第百九十六話 勧誘する者、される者
公開質問会は幕を閉じた。取り敢えず、クリミアーナの説は論破したが、徹底的にフルボッコするには至らなかった。勿体ない気がしてならない。しかし、この国をあまり追い詰めるのも危険だ。全世界のクリミアーナ教の信者が敵に回ると、面倒なことになる。ある程度、クリミアーナ側の体面も残しつつ着地させたのは、ある意味メイはお手柄と言えるかもしれない。
教皇が大聖堂を後にすると、クリミアーナ側の国の使節団が退出しようとしていたので、大声で呼び止める。そして、クリミアーナ様は獣人たちを追放し、羊獣人を捕らえることにお怒りであると話し、ゆめゆめ獣人を捕らえるなど乱暴狼藉を働くなと念を押しておいた。
その後、その場に残った三十四か国が、それぞれどのような研究を担当するのか、または担当したいのかを話し合った。さて、これから詳細の話に入ろうとしたとき、クリミアーナ教のコフレシ司教がやってきて、俺たちに大聖堂から出ていくように言ってきた。
「はあ?君は、何を、言っているんだ?クリミアーナ様が、そう、あちらにおられるクリミアーナ様が、皆で解決せよと仰った事柄なのに、そのクリミアーナ教の、総本山たるアフロディーテの、大聖堂は、その、クリミアーナ様のご命令に、背くんだ?背くんだね?それともこれは、コフレシ君、君の一存かな?」
コフレシは苦虫を噛み潰したような顔を隠すことなく、言葉を絞り出す。
「ま・・・間もなく、夕暮れです・・・。大聖堂は・・・火気厳禁のために・・・誠に恐れ入りますが、本日は、お引き取り下さい」
俺は大きくうなずく。
「なるほど、それならば仕方がない。本日は、ということは、明日もここを使えるのだろうね?コフレシ君?」
「そっ・・・それは・・・」
「コフレシ君がいれば大丈夫だろう。明日の十時、会議を再開することでいかがですか?」
集まった使節団は、全員が同意した。
「そんな顔をするなコフレシ君。我々とて忙しいのだ。何も十日も二十日もここに居座る気はない。明日一日でいい。そのくらいの仕事は、君にもできるだろう。選ばれし、君ならば、ね?」
コフレシは震えながら頭を下げていた。
使節団はゾロゾロと大聖堂の出口に向かって移動し始めた。それを見届けて、俺たちも帰ろうとすると、サンダンジ国のニケが俺たちの下にやってきた。
「ニケさん・・・。いや、サンダンジ王、先ほどは失礼しました」
「アガルタ王が頭を下げられることはない。私のことはニケでいい。それにしても・・・いい奥方を持たれたな」
「ありがとうございます」
「これだけの美しさを持ちながら、あの教養と、教皇に一歩も引かぬ肝の強さを持っておられるとは・・・。是非、我が妻に迎えたいくらいだ」
「サンダンジ王」
「いや、冗談だ。アガルタ妃・・・。我々はキリスレイの撲滅は、何としてもやり遂げたいと思っている。世界中で見ても、おそらく我がサンダンジ国が最もキリスレイに罹患しているはずなのだ。そちらにおいでのポーセハイのお二人共ども、是非、是非、力を貸してほしいのだ。我々からの支援は惜しまぬ。頼む」
ニケはスッと頭を下げる。メイはにっこり笑う。
「もちろんです。是非、一緒にやりましょう。ところで、実験の際にお預けした患者の様子はいかがですか?」
「ああ、今のところ死んだ者はいない」
「その方々は、できましたら私たちでお預かりしようと思うのですが・・・。差し支えなければ、近日中にポーセハイの方々に転移術で引き取りに伺いますが・・・」
「それはありがたい。よしなに頼む」
ニケは両手を出してメイの右手を握る。そして、その手にキスをして、颯爽と去っていった。
「・・・手に、キスを・・・」
「メイ・・・。今夜は一緒に風呂に入るぞ」
「ハイ・・・」
メイは顔を真っ赤にして頷いた。
ふと後ろを振り返ると、グラリーナが立ち尽くしていた。副所長のダリーナの姿は既になかった。
「グラリーナさん、あなたも、いや、あなたは、今後も研究を続けてくださいね?」
メイが優しく語りかける。彼女は力なく微笑んだ。
「グラリーナさん、よければ、我々ポーセハイの集落に来ませんか?」
チワンが唐突に声をかける。
「私は・・・。コリスリン王国の研究者です。クリミアーナ教国とコリスリン王国の許可なく離れるわけにはいきません」
「何言ってるんですか!クリミアーナ様のご意思があるではありませんか!そのご意思を叶えるために、勉強しに行くと言えば、誰も文句は言いませんよ?」
ローニがすかさず口をはさむ。そんな彼女を横目で見ながら、チワンが口を開く。
