屋敷に住んでいたのかが、分かろうというものだ。ちなみに、どさくさに紛れて、王族の屋敷を一つホテルに改装した。なかなかレトロな雰囲気であり、歴史ある老舗ホテルのような、渋い、趣のある出来栄えだ。
入院施設は立派だが、まだまだスタッフが足りず、今は診療所に毛の生えたような医療活動しかできていない。しかし、メイやシディーが中心となって、薬師や看護師などを育て始めた。その大半が、避難してきた獣人たちだ。
メイ、チワン、ローニの研究では、獣人を媒介として病気が伝染する可能性は極めて低いと結論付けていたため、思い切って獣人を区別せずに受け入れた。そのせいもあってか、学びに来る彼らの目の色が違う。そうした彼らの姿勢は、当初は二の足を踏んでいた一部の都人の心を打ち、誰もが気軽に訪れることができる診療所になりつつある。たまに、おかみさん連中が差し入れを持ってきてくれることもある。ありがたい限りだ。
同時に、新しいホテルにも、獣人たちを採用した。ソレイユがデザインしたユニフォームは実にカッコよく、可愛らしく。それに憧れてホテルマンを目指す若者が殺到した。彼ら彼女らは、迎賓館のスタッフが交代で研修を行い、メキメキとスキルを上げている。先日、オープン前のテストをするとのことで、満室の状態を作り、運営テストを行った。都の人々を招待し、俺も招待されてリコと共に泊まってきたが、サービスといい、調度品といい、食事の味と言い、帝国ホテルと変わらないクォリティーであったことは驚いた。俺は大満足だったのだが、さすがにリコは目の付け所が違い、スタッフや調度品のことについて、細かいアドバイスを出していた。
そうしたことを経て、今日の研究所の開所を迎えたわけであるが、一応王様である俺は、着慣れない礼服を着て、全身に冷や汗をかきながら、開所式に招いた数百人の客の前に立っている。その隣には、これまた全力で着飾ったリコがいる。髪を結い上げ、ティアラを身に付け、そして肩を出したドレスが実に豪華だ。そしてさらに美しい肌をこれでもかと見せつけながら、俺の隣にそっと立っている。
その後ろには、メイ、マトカル、シディー、ソレイユが、それぞれ着飾って控えている。その中で特別色気を放っているのはソレイユなのだが、意外にマトカルも、全力で着飾るとかなり美しいのである。
俺はそんな嫁たちを背に、一歩前に出て祝辞を述べる。
「ああ、ええと。本日はお日柄もよく、何よりでございます。このアガルタ医療研究所は、世の中の伝染病を撲滅しようという目的の下、設立されました。本日、それが完成を迎え、開所できましたことは歓喜に耐えません」
いつもは苦手なスピーチだが、今回は違う。リコが後ろからちゃんとセリフをしゃべってくれているのだ。これで俺は噛むことがない。
「ゆくゆくはこの研究所で、多くの伝染病が撲滅できますよう、私も王として尽くしていく所存ですわ。ここにお集りの皆さま、是非、私どもにお力をお貸しくださいませ。お願い申しますわ」
・・・会場内は何か微妙な空気に包まれる。しかし俺は意に介することなく堂々と、舞台から下りていった。その直後、会場から大きな拍手が起こり、この日の開所式は大成功で幕を閉じることができた。
それからしばらくして、アガルタのとある組合の中で、リノスは話題の人となっていた。
「やっぱりリノス様は、ウチらの所属だったのねー」
「わかる。わかるわぁ。王様を演じるのも大変なのよね~。でも、緊張すると素がでちゃうあたり、なかなかカワイイわね~」
「でも、奥方が大勢いるってのは、どっちもってことだわよね?」
「いいじゃないの~。わかんないわよ?王様って子孫を残さないといけないから、無理して頑張ってんのかもしれないわよ?」
「ええ~じゃあ、アタシ達が癒して差し上げないと~」
「みんないいこと?リノス様の素のお顔は、あたし達だけの秘密よ?」
「もっちろんだわ~姉さん~」
以降、リノスは、とある組合の方々から、熱い視線を送られることになるのだが、今はまだ、それを知らない。
研究所が建設されている頃から俺は、チワンやローニが連れてきたキリスレイ、ガイッシャ、ルロワンスの患者たちを見舞っていた。見舞うといっても、果物を持って訪ねていく本当の見舞いではない。患者それぞれを鑑定していたのだ。
患者一人一人の過去を丁寧に覗き見ていく。まず、最初に取り掛かったのは、ガイッシャの四人の患者たちだ。これは、年代、性別がバラバラであり、病気を発症した時期もバラバラだった。獣人と暮らしていたのは一人だけ。しかも、三十代のという若さの男性だった。
この男性は確かに、狼獣人の女性と結婚していた。しかし、一人の男性は、狼獣人と接触したことはないにもかかわらず、発症している。彼らを鑑定して分かったのは、この病はまず、体をねじったり、曲げたりすることができなくなり、その後、腹部の痛みを発症して、それが全身に広がるという共通点があることが分かった。一応彼らにLV5の回復魔法、アルティメットヒールをかけてみた。痛みは緩和されたが、固まった筋肉は戻ることがなく、しかもひと月もすると再び痛みを発症するという、厄介な病気だった。
次に鑑定したのは、ルロワンスの患者だ。
首に紫の斑点が出て、その後に突然死を迎えるという悪魔的な病気だが、これを患っていたのは五人の男女だった。この人たちも丁寧に鑑定していくが、猫獣人と暮らしていたのは、これも一名だけだった。これも年代はバラバラであり、発症した時期もまちまちだったが、全員が四十代以上であった。この病は、五人のうち三人が、両親のどちらかがルロワンスに似た症状を発症して死亡しているのが分かった。もしかすると、遺伝的な病気なのかもしれない。彼らにもアルティメットヒールをかけてみたところ、紫の斑点の大部分が消えた。現在は経過観察中だ。
そして最後に鑑定したのは、キリスレイの患者だった。
これも男女六人で、この病が一番年齢の幅が広かった。一番若いので十四歳、一番年上で五十歳だったのだ。全員がこん睡状態であり、対話は出来なかった。彼ら彼女らを鑑定していくと、これもまた、発症した時期がバラバラであり、しかも、犬獣人と暮らしている者は一人もいなかった。
彼らの発病は様々で、微熱が続く、体全体がかゆくなるといった例の他に、風を受けると極端に不快になるという痛風に似たような症状を発症している者もいた。ただ、この病気だけは、一つの共通点があった。全員、犬を飼っていたのだ。むろん犬の種類はバラバラだったのだが。
俺はメイたちに犬を調査するように伝えて、彼らにアルティメットヒールをかけた。しかし、彼らは誰一人として目覚めず、現在でも昏々と眠り続けている。この病は、徐々に呼吸が浅くなっていき、やがて死に至るといわれている。確かに、患者の一人は呼吸が浅く、現在はメイたちが開発した呼吸器のようなものを付けられて、何とか命をつないでいる。
こうして、アガルタの医療研究所は華々しいスタートを切ることができた。しかし、クリミアーナが放った刺客たちは、アガルタのすぐ近くまで迫っていた。
特例のジモークを受けたヴェイユとカッセルの準備が、着々と整いつつあった。彼女らは年明けとともに、アガルタに向けて出航することになっている。そして、それに呼応するかのように、全世界から、クリミアーナ教の信徒が、アガルタを目指して国を出発しようと、万端の準備を整えていたのである。
クリミアーナの反撃が、始まろうとしていた。