「あなたは大変に豊富な知識を持っておられる。しかし、圧倒的に実践経験が浅い。しかも、基礎的な約束事を知らない。実験ノートを見ましたが、実に初々しいミスが目立つ。あれではどのような素晴らしい研究をしても、その成果を証明することができない。大変勿体ないと思います。もしよければ、我々がその点もお教えしますよ?」
「チワンさんは、とても厳しいですけどね!悪魔以上ですよ?」
ローニがここぞとばかりに悪態をついている。しかし、グラリーナは固まったままだ。俺はすかさず結界を張る。
「グラリーナさん、結界を張りましたから、安心していいですよ。我々の声は他の人には聞こえませんから。グラリーナさん、このままこの国にとどまれば、教国はあなたの命を奪うかもしれません。そこまでいかなくても、あなたの立場は非常に悪くなるでしょう。そんな環境の中で研究ができますか?ここで研究をしたいのであれば止めませんが、あなたはあなたの人生を決める権利があります。チワンたちは、あなたに救いの手を差し伸べました。その手を取るのかどうかは、あなたが決めてください。幸せになる方を選べばいいですよ?」
彼女はしばらく悩んでいたが、やがて、チワンとローニの顔を見て、小さく、よろしくお願いしますと返答した。俺は彼女に他の人には見えなくなる効果を付与し、全員で大聖堂を出て、馬車で帝国の船に向かった。
船に着くと、チワンとローニは、先にグラリーナをクルムファルに送ると言って転移していった。それを見届けたかのように、ヴァイラス殿下が現れる。
「お疲れさまでした、義兄上。しかし・・・クリミアーナ様の御名を騙るとは・・・大丈夫なのでしょうか?」
「なぁに、大丈夫ですよ。バレなきゃ、イカサマじゃないですから」
そう言って俺はニヤリと笑う。ヴァイラス殿下は呆れたように首をゆっくりと振っていた。
そして俺とメイは帝都の屋敷に帰った。ちょうど夕食の最中であり、俺たちは滑り込みで温かい食事を食べることができた。
「あれ?チワンさんとローニさんは?」
ソレイユが聞いてくる。
「ああ、先にクルムファルに帰ったよ」
「お二人の夕食は・・・ご用意しておいた方がいいですね?」
「そうだなペーリス、お願いできるか」
「わかりました」
「多めに作っておいてやってくれ」
そんなことを言いながら俺たちは夕食を終える。そして俺はアリリアをリコに頼み、メイと二人で風呂に入った。ニケにキスをされた手はもちろんのこと、隅から隅まで、それはそれは念入りに念入りに洗ってやった。
「ご・・・ご主人様、もう、それ以上は・・・」
「もうダメか?じゃあやめにしようか。メイが怒ると怖いからな。大聖堂でヨームアン王国の連中を叱り飛ばした時は、本当に俺もビビったよ」
「やめてください・・・。でも、続きは・・・部屋で・・・」
メイは真っ赤な顔をして俯く。そして、俺たちはそのまま二人で寝室に入った。
その頃、クリミアーナ教国の首都、アフロディーテにある教皇宮殿では、教皇ジュヴァンセルが部下の司教からの報告を受けていた。
「そうですか・・・。イマーニ所長は、亡くなりましたか・・・。グラリーナ女史は失踪・・・。おそらく、この国からは出ていないでしょう。このアフロディーテに居るはずです。探してください。彼女は、大切な、客人ですからね。あと・・・ダリーナ副所長は・・・しばらくお休みをしてもらいましょう。あれだけのことがあったのです。すぐに研究という激務に戻るのは、肉体的にも精神的にも、厳しいものがあるでしょう」
恭しく頭を下げる司教に教皇は、いつもと同じように優しい言葉で語りかけている。
「それと、ヴィエイユとカッセルを呼んでください」
二人の名前を聞いた司教は、いつも以上に機敏な動きで一礼をし、部屋を後にした。しばらくすると、ヴィエイユとカッセルが教皇の執務室にやってきた。
「このような夜分に呼び出して申し訳ありませんでした。特例のジモークが決まりましたので、お伝えしようと思いまして、ご足労いただきました」
特例のジモークと聞いて、二人の顔がぱああっと明るくなる。
「二人とも、出発は三か月後になります。準備を怠らないようにお願いします。二人の任地は、アガルタ国。アガルタ王がいる都です。そこで、アガルタの人々を、天道に導いてください」
二人は体中からうれしさを溢れさせて、キビキビと一礼をする。その姿を満足そうに教皇は眺めていた。
「クリミアーナ様の御声を聞いたアガルタ王です。ここは是非、正しき道、天道に導かねばなりません。王の周囲には、天道に背く者も多くいるようです。今こそ、クリミアーナ様のご加護を受けているアガルタ国を、アガルタ王を、天道に導くのです。二人とも、わかりますね?」
「「はい!」」
キラキラとした目で二人は返事をする。その姿を見て、教皇は満足そうに頷くのだった